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ノート:無外流

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各会へのリンクくらいいいんじゃないの?道統の解釈が結構違うのね。

別にいいんですが、「無外流」となんの関係もない会は外すべし。 勝手に「無外流」の名前を使うだけで流派と言えないので、混乱を避けるために、無外流の派だけは載せるべし。 流派として認められる条件は当然、その流派の指導的立場にいる先生は教えられる許可を持っていらっしゃることだ。例えば流派の先生から免許を頂戴する等。 そうじゃない場合は幾ら「無外流」と名乗っていても、300年以上も前から続いている無外流にならん。 古流は現代スポーツ等と違うんだ。先生から弟子に。そうやって流派は伝承される。 それが伝えられないと無外流だけではなく、全ての武道が困る。

ふうん、それで一つだけ載せるのがまずいのね。Isoukaiさん、じゃなくてIaidouさん、おたくの師範は誰に免許をもらったの? あなたがこの宣伝合戦の仕掛人みたいだけど、それを説明できれば万事解決じゃない?(Gettan)


書き込み:Iaidou

Renfielfさんは、派と流の定義の違いを混同してしまっているようです。「居想無外流」が「無外流居合兵道」の派であるならば、「無外流居合兵道」の何人かおられる宗家筋から免許を受けて行うべきですが、「居想無外流」は新流派であると定義している通り、「無外流居合兵道」の派ではありません。 居合、剣術の歴史は、流儀を継承して派として受け継がれたものや、新しく流派を興し発展していったものなど様々です。幕末期の仙台藩には63もの○○流があった事実からもそうした時代背景が偲ばれますし、近年の例では千葉周作が中西一刀流から独立して北辰一刀流を興した例が分かりやすいでしょう。 「無外流居合兵道」は、この項においてどなたかが書かれた「中川申一が開いた新流派」との解釈の通り、また、高橋派無外流の高橋秀三の残した「無外流」の映像との比較からも「無外流」の流れを一部残した昭和の新流派であり、「居想無外流」は「無外流居合兵道」で失われた古流の「無外流」を再生すべく興された平成の新流派です。現在「居想無外流」では、こうした趣旨に賛同した150人の方達が稽古、研究に勤しんでおります。 さて、この項目は辻月丹の興した「無外流」の説明が主であり、「無外流居合兵道」と「居想無外流」は現代において流れを汲むものとして紹介する形がウィキペディア趣旨に沿った掲載方法かと思います。 私が「無外流居合を行う主な団体」として全国で無外流居合をしている会を紹介したものが、いつの間にか「無外流居合各会派」と書き換えられ、公共性を欠くものになってしまったことは残念です。この部分が一部の会の主観的判断による思惑から、何度も書き換えられている要因ともなり、様々な人の知恵により、より正確な百科事典を作り上げてゆく方向から逸脱してゆく心配が生じましたので、下記の通り対処いたしました。

2006年4月5日の「Himazin」さんの書いたものから、私の書き加えた「無外流居合を行う主な団体」を削除して編集させていただきました。


説明は丁寧だが、根本的に間違っている。武道、特に居合や剣術の流派として「無外」という二文字を使う権利がある人は限られている:免許を頂戴した先生のみになる。 「居想会」は勝手に新流派を作ってもかまわないが、無外流の免許を持つ先生が無外流に基づいている新流派を創設する以外、「居想無外流」の「無外」という文字を使う権利はない。 居想流でも何流でもOKだが、無外と言う文字を使うと無外流から伝承されると思わせるが、いうまでもなく無外流を伝承することが出来るのは免許を持つ先生から弟子へという方法のみ。 何本のビデオや本をみても、幾ら古い書き物を研究しても、無外流は伝承されない。 古流武道の基本だ。 -Renfield


書き込み:Iaidou

「無外流を伝承できるのは免許を持つ先生から弟子」としているが、無外流そのものは江戸時代に失伝しているので、事実上それは不可能です。「居想無外流」は、新流派の「無外流居合兵道」を継承しているのではないのです。 また、Renfieldさんは正しい系譜にこだわっているようですが、「無外流居合兵道」について調べてみると分かりますが、流祖の中川申一先生から現在の継承者と呼ばれる人たちの作成する系譜が、会派によってそれぞれ違います。多分自分の都合の良い様にねつ造している人物がいるのでしょう。それこそRenfieldのおっしゃる「古武道の基本」が「無外流居合兵道」において蔑ろにされています。こん辺りの事も事実に基づきウィキペディアに書きたいのですが、議論噴出しそうなので、時間のゆっくりとれそうなときにと思っています。Renfieldさんも情報をお持ちなら、その時もぜひご協力ください。客観的な百科事典となるようがんばりましょう。

