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ノート:無我

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「Template:四向四果」の貼付の必要性について

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無我にはTemplate:四向四果が貼られていますが、同テンプレートのコンテンツのなかで無我の記事内容と直接の関係があるのは、右下の「輪廻から解放」ということのみで、他の事柄は直接の関係はないのではないでしょうか? とすれば、四向四果という枠組みの全体をテンプレートとして無我のなかで表示する必要はないのではないでしょうか。四向四果という枠組みそのものは四向四果の記事で読んでもらえれば充分かと思いますが、いかがでしょうか?--Leonidjp会話2018年9月11日 (火) 07:52 (UTC)[返信]

報告 提案から7日経ちましたが反対意見はありませんでしたので、提案どおり除去しました。--Leonidjp会話2018年9月18日 (火) 08:34 (UTC)[返信]

初期仏教における無我についての編集提案

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パーリ経典の項目の次に下記の文を入れたいと思います。

返信 中村元先生の説なので、「初期仏教」ではなく「中村元による説」という節でお願いします。
  • 中村元における無我の捉え方
  • 中村元における無我とは
  • 無我の概念が有する霊魂的側面(中村説)
  • 中村元における真人の我とは
  • 真実の自己(真人の我)と宇宙の真理との関係(中村説)

以上のような感じで良いのではないかと。 --Ryo 625会話2021年2月24日 (水) 18:44 (UTC)[返信]

場所が上の方にあり、返信の文を見逃していたため、遅れました。本文の概説の中に、『初期仏教においては、物事は互いの条件付けによって成立し存在し(縁起)、無常であり変化し続けるため、「われ」「わがもの」などと考えて固執(我執)してはならず、我執を打破して真実のアートマン、真実の自己を実現すべきとして、「我でない」(非我)と主張された[6]。これは、「我がない」「主体がない」「霊魂がない」ということではなく、「アートマン」「我」「真実の我の姿」「私のもの」という観念が否定的に説かれたと考えるべきである[6][5]。』という文がありますので、初期仏教ということでいいかと思います。翻訳された経文の注釈が出典となっていますので、中村先生以外の方も含まれています。「中村説」なるものから出典したわけではありません。「中村説」という分類が出てくる出典については、理解しておりませんので、中村説という語は使用できないような気がします。ですので、パーリ仏典と、説一切有部の間に初期仏教として入れるのでいいように思います。また、パーリ仏典の成立は長期にわたっていますので、説一切有部と初期仏教をひとくくりにした「パーリ仏典」の項目は、曖昧なようにも感じます。--Tokinokawa会話2021年3月12日 (金) 05:46 (UTC)[返信]
返信 初期仏教についてそのようなコンセンサスがある訳ではないので、記事を修正すべきですね。「真実のアートマンが存在するとする立場」で括って記述すべきでしょう。--Ryo 625会話2021年3月13日 (土) 19:42 (UTC)[返信]
法(仏教)でも書きましたが、中村説という出典の根拠がない以上、中村説という言葉は使用できないと思われます。そうした出典があれば、教えていただきたいと思います。--Tokinokawa会話2021年3月15日 (月) 05:21 (UTC)[返信]
返信 繰り返しになりますが「真実のアートマンが存在するとする立場」と記述すべきです。--Ryo 625会話2021年3月15日 (月) 05:50 (UTC)[返信]
真実のアートマンという語は引用した仏典の翻訳の中に出てきませんので、それについて出典を明確にすることは不可能かと思います。翻訳の中でつかわれているのは、提案の中にでてくる「真人の我」や、「真実の自己」という語になっています。無我という語の元にはアートマンという語がつかわれていたように思いますが、初期の仏典の中では、修行の最初の方で実体的なアートマンは真実と異なっているという認識から、無明を越えてゆくまでのいわば偽りの我というくらいの使われ方しかされていません。自灯明に出てくるように、「自ら」という感じで使われていて、アートマンとは言い難いものがあるように感じます。--Tokinokawa会話2021年3月17日 (水) 11:21 (UTC)[返信]

