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ノート:火葬場

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2005年8月10日 (水) 00:23の編集に関するメモ

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  1. 焼却炉風ってのはちょっと避けたい表現だなあと思った。
  2. 煙突がなくなりつつある理由のうち近隣住民の要求のところは、ススや臭気の問題じゃないと思う(それらは技術的進歩によって改善された。はきりとはかかれていないが、直前に記述がある)。やっぱ「火葬場がそばにある」ということをいやがる感情的な理由によるものだと思う。

-- 2005年8月10日 (水) 00:26 Nekosuki600

ちょっとだけ補足

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 実際の火葬方法は、従来は重油によるバーナー(火炎放射器のようなもの)により直に焼くという方法が多かったようだが、現在は灯油や電気によるオーブン様な焼き方に変わってきている。こちらの方がクリーンかつ焼き上がりがきれいというメリット(?)があるが、遺骨の多くが原形を留めてしまうため、骨壷に入れるのが大変だとか…。

--2005年10月31日 (月) 22:41 203.136.197.167

いや、今も火炎放射器みたいなバーナーが主流だと思いますよ。燃料は灯油やガスも使われていますけれども。電気炉というのは一般化してないんとちゃうかなあ。
中央の黄色いパイプがつながっているのがバーナー。
中央正面がバーナー穴。左右がのぞき穴で、下の横長のものがデレッキ穴。
遺骨をきれいに残す温度管理の精度があがってきたということだと思います。その制御系は、こんな感じです。
いずれも東京臨海斎場のもの。バーナーは一基とは限らずツインバーナーなんてのもあったはずです。
--Nekosuki600 2006年9月22日 (金) 05:11 (UTC)[返信]

つけたし

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最初の項目ですでに署名忘れが生じているというみっともない状況に気づいたので履歴から足した。申しわけございません(=^_^;=)。

--Nekosuki600 2005年10月31日 (月) 14:03 (UTC)[返信]

近々の編集に関して

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よその葬儀関連のサイトでですが、内容にかなり問題があるという指摘があり、大幅に直させてもらいました。で、加筆する前に根拠を示していただきたいし、また加筆する場合内容のバランスについての検討をしていただきたい。

いくつか具体的な誤謬を指摘。

「成立の意義と背景」について、いきなり「都市における土葬での墓地確保」「疫病の拡大防止」が理由として挙げられているが、それはかなり後年になってからの事情。特に宗教的観点について言及がないことがバランスを失している。都市でのみ火葬が行われたわけではなく、疫病が流行ったときに火葬が行われたわけでもない。

専門職の有無について、「東北地方では穢れ概念が薄く火葬専門職が誕生しなかった」というのは誤認。近畿地方でも家族が火葬を行うケースはあり、常に専門職が行ったわけではない。また、東北地方に火葬が普及したのはごく最近(高度経済成長期以降)のことであり、そもそも火葬を行わないことが多かったため、家族が火葬を行うということもなかった(墓堀などを家族が行うということは、今でも時折行われているが)。

残骨灰の処理について、現在では海中投棄はなされていないはずである。過去にはそういう例があったようだが、言及するのであれば時期の確認などが必要だろう(火葬場という項目にその言及が必要であるかどうかというと、疑問だが)。

ま、その他もろもろ。

熱意は買うのだが、おそらく地域的・歴史的に限られた文献から情報を拾い出して加筆しているのではないか。それぞれの参考にした文献の扱い範囲や、その文献に基づいてどこまで断言できるのかといった判断について、熟慮することを期待したい。

--Nekosuki600 2006年9月17日 (日) 12:18 (UTC)[返信]

つけたし。Wikipediaに不慣れだが葬送儀礼や火葬について詳しいひとからの伝言。

ハンセン氏病隔離施設の運営に、不適切なハンセン氏病観があったということは前提とする(ここでは個々の不適切さには言及しない)。

療養所内での火葬は、入園者によっても行われたが、後年では正職員が火葬業務を行っており、入園者が延々と命じられて火葬をやらされていたという印象を与える文言は不適切。

設置の理由としては、「周辺に利用できる火葬場がなかった」という事情が大きいとのことである。「隔離」が原因であることは確かだが、「近隣の一般市民用火葬場の利用を断られた」というわけではないらしい。サナトリウム併設火葬場などにも同様の事情による院内火葬場があったのではないかという指摘もある。その証左として、大島青松園の火葬施設は、近代的施設に改装された上で、現在も使われているとのこと。

--Nekosuki600 2006年9月17日 (日) 17:24 (UTC)[返信]

