ノート:王貞治
この記事は2006年9月15日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
この「王貞治」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2006年4月18日 | 査読依頼 |
コメント
[編集]過去に、女子プロ野球は存在していますので、その理由で「男性の」との記述を削除しないでください。kaz
存命中なので「特に、晩年の1980年には」は失礼かと思います。晩年とは故人を偲んで使用する言葉です。あえて使用するなら「現役選手としての晩年」とするべきでしょうが、それでも印象はかなり悪いと思います。差し障りのない「現役時代最終年度の1980年には」に修正します。異議があるようなら差し障りが無く、妥当な言葉に変更することを希望します。--参謀中佐 2005年2月18日 (金) 23:55 (UTC)
Why isn't the name of Sadaharu Oh's wife mentioned in this article? WhisperToMe 2005年12月29日 (木) 22:47 (UTC)
「通算OPS1位」とありますが、どのような基準によるものでしょうか? 4000打数以上? Hanmen 2006年3月13日 (月) 16:47 (UTC)
王さんは、日本で生まれ育ち、日本人扱いで日本プロ野球で活躍した選手ですのでCategory:日本の野球選手に含めました。--Goki 2006年3月22日 (水) 05:38 (UTC)
1959年度のOPSが出塁率+長打率になっていません。何か理由があるのでしょうか?--FujitaMasashi 2011年11月25日 (金) 18:38 (UTC)
鈴木康二朗の受けた賞品、贈り主が機構であるはずがない。
『巨人の監督を辞任したことにより、前述のように30年間使用された巨人の背番号1が野球界から姿を消すこととなった。その後背番号1は選手時代の功績が讃えられて野球界の永久欠番に指定された。』とありますが、「野球界」の永久欠番ではなく、「巨人」の永久欠番ではないでしょうか?他球団では今でも背番号1は使用されているように思います。
エピソード
[編集](小倉智昭の2006年3月22日とくダネ!内でのウィキペディア記事内容に似た発言について)オヅラは出典を明示した上でしゃべってないだろ。である以上、仮にwikipediaが人名辞典の盗作でも、 盗作つうのはね、仮に活字なら その辞典で社会生命喪失するほどの重犯罪なのよ、分かる? 2006年3月22日 (水) 23:28(UTC) 222.149.112.177
- 「2006年3月22日、フジテレビのとくダネ!内で、小倉智昭がウィキペディアの王貞治に関する記述をそのまま抜粋して発言した。」の記述は削除すべきでしょうか?あるいは表現を変えて残すべきでしょうか?Bossa 2006年3月23日 (木) 00:07 (UTC)
当方もその番組は生で見ていて「あっ」と思ったが、だからと言って「ウィキからの無断流用」と即断するのはどうかと思う。そもそもウィキの当該記事だって何らかの書物等(自叙伝や過去の新聞記事・テレビ報道など)を情報源にしているはずで、小倉氏は(プロ野球の熱烈なファンですから)そういう別のルートから知っていたのかもしれない。第一、「とくダネ」で喋っていた、ということが、なぜ王貞治氏個人のエピソードになるのか、全く理解できません。王監督が同番組に出演してその中で衝撃的な発言をした!というようなことでもあれば別ですが、テレビの司会者が王氏個人の「人となりを話した」程度のことを、しかも「犯罪なのよ、分かる?」などの粗野な言葉で糾弾的に(本文に)書く必要がどこにあるのでしょう。ここのノートに問題提起として書くならまだしも、本文にあのように個人的な鬱憤を記述するのは百科事典の体裁を著しく逸脱していると考えます。--無言雀師 2006年3月23日 (木) 00:59 (UTC)
- 「余談」との新規項目をつくり記載されていた番組の出来事を、当方が「エピソード」に移動したものでした。その後おかしなコメントがつけられていたので、コメントのみノートに移動したのですが、また何者かによって本文がコメント付きのものにrevertされていました。番組内のエピソード、コメントとも削除でよかったと思います。Bossa 2006年3月23日 (木) 01:12 (UTC)