初期仏教

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初期仏教における無我の捉え方

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無我(非我)についてゴータマは、アートマンが存在するかどうかについての返答を与えなかった場合があった。それは、アートマンが存在しないと説きたかったのではなく、我でもないものを我とみなしてはならないという考え方であり、「われという観念」、「わがものという観念」を排除しようとしたのであるとされている。[1]これは、アートマンが存在しないという思想を構築していたということではなく、アートマンを恒常的なものとして実体視しているウパニシャッドの哲学に対して仏教の側が反対しただけの教説にすぎない、というのがその理由となっている。初期の仏教には不確かな部分があり、「アートマン」は存在しないとは説いていないとされている。[2]「神々(死後天上界に生れるとされた善い行いをした人のこと)並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、〈名称と形態〉(個体)に執着して、これこそ真理であるとしている。」[3]

ゴータマは、「なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、真人となった修行僧は、『わたしが語る』と言ってもいい」と語ったとされる。これは、悟りに達した者は、我(アートマン)は存在すると主張し、議論しても真理からははずれていないとする見解を示したものである。[4]これは、他のいくつかの例と同じように[5]、対機する衆生の心の状態に合わせて説法を行っていたため教理的に不確かな部分が生じる場合があったためであるといえる。これによると、無我ということで修行してきた者は、煩悩の汚れを滅ぼしたのちには、真人の我を頼りとして歩むということになる。

初期仏教における無我とは

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無我における実体のないアートマン的なものという性質から見ると、「無我」については方便的な捉え方がされているので、我が無いと考えるのは一面的であるということができる。[6]

無我の概念が有する霊魂的側面

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当時のインド社会において、通俗的な一般的観念として、解脱とは霊魂が体から脱出して、束縛のない状態におもむくことであるとする見解があり、それはウパニシャッドからヴェーダーンタ学派に至るまで一貫して存していたとされる。あるとき、どうしたら身体から霊魂が解脱することができるでしょうか、と問われたゴータマは、解脱についてのその見解を受け入れ、怒りや怨恨を断ち、悪い欲求と貪りとを断ち切って、妄執を根こそぎ抉り出せば、身体から霊魂が解脱することができると答えたとされる。この場合のゴータマの見解では、霊魂と身体から人間存在はできており、解脱には身体から霊魂が脱け出るという面もあったことが記されている。[7]

肉体に執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに沈没している人のことを、「窟のうちにとどまっている」と表現している[8]が、これは、霊魂またはアートマンが身体の中に入ってとどまっている様を現わしているとされている。この考えはウパニシャドからきており、『アーパスタンバ法典』(第22章4)では、アートマンのことを「窟のうちにとどまる者」と呼んでいる。[9]

迷妄にもとづいて起こる煩悩は何ら存在しなくなり、あらゆることがらについて智見があり、最後の身体をたもち、めでたい無上の悟りを得ること・・・これだけでも人のたましい(霊)は清らかとなるとされた。[10][11][12]

また、涅槃についても、無我的な無余涅槃をしりぞけ、たましいの最上の境地としての有余の涅槃にとどまって、活動してゆくことが目的であるとしていたとされる。 小乗仏教の伝統説では無余涅槃に入ることが修行の目的であったが、ゴータマは無余涅槃に入るという見解は偏見であるとして排斥した。「たましい(霊)の最上の清浄の境地」のうちにあって、多くの人々の幸福のために、世間の人を憐れむために、清浄な行いを存続してゆくことが目的であるとした。[13]有余の涅槃だけでも人のたましい(霊)は清らかとなるけれども、その上に立って人類を救済してゆくことが、修行の目的であると考えていたようである。[14]

初期仏教における真人の我とは

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初期においては、ゴータマが説法することを「梵輪をまわす」と呼んでいた。これは古ウパニシャッドからきており、宇宙の真理を悟った人が説法をするという意味があるとされる。[15]ウパニシャドでは、ブラフマンとは宇宙の最高原理とみなされており、この最高原理が人格的に表象されたものがブラフマーであり、創造神とされていた。ブラフマンは大宇宙的概念であり、アートマンは小宇宙的概念とする見方もある。[16]後代になって、アートマンの小宇宙的概念が否定されるのと同じように、ブラフマンの大宇宙的概念も不明確なものとなったようであるが、初期の仏典の中には、「永遠の法」として登場している場面もある。[17]