俺は何処にも「無外流居合兵道」と書いていない。話はかなり簡単だ: 存在されている「無外流」の流派は幾つかある。その流派の免許を持たない人物が新たな「無外流」って名乗る流派を作っても「無外流」にならん。立派な居合であっても、熱心に稽古しても、無外流ではない。だから、「無外流」って名乗るは無礼だ。それだけ。 -renfield


3点提案。まず、「居想無外流」がNGってことはほぼ合意でいいかな。(Iaidouさん、自分で「居想無外流」の項、消してくれたのね。ありがと) 次は中川先生の門下を無外流に含めるか否か。おいら日本剣道連盟の所属だけど、先生の先生のころから無外流は無外流だよ。ちなみに、そのまた先生が中川先生。全居連っていう居合専門の団体でも状況は同じ。高橋-中川の継承については、異議を申し立てるほうに挙証責任を求めたいんだけどダメかな。だって異議のある人の台詞って同じなんだよ。高橋先生のお孫さんが「継承してない」って言ってたという又聞きの又聞きのコピペばっか。そもそもお孫さん(剣連なんだけどね)はホントに継承してるのかって事に関する立証がなされてないわけだし・・・。 最後に資料について。おいらの手元には中川先生と塩川先生の本があるが、wikiの本文とは微妙に違うんだよね。直すときは出典書いたほうがいいかな?--Gettan 2006年4月26日 (水) 05:51 (UTC)[返信]

「居想無外流」をNGとすることに賛成です。同記事のノートによると
>「居想無外流」を名乗るようになったのが2006年とのことで、百科事典として取り上げるのは時期尚早な上、外部リンク[1]にてウィキペディアを宣伝利用している記述を確認したため、即時削除しました。
とありましたし。
「中川先生の門下を無外流に含めるか否か」については、無外流居合兵道を別項目にするかどうかという意味でしょうか?
また「高橋-中川の継承については、異議を申し立てるほうに挙証責任を求めたい」については、中川先生の系統では何か継承を証明するものがあるのでしょうか?私は他流の者ですので、流儀を継承したのが中川申一先生と高橋秀三先生のどちらなのかはわかりませんが、高橋先生の系統の側のみに挙証責任を求めるのもどうかと思いますので。210.159.251.30 2006年4月29日 (土) 07:15 (UTC)[返信]

もうみんな書かないのかな? 挙証責任に関しては、「否定するなら、否定する側が証明せよ」ってこと。今現在、無外流として認知されている中川系に対して、「中川先生は道統を継いでない」「中川先生とその門下は“新流派”である」との論理を展開したいなら、相応の証拠を出せばいい。おいらを含む中川系の人間は誰も「高橋秀三氏の無外流は偽物」なんて言ってないんだから。 履歴を一通り確認してみたけど、今の本文に以下を書き加えることを提案する。 本文最後に「中川士龍を無外流中興の祖と位置づける一派がいる一方で、高橋赳太郎の親族を正当な継承者と考える派も一部に残っている。」と追加。道統に関する見解が各派で違うから、情報として無外流各派へのリンクを付記。高橋秀三先生のとこは見つからなかったが、あったらこれに加えても問題なし。騒動の発端となった「居想無外流」はNG。 公平・公正を意識したつもりだけど・・・ 請う反論・対案(なければこれで決まっちゃうよ)。--Gettan 2006年5月11日 (木) 08:19 (UTC)[返信]


中川先生が無外流を継承しているか否かについてですが、「無外流居合兵道解説」の河野百錬識の序文の中で、「中川氏は〜無外流居合の道統を継承し」とありますので、否定的な資料が出てこなければ、中川先生も高橋派の無外流を継承した人の一人ではと思います。 しかし、だからといって中川先生が「無外流の中興の祖」というような、無外流居合兵道が無外流そのものであるような誤解を生む記述はいかがと思います。

昭和13年に出版した中川氏の著書である「無外全書」の高橋赳太郎の演武する無外流居合(自鏡流)と昭和34年に出版した同氏の著書「無外流居合兵道解説」での自身による演武では、素人が見ても違う物になっているからです。 また、高橋秀三が映像として残した居合と現在の無外流居合兵道の形の違いを見ても明らかでしょう。 中川氏の「無外流居合兵道」は古流の特徴的な動きが無く、現代居合であり。これは古流を稽古するものならば誰でも分かります。 従って、もし書き加えるならば、「無外流居合兵道は、中川先生が無外流を参考にして作った新流派である」とするのが正しいでしょう。 まあ、現状でよろしいと思いますけれど。

次に、「無外流各派へのリンクを付記」というのは止めた方がよろしいでしょう。「無外流居合兵道」は「無外流」ではないのですから、それこそ誤解を生みます。また、中川先生以降の系譜も各派それぞれで、無外流を調べる人にとって混乱します。PR的な情報を載せる以前に、まず「無外流居合兵道」をやっている方達は、その系譜ぐらい統一するよう努めるのが先でしょう。B Himeji