私の書き込みを相当部分削除されてしまいました。
>熱意は買うのだが、おそらく地域的・歴史的に限られた文献から情報を拾い出して加筆しているのではないか。それぞれの参考にした文献の扱い範囲や、その文献に基づいてどこまで断言できるのかといった判断について、熟慮することを期待したい。
というのは、上記Nekosuki600氏の記述にも言えることと思います。一例をもって私の記述を否定するのはいかがでしょうか。
たとえば、「入園者が延々と命じられて火葬をやらされていたという印象を与える文言は不適切」というが、事実であり、これがハンセン病問題をみる場合の本質です。そうでない例外を挙げてもあまり意味のないことです。火葬場創成の事由と考えられる、墓地用地確保の問題、疫病死者の焼却についても、それを否定して削除するなら、それに代わる火葬場成立の背景に関する説を挙げてみてください。まさか浄土真宗による火葬の推奨ですか?ここは百科事典なのですから、象徴的・特徴的な事例・仮説を挙げるのも読者の便に供する上で大切です。確かに私の文章には、5w1hが欠けるところがありましたが、消すことはないでしょう。
大学生のレポートを評価する教員のような物言いは非礼ではないでしょうか。先に執筆してきた人間に対し、もう少し敬意を払ったらどうでしょう。否定して消去するのではなく、(よほどの珍説奇説でない限り)アレンジして残すのが、筋でしょう。あまりウィキペディアには慣れておられないそうですが、これは重要な姿勢だと思いますし、私はそうしてきたつもりです。少し厳しい言い方になりましたが、ぜひご一考下されたく思います。--タビックスJapan 2006年9月22日 (金) 02:45 (UTC)[返信]
まず本項目は「火葬場」の項目なんでして、ハンセン氏病問題について力説する場ではありません。ハンセン氏病差別について力説をしたいのならば、もっと適切な項目を探して行うべきです。内容についても、「命じられて」行っていたとは限らず志願があったという記録もありますし、そもそも当時の社会環境では現在のように「専門職の火葬従事者が常にいてそこに丸投げするのが通例だったが、ハンセン氏病隔離施設の火葬場では違っていた」ということではなく、一般の火葬場でも遺族や地元住民が火葬に従事するということが普通にあったのであり、自分たちで火葬をするということは珍しいことではなかった(この習俗は、たとえば北勢地方などでは、現在も続いています)。よって、「自分たちで火葬をせざるを得なかった」ということは、差別を象徴する現象ではありません。ハンセン氏病患者への深刻な差別があったことを否定するものではありませんが、「自分たちで火葬をやらされていたこと」を差別の一例とするのはかなり深刻に不適切であり、都市部などの業務的火葬場からはじまった現在における一般的火葬習俗を不用意に過去にあてはめて差別を強調した記述であると言わざるを得ません。
火葬場創生の理由は、墓地用地の確保でも疫病死者の焼却でもありません。仏教に基づく宗教的な要因です。これは平安時代から始まったもので、平安時代には墓地用地が足らなかったなどということはなく、そもそも都市なんてもんはほとんど存在しませんでした。疫病についても、穢れ思想こそありましたが、疫学的知見がなかったのですから、疫学的な意味で火葬が推進されたということはあり得ません(疫病流行時に集団的火葬が行われたという事例を否定するものではありません。通例は放置されていた遺体を集団的火葬に附した理由は不明ですが、逆に言えば疫学的見地から火葬が行われたという根拠もない)。墓地ごとに火葬場が存する地域というのもありますが、そういう火葬場が残されている場所は農村地帯であり、墓地用地の問題があったとは考えられません(集落火葬場は関西・北陸に多く、同様の立地の農村であっても関東・東北には存在しません。関西・北陸で墓地用地が逼迫しており、関東・東北では逼迫していなかったということが言えるのでしょうか)。あなたがいつの時代のどこの場所の火葬について述べているのか、またどいう歴史的認識があって書いているのか、申しわけないんですが、ぼくにはわかりません。
百科事典などにおいては、「わかっていることを書く」ことが重要であるほか、「わかっていないことは書かない」「説が分かれるものについて特定の説を強調しない」「不用意に狭い適用範囲しかない知見を一般化しない」というバランス感覚も重要です。申しわけないのだが、タビックスJapanさんの記述は、「あり得ないことを書いている」「バランスを逸している」といった問題点があります。