真実の自己を探求するということが、原始仏教修行者の目的であったとされている。[18]

真実の自己(真人の我)と宇宙の真理との関係

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サンユッタ・ニカーヤⅡにおいて「わたしは、わたしが悟ったこの理法を尊び、敬い、たよって暮らしたらどうだろう」という経文は、ダルマがブッダよりも上位に位置する最高原理とみなされており、ゴータマの悟りは、本来ダルマに準拠するものであるとされている。[19]

後代の仏教(アッサムやスリランカ)で、ダルマが人格神のように見なされるに至った源泉として、「理法(ダンマ)は、実に、理法を実践する人を護る。理法をよく実践するならば、幸せをもたらす」(テーラガーター 303)の句があるとされる。ここでは、理法(ダンマ)がほとんど人格視されているとされる。[20]

如来とは、如(真実)からあらわれ出た(来)者とされる。元来如来とは、仏教やジャイナ教などの、非バラモン的宗教において「完全な人格者」「すぐれた修行者」をさして用いられた。ゴータマの自称として用いられている場合もある。[21]自称として用いられている場合には、宇宙の真実からあらわれ出た(非実体的な)人格的存在と解釈することができるので、煩悩の汚れを滅ぼしたのちにおける、無我とは異なる真人の我と見ることができる。

--Tokinokawa会話) 2021年2月18日 (木) 00:37 (UTC)--Tokinokawa会話) 2021年2月18日 (木) 01:40 (UTC)  本文に移行しました。--Tokinokawa会話2021年3月20日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

脚注

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  1. ^ (中村元著『佛教語大辞典』より) 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P20無我の項目上村勝彦
  2. ^ 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P20上村勝彦
  3. ^ スッタニパータ756
  4. ^ 『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P248 第1篇第3章第5節注 中村元
  5. ^ 『スッタニパータ』の例としては、1084~1087において、ある者には、解脱を求めよと説き、ある者には、1088~1091において、解脱というものはないと説いていることがあげられている。岩波書店『仏典を読む1仏陀の生涯』2017年 P50 中村元 (前田専學 監修)
  6. ^ 非我というものに近いようでもあるし、真理に到達していない時節における我、無明しか見えないときの我、と見ることができる。
  7. ^ 『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P250 第1篇第3章第9節の注 中村元
  8. ^ スッタニパータ 772
  9. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P379  注772 中村元
  10. ^ スッタニパータ 478
  11. ^ ゴータマは人間のうちに存する霊的なものを考えていた。『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P395  注875 中村元
  12. ^ アートマンと同じように、霊魂についても、悟りを得た時にはじめて清められる(真人的なもの・実存的なものとなる)とされるならば、肉体という窟にとどまる実体のない非我のようなものが、忍土の中で、内外からくる無明の闇にのまれている、というように見ることができる。
  13. ^ ゴータマは無余涅槃を排斥した。『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P395注875 中村元
  14. ^ 当時のインド思想にはめずらしく、人間全体は人類であることが強調されている。『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P356  注607 中村元
  15. ^ ウパニシャッドの言葉であっても、現存パーリ仏典よりも内容や言葉はかなり古いものをうけている。『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P136 中村元
  16. ^ 『世界の名著1 バラモン経典 原始仏典』中公バックス 昭和54年 P22 インド思想の潮流の項目 長尾正人 服部正明
  17. ^ 永遠の法とは、永遠の理法を意味している。『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P254 第1篇第4章第2節の注5 中村元
  18. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P244 中村元
  19. ^ 『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤⅡ』岩波書店1986年P339第Ⅵ編第1章第2節注8中村元
  20. ^ 『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店1982年 P252注303 中村元
  21. ^ 『原始仏典Ⅱ相応部経典第2巻』P594 第1篇注47 春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