ノート:玉井正寿
表示
- ノートページや会話ページに書き込むときには署名をお願いします。署名することにより、いつ誰が何を言ったかが理解しやすくなります。IPユーザーの方も半角チルダを4つ(
~~~~
)で名前と投稿日時の署名が簡単にできます。今後の提案・議論・報告を追うことも容易になりますのでご協力願います。(この署名のないコメントは、2012年8月7日 (火) 06:12(UTC)に利用者:Rikisekitaが記述したものです)- --Chiba ryo(会話) 2012年8月7日 (火) 07:08 (UTC)が付記。
経歴について
[編集]- 玉井正寿氏が産能大へ入職した時期は?RIKiSekita(会話) 2012年8月9日 (木) 15:48 (UTC)
1959年に愛媛県産業能率研究所退職とともに、産能大へ入職したと断定できるのか。
→1959年4月に土屋裕とともに入職、という文献の存在を確認した。RIKiSekita(会話) 2012年9月1日 (土) 22:54 (UTC)
- 黄綬勲章受賞年度は?RIKiSekita(会話) 2012年8月9日 (木) 15:48 (UTC)
- 生まれた月日は確認できないか?RIKiSekita(会話) 2012年8月9日 (木) 15:48 (UTC)
- 経歴メモ
1977年(昭和52年)10月27日 第10回 全国VE大会にて、急病のため来日できなかったL.D.マイルズに代わり、特別講演を行う。
内容は、マイルズ氏の講演要旨紹介。
この際のタイトルとして「日本VE協会参与」の記述あり。RIKiSekita(会話) 2012年8月13日 (月) 04:18 (UTC)
→年譜に記述を追加した。RIKiSekita(会話) 2012年8月13日 (月) 04:24 (UTC)
著作物について
[編集]
- 次の書籍への玉井正寿氏の関わり方が不明確。
- 「わたしのVE史 玉井正寿(産能大学教授)が開発した日本のVE-日本的ジョブプランや機能評価の考え方など」によると「玉井正寿 監訳」と記述されているが、インターネットでこの書籍の情報を調べてみると玉井正寿の名前が記されていないため確認が必要。RIKiSekita(会話) 2012年8月8日 (水) 03:24 (UTC)
- VEアプローチ-実例による分析の手順(アーサー E.マッジ著、中神芳夫 訳、山路陽三 訳、鈴木長生 訳、産業能率短期大学出版部 1974年)
- 国会図書館の図書情報で、「玉井正寿 監修」と記述されていたため、「主著」セクションへ追記することとした。RIKiSekita(会話) 2012年8月10日 (金) 11:22 (UTC)
VA/VE史について
[編集]- 日本へのVA/VEの導入のきっかけについて
- 1955,1956の日本生産性本部による原価管理調査団の派遣が日本へのVA/VEの導入につながったというのが定説である。しかし、1959の同調査団の派遣、および翌年(1960)のハインリッツの来日が日本での導入・普及につながったのではないかという見方もできるため、詳細を文献等により確認する必要がある。RIKiSekita(会話) 2012年8月8日 (水) 03:28 (UTC)
- 1974-77の3年間産能大からの視察団派遣のなかった理由は。RIKiSekita(会話) 2012年8月9日 (木) 15:48 (UTC)
- 産能大からの派遣はなかったが、玉井正寿氏は渡米していたという資料あり?
- FASTがツリー形式を取るようになったのはいつの時期か。RIKiSekita(会話) 2012年8月9日 (木) 15:48 (UTC)
- 機能系統図は、バイザウェイ、カウフマンにより完成されたFASTダイアグラムがベースになっているのか。
- FASTダイアグラムがツリー形式で記述されるようになったのは、バイザウェイ、カウフマンが玉井正寿の機能系統図にヒントを得たということはないか。
- FAST以外の経緯などを調べるとおそらくバイザウェイ、カウフマンのFASTダイアグラムを元にして機能系統図が開発されたのではないかと考えられるが、調査・検証を進める。RIKiSekita(会話) 2012年8月10日 (金) 00:35 (UTC)