葬送儀礼などについては、全国各地でさまざまな歴史があり、習俗があります。それを包括的に記述することを求められた場合には、かなり抑えて記述する必要があるでしょう。タビックスJapanさんの編集には多々不適切な点がみられ、そのまま存置しておくことはできないというのがわたしの判断であり、またわたしに助言をしてくれた葬儀研究者・葬儀マニアの判断でもあります。たいへん申しわけないのだが、そういうことで。--Nekosuki600 2006年9月22日 (金) 04:12 (UTC)[返信]
所用により半年ほど空けていました。留守の間に「あり得ないことを書いている」「バランスを逸している」「多々不適切な点がみられ、そのまま存置しておくことはできない」などと、例によって散々ないわれようですね(苦笑)。Nekosuki600さんがどれほどご高名な方かは存じませんが、それこそ“看過”できませんので、追記します。なおNekosuki600さんは、周囲に「助言をしてくれた葬儀研究者・葬儀マニア」がいるとのことですが、当方にもそのような方がいますので、どうぞご安心下さい。
まず「火葬が仏教に基づく宗教的な要因」と断ずる点。確かに『続日本紀』によれば道昭の荼毘が初出です。ただ、仏教はあくまで導入・端緒にすぎないはずです。その証拠に、奈良期から火葬が定着するわけですが、一方で仏教者の葬儀あるいは篤信の信者の葬儀に火葬が必然的に伴っていなかったことも明確です。たしかに火葬骨の出土は古代の都城(平城京・平安京)周辺のみならず、農村部でもみられます(武蔵国南部の例は川崎市民ミュージアムでみることができます)。ただし、主として近世寺檀制の成立で仏教が津々浦々に浸透することになっても、古代はもとより、中近世も一貫して農村部では土葬が主であり、都市部では火葬でした。中世鎌倉でヤグラが発達したのは、市中での墓地の造営が禁止されたために、山の斜面に横穴を掘らざるをえなかったためです。そしてその多くで火葬骨がみられます。明治期になって政府が神道に基づいて火葬を禁じた際に反対論が噴出して撤回することとなったのも、宗教的観念からではなく、墓地確保の視点からでした。したがって火葬を是とする仏教論理は、あくまで「後付け」にすぎず、実態としては墓域が都市空間を浸食・占拠することに対する方策として都市部で採用されたとみるべきです。むろん、このことは、主として仏教信仰から(特に浄土真宗篤信地帯では)火葬が採用された例を否定するものではありません。その場合でも、瀬戸内海沿岸の地域の事例は、やはり墓地用地の問題が背後にあることは否めません。また、疫学的観点から死体を焼却したわけではない、とのことですが、疫病死した死体を焼却することは穢れ除去の意味から有効であり、それが結果として疫学的にも意味を成しています。すなわち経験則としてとらえることができます。ゆえに当時の人々の見地、という視点からではなく、都市が自律的に有する作用といえると思われます。
2001年5月11日の熊本地裁での国家賠償請求訴訟の判決文[1]では、「非人道的処置」という項目で「療養所は、一たび収容した患者が外に出ることを許さず、そこで命を終えさせることを目的とした収容所であった。極めて貧しい医療体制、極端に足りない職員、収容した患者によって賄われることを前提とした運営、療養所内に設置された火葬場、納骨堂、各宗教団体の施設の存在が、療養所の閉塞性、自己完結性をあらわにしている」と述べています。これによらずとも、ハンセン病研究者の中では、園内の火葬場の存在は、患者のおかれた立場を端的に示す象徴として扱われています。Nekosuki600さんは「ハンセン氏病差別について力説をしたいのならば、もっと適切な項目を探して行うべきです」として切り捨てますが、むしろこうした小さな事例こそが、百科事典の取り上げるべき、火葬場の本質を照射するものです。どの療養所にも必ず火葬場が附設されていた事実は重いものです。そもそも「力説」といわれるほど無駄に行数を費やしてはいなかったはずですが…。また「近くに火葬場がなかった」からということは、むしろ「火葬文化がなかったのに、患者に対しては火葬が強要された」ということの裏返しです。「自分たちで火葬をせざるを得なかったということは、差別を象徴する現象ではありません」との言ですが、なぜ職員の業務ではなかったのでしょう。[2]によれば、「もう逃げたいような気持ちでしょうけれど、この世の中で最もいやな仕事でしょうけれど、やらざるを得なかった」とあります。これが、専業従事者でなく親族による火葬(北勢の例だけでなく岩手県、福井県、大阪府など東西を問わず各地に事例が見られますが)とは質的に違うことは明らかです。その際にごくわずかな労賃が介在するとしても、です。