国籍
[編集]父が中国大陸出身で中華民国国籍であり、現在の中華民国(台湾)とは直接的な繫がりは無い。だが、「父の無言の遺言」として中華民国国籍を貫き、現在の中華人民共和国とは一線を引いている。台湾独立派支持の態度を取っており、中華人民共和国がホームラン世界記録を更新した王に国民栄誉賞を与えようとした所、王はこれを拒否した。
中国に関して自分は何にも意見を言う気もないし、 台湾に対しても言う気はない。
王貞治(WBC日本代表監督) | 情熱大陸 http://www.mbs.jp/jounetsu/2006/03_12.shtml
それは、「2つの中国」のどちらにも偏りたくない、政治にはかかわりたくないという王の意向でもあった。 http://ww1.tiki.ne.jp/~sisho007/jinmei_j/ou.htm
大陸よりの神戸中華同文学校を王は訪問したことがある。
王の父は里帰りした後、中華人民共和国国籍を取得したそうです。
>中華人民共和国がホームラン世界記録を更新した王に国民栄誉賞を与えようとした所、王はこれを拒否した。
これは中華民国の間違いじゃないですか。—以上の署名の無いコメントは、61.211.243.2(会話・履歴)さんによるものです。
雑多な箇条書き
[編集]多いですね。--60.43.34.23 2008年3月25日 (火) 16:01 (UTC)
下品な書き込みついて
[編集]- 2008年12月2日 (火) 17:24 61.86.183.174氏の記載した「人物・プライベート」項に下品な書き込みがあります。論議のうえ、取り消しまたは削除すべきではないでしょうか。--Symauma 2008年12月11日 (木) 16:17 (UTC)
- ちゃんと出典があるのなら、その旨を付け加えた上で残してもいいのではないでしょうか。--崎宏 2008年12月11日 (木) 17:15 (UTC)
- 要出典を要請しました。--Symauma 2008年12月12日 (金) 09:00 (UTC)
巨人背番号1の系譜
[編集]二出川延明(1935)→田部武雄(1936)→林清一(1936・1940-1943)→藤本英雄(1944)→山田潔(1946-1947)→白石敏男(1948-1949)→南村不可止(南村侑広)(1951-1957)→王貞治(1959-1988)→永久欠番(1989-)
王さんの前に巨人の背番号1は七人が使用していますね。--経済準学士 2009年2月13日 (金) 19:41 (UTC)
華僑日本人?
[編集]漢民族でないものを華僑と呼ぶとは信じられません。理解不能の表現です。--203.88.176.150 2009年2月27日 (金) 02:50 (UTC)
冒頭の記述について
[編集]何かうまい書き方ないですかね。そりゃ厳密に言えば世界記録では無いだろうけど、『「日本においては世界記録である」と認識されてる』としても間違いではないでしょう。とりあえず、王が世界記録と言われてる出典については[1]、世界の王は[2]は挙げておきます。--あな34(須魔寺横行)(会話) 2012年12月14日 (金) 18:47 (UTC)
父母の出身地について
[編集]母である王登美の出身地が氷見市になっていますが、ウェブ上で見られる新聞社の訃報記事では富山市と書かれています。
- 王会長の母、108歳大往生「息子として誇り」― スポニチ Sponichi Annex 野球
- 王貞治さんの母、王登美さん(富山市出身)死去 108歳|北日本新聞ウェブ[webun ウェブン] ※有料記事なので冒頭しか見れていません
また記事中に出典として付してある読売新聞の記事でも、Internet Archiveに保存されているものを参照すると富山市になっています。
氷見市である旨が記された出典が無ければ、上掲記事を出典として記述を変更すべきではないでしょうか。
また父である王仕福についてはzh:王仕福に出典として『王貞治 百年歸鄉』(ISBN 9861340211)が示されています。おそらく『百年目の帰郷―王貞治と父・仕福』(ISBN 4094053417)の翻訳でしょう。どなたか確認して戴ければ幸いです。--kahusi (會話) 2018年9月11日 (火) 11:05 (UTC)
- 王登美の出身地について出典を付けて書換えました。--kahusi (會話) 2018年9月21日 (金) 14:23 (UTC)