ノート:王命婦
「もののまぎれ」なる語のコメント化について
[編集]記事の中の「もののまぎれ」なる語が「山口剛の用語らしい」との理由でコメント化されていますが、「○○」なる語が「××の用語である」という表現は、
- 「○○」なる語は「××」が唯一使用している術語である
- 「○○」なる語は「××」が最初に使用した術語である
- 「○○」なる語は「××」が代表的な論者である(同人の提唱した理論・解釈が現在では一般的なものである)
といった場合に使用出来る表現であるかと思いますが、この場合そのいずれにも該当しません。
山口剛氏は「もののまぎれ」について比較的まとまった論説を発表している学者の一人ではあり、山口剛氏の論文には先行研究との比較分析などの学説史的記述が無いためこの山口氏の論文だけを読むと一見「もののまぎれ」という概念が山口氏だけが単独で論じている概念のように読めてしまうのですが、源氏物語を理解するための術語として「もののまぎれ」なる語を使い始めたのは山口剛氏ではなく水戸光圀に仕えた江戸時代初期の儒学者安藤為章です。(為章の著書「紫家七論」の中に記述があります。)その後本居宣長ら何人もの国学者たちが源氏物語の注釈書の中で「もののまぎれ」なる語を使用しています。明治時代以後も数は多くは無いものの、学説史的立場から「もののまぎれ」について論じたものも含めて「もののまぎれ」を取り上げた論説はいくつも存在しますし、近年では三谷邦明氏が「もののまぎれ」を源氏物語の主題として取り上げ源氏物語全体を再解釈しようとした著書もあります。
それに加えて「もっと説明があったほうがいい」から「コメント化する」という編集の理由が存在しないと考えますので「もののまぎれ」のコメント化を一旦解除させて頂きます。意味不明な記述であるとか、いたずらとしか考えられない記述であるとか、完全に誤った記述であるとかいうのならともかく、「もっと説明があったほうがいい」などという場合は記述の除去(コメント化)ではなく加筆で対応するべきであって加筆依頼にでも出すべきケースであろうと考えます。--219.115.106.7 2012年7月16日 (月) 17:13 (UTC)