ノート:煙害
本文中の表現について(?)
[編集]>パワーハラスメントに類するものであり、本項目では記述しない
これって主観の表明であって微妙に記述と関係ないような気がする。
210.136.182.52 2006年10月22日 (日) 02:27 (UTC)
- いや、パワーハラスメントの一端に過ぎないのなら、何処かの誰かが身近な特定個人を念頭にダラダラ恨み言書き散らすよりも、よっぽど妥当だと思いますが。それ以前にスモークハラスメントという語自体が通俗語・和製英語の域を出ない(英語で「スモーキング」といっても通じない場合がある)以上は、「嫌がる行為の強要」はより社会的認知度の高いパワーハラスメントの項で記述した方が、項目間での記述内容の重複も避けられて良いと思うけど。(ちゃんとリンクもあるんだし)--夜飛 2006年10月22日 (日) 04:40 (UTC)
- >スモークハラスメントという語自体が通俗語・和製英語の域を出ない以上は
「和製英語は項目の名称としない」という公式の規約はありますか?
- >パワーハラスメントの一端に過ぎないのなら
「パワーハラスメントの一端であればパワーハラスメントの項目で記述すべきだ」という主張は「Aの一種であるBはAの項目で記述すべきである」と一般化されます。例えばA=パワーハラスメント、B=アルコールハラスメントを入れた場合についてはどうお考えでしょうか?アルコールハラスメントにはパワーハラスメントと重複する面があります。それについては「パワーハラスメントと関連する側面については記述しない」とアルコールハラスメントの項目に書くことが望ましい、という意見についてはいかがでしょうか。
210.136.182.52 2006年10月22日 (日) 05:36 (UTC)
- 「和製英語は項目の名称としない」というものはありませんが、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか中に「ウィキペディアは字引ではない」と明示されております。これは用語の説明に終始する項目の乱発を防ぐ意図があるようです。その一方ではWikipedia:検証可能性における「独自の調査」を記述しないという方針もあり、ぽっと出の俗語のような歴史的経緯の浅い言葉や、その語の普及を行っている明確な団体なり社会問題として公式に報じられた事が存在しない場合には、どうしても記述者自身の言質に基く格好となって「中立的な視点」からいっても、些か具合の悪いことになりかねません。
- アルコールハラスメントにおけるパワーハラスメントとしての側面は、いちいち列記する必要もないでしょうね。事実アルコールハラスメントの記事内でも「そのような側面を持つ」ことに言及されていますが、だからといってパワーハラスメントに絡む事柄を事細かに記述なんかしている訳ではなく、両問題のボーダーライン上にある事柄までしか言及されておりません。…というか、AB相互の語のパワーバランスからすれば、「一般化」とやらで同等の問題とすることに無理がありそうですが。「混ぜるな危険」っちゅうこつです。--夜飛 2006年10月22日 (日) 06:41 (UTC)
>ぽっと出の俗語のような歴史的経緯の浅い言葉や
手浅いながらGoogleからまいりましたがこのような例では項目に相応しからず不足に過ぎますでしょうか?
>いちいち列記する必要もないでしょうね 言葉足らずながら誤解をさせてしまいお詫びを申しあげます。私の主張は「本項目では記述しない」のような記述者の自分の記述の方針(先ほどこれを主観と書きました)を解説の文中に入れるのは問題があるのではないか、というものです。「スモークハラスメントはパワーハラスメントの一種であるからスモークハラスメントの記述はこの項目に無用である」という見解はまったく妥当な事実ではございません。あの内容は必要だいやこの内容は不要だというのは項目の記述ではなく記述者の(主観的な)意見にございます。例えば喫煙の項目に「ニコ中という言葉は嫌煙者の喫煙者に対する一方的な蔑称であり、本項では解説の平等を期してこのような単語は取り扱わない」という文があればいかが思われますでしょうか。「それは書いた人がどのような記事であるべきかを述べたものであって喫煙と直接関係がない」とお思いになりませんでしょうか。本来はノートに書くことを本文に書いているのではないかと思われます。
210.136.182.52 2006年10月22日 (日) 09:02 (UTC)
- 概念としては嫌煙権運動の一部に過ぎず、また上司が喫煙の是非を求めてNOと言い難いのはパワーハラスメント、してスモークハラスメントからリダイレクトされている煙害の項では「スモークハラスメント」という語を紹介して嫌煙権運動で問題の主題とされる受動喫煙にリンクされている…となれば、それ以上何を望むのでしょう?小生としては現行の記述で何の不都合があるのか、あるいは210.136.182.52さんが何を言いたいのか、ますます訳がわかりません。「ニコ中という(中略)は取り扱わない」という件も意味不明です。そもそもそのような記述は嫌煙ないし嫌煙権運動とは全く別というか、嫌煙権運動を誤解しているかあるいは実情に沿わない嘘の記述であるため、掲載の是非を論じる以前の問題です。現行の煙害にて触れられたスモークハラスメントの記述は必要な項目への誘導という役目を十分果たしており、問題ないと考えている次第です。既に同じ概念のある(しかも既存記事に統合可能な)項目を、単に「表現が違う」というだけで平行して作成する必要もありませんし。Wikipedia:記事名の付け方というガイドラインが策定中ですが、これが参考になるかもしれません。いずれにしても、もっとテーマを具体的に述べてもらえませんか。例えば「『本項目では記述しない』に対して『パワーハラスメントの項があればスモークハラスメントの項は必要無いのか?』と言いたい」とか、「スモークハラスメントにはパワーハラスメント以外の側面がある」とか。--夜飛 2006年10月22日 (日) 09:39 (UTC)
環境たばこ煙の有害性の認識と対策、補償 について
[編集]有害性は科学的に確立された~と言う下りですが、疫学の項目では「疫学のみで病因が明らかになるとはいえない。」とあります。故に疫学を持って相関関係から健康に対する予防医学という形の規制と認識しているのですが、余りに断言しすぎていて少々偏りすぎている気がします。逆にそんな危険な物を喫煙者も非喫煙者も吸うとなれば、売ることを許可する国が訴えられる可能性がありますし。又、無煙化云々も既定事実化されてますが疑問があります。--219.45.7.52 2008年3月18日 (火) 22:50 (UTC)
- 元219.45.7.52ですが、節そのものが禁煙プロパガンダの演説である懸念が有る為、当該の節を削除しました。--山桜桃 2008年4月10日 (木) 05:28 (UTC)