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ノート:狩野川台風/削除

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http://www.tokyo-jma.go.jp/home/shizuoka/pdf/saigai/kanogawa.pdf ↑のコピペですか?



上記外部サイトと見比べてみました。

1)転載の有無の検討

投稿された文章は4つの段落からなっており、外部ページの冒頭にある説明文と似ているのは最初の段落です。

類似部分は3つの文章からなっていて、第一文では台風の発生地と主な特徴を、第二文では上陸の様子を、第三文では台風の被害を理解する上で重要な当時の気象状況を、説明しています。

異同は、「前線」と「秋雨前線」の語が違うほか、「hPa」の後に半角スペースが入るかどうかが違っているほかは、文の区切り、語の選択、記述の順序なども全て同一でした。

これが偶然起こりうるものなのかどうか、というのは僕にはちょっと判断が難しい部分もあるのですが、初版で(おそらくは参考資料として)示されているリンク先の外部ページを見ると、非常に異なった文章になっているので、おそらく誰が書いてもこうなるとは言えないものだろうと思いました。他に、こちらのページにある同台風のなども参考にしました。

また、静岡県のサイト内にあるもので、投稿された方が著作権者である可能性も低そうに思いましたし、見た限りでは許諾を得ての投稿であると考える材料もないように思いました。

2)著作権侵害の可能性の検討

ただ、これらは、思想や感情を直接表現したもの、というよりも事実の記述に終始したもので典型的な著作物としてイメージするものとはちょっと違っています。ですが、過去の判例から、新聞記事など、事実の記述に終始した文章であっても、その内容の取捨選択や配列、表現などについて著作性が認められるということですので、この文章についても、同じように著作性が認められることになる可能性があると思いました。進路の説明の際にどの地名を使うか、気象現象としての狩野川台風の規模、威力、特性などと、それが引き起こした災害、被害とをどのような配分で述べるか、など内容の取捨選択、配列、表現のレベルで創作性を発揮する余地はあるようですし。

ただ、そのように考える場合にひとつ気になるのは、ウィキペディアに投稿された文章は、外部ページ(PDFファイル)よりもずっと長い文章で、内容の取捨選択も全体として見れば大きく異なっている、という点です。この点を重く見れば、そもそも内容の取捨選択においても、配列においても、外部ページとは大きく異なっているし、ひいては表現している思想や感情も異なっているので著作権侵害にならないのではないか、という疑問が出てくると思います。

ですが、これまでに読んだ判例から、そのように全体として異なる思想や感情を表現していても、元になった作品の創作的な表現の本質的な特徴が依然として感得できるような場合には、そこに著作権侵害があるとされる(たとえばある作品のパロディとして全く別の思想を表現する作品を作成した場合に、原作の創作的な表現の本質的な特徴が感得できるなら、そのパロディ作品は原作の著作権を侵害しているとされる)ようですので、やはり、著作権侵害の可能性があるように思いました。

もうひとつ、地方公共団体の著作物なので、何かの事情で自由に利用できるようになっている可能性があるか、ということも調べてみました。ですが、トップページ http://www.pref.shizuoka.jp/ の一番下の部分にある注記によれば、無断転載などは禁止ということなので、それもなさそうに思いました。

投稿された文章は、内容、分量、タグなどがきちんとついていること、などから考えて、いたずらの類ではないと思います。事実を述べた文章であれば著作権では保護されない、と考えたり、政府の発行した文章は著作権フリーだと考えたり、といったよくある勘違いのために起こってしまったことではないかという気もしました。

また、投稿された文章中で、被害規模について述べた部分は、何故か上記の外部ページとは一致せず、投稿文の最後に挙げられたリンク先にあるページの数値と一致します。これも単なるお手軽な転載で投稿をしたわけではなくあれこれ調査をした上で投稿をしたことの表れかと思いました。

以上のようなことをあれこれ考え合わせると、残念ながら、特に何か新しい事実などが明らかにならなければ、削除する方がよいのではないかと思いました。

Tomos 2004年9月10日 (金) 06:55 (UTC)[返信]


上記のコメントは、削除前のものですよね? 本日、再度新規作成いたしました。

HERB 2004年10月16日 (土) 07:25 (UTC)[返信]