とにかく、私の記述した文章に問題があるのなら、まずノートで議論していろいろな方から広く意見・反論を募り、そこで合意を形成してから削除していただけませんか。いきなり削除するのは他の執筆者に対するマナー違反だと思うのですが、いかがでしょうか。ほかのページをみても、ある執筆者が「偏っている」と判断した命題には、削除ではなく、反命題を補足していく形態が、通常のスタイルのようです。バランスうんぬんはNekosuki600さんが判断することではなく、それを読み解く読者が判断することです。ほかにも細部に亘り反論はありますが以上です。--タビックスJapan 2007年3月21日 (水) 21:05 (UTC)[返信]
ああ、おかえりなさい。では、逐次行きます。
1.火葬の理由
古代における火葬の個別具体的な理由は、衛生的観念などによるものではなく、あえて言うなら「地域的な流行・習俗」によるものだったのではないでしょうか。おおまかなトレンドはあったにせよ、衛生的観念などが影響する余地はなかったはずです(だって、そもそも中世以前に現代的な衛生思想に類似した概念はなかったのですから)。
2.火葬の分布について
「古代はもとより、中近世も一貫して農村部では土葬が主であり、都市部では火葬でした」というのはどこの話なのであるかと。東北ではそれなりの都市でも一般に土葬が行われ続けていましたし、関西ではかなりの農村部でも一般に火葬が行われてきました。日本なんて国がまとまったのは明治も中期以降の話であり、江戸時代までは明確に「穏やかな連携を持つ連邦国家」でありそれぞれの藩王国で習俗は違っていたのですから、まとめて説明をすることができるわけがありません。火葬史以前に日本史についての認識のあたりで問題があるのではなかろうかと思います。
3.ハンセン氏病の件
ハンセン氏病研究者が日本史に詳しいとは限りませんでしょう。たとえばの話、「どの療養所にも必ず火葬場が附設されていた事実は重いものです」と仰いますが、それは「どの集落にも、へたすりゃ墓地単位に、火葬場が置かれていた」という地方(たとえば北勢地方)の事例と見比べれば、療養所単位で火葬場があったことが即座に差別を象徴するものであるかどうかは疑問だということが明確になるでしょう(差別があったとすれば、それはハンセン病患者に強制して独自の集落を作りそこにおしこめたことが差別なのであり、火葬場があったことはその反射効にすぎない)。このあたりも、現代の「それなりの規模の集約火葬場があり、そこには専門職がいて、もっぱら火葬にのみ従事している」というサービス業としての火葬を念頭に置いた現代視点が色濃く影響しているように思われます。そしてそれは、ハンセン氏病研究者の方々が俯瞰的日本史や郷土史に詳しくないことが影響しての誤認である可能性も少なからずあろうかと存じます。
「私の記述した文章に問題があるのなら、まずノートで議論していろいろな方から広く意見・反論を募り、そこで合意を形成してから削除していただけませんか」については、拒否します。それを言うなら、「加筆をする前にノートで議論をして合意を形成しろ」と言っても等価ですし、あなたはそれをやっていなかったのですから。「いきなり削除」も「いきなり加筆」も、有害性・有益性のいずれの見地をもひっくるめて、まあ同じことです。
議論をするにやぶさかではありませんが、「現代POV(POV=視点のこと)」「地域POV」などについてあまり自覚がない方に、その自覚を促すところまでおつきあいをすることは、ちょっと保証はいたしかねるというのが率直なところです。それは、ある意味「気づき」の問題であり、自発的に自分の視点を客観視するといったプロセスを経なければわからない。そしてそのことは「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という箴言も指摘しているように、他者が教えられるようなことではないのですから。--Nekosuki600 2007年4月5日 (木) 17:29 (UTC)[返信]
タビックスJapanさんの重大な間違いについては、この上にコメントアウトで書いてありますので、必要ならばお読みください。おそらく、この指摘はかなり痛いものだと思いますので、あえて表には書きません。で、今回はそれとは別の話だ。
ハンセン氏病の方々がどう思っていたか・どう表現したか、という点については、調査報告書には一定の信頼を置くことができます。まあ、そのように思っており、そのようにヒアリングで述べた調査対象者の方がいたのでしょう。
しかし、その調査対象者の方の認識が正しかったかどうかというのは、「そう述べたという事実が正しかったかどうか」というのとは、別論です。その方は、日本全国の民俗・習俗について詳しかったわけではない可能性があり、「それが特段に異常な出来事だったのかどうか」を判断するに足りる知識はお持ちではなかった可能性があります(隔離政策のせいもあり、その蓋然性は高い)。そして、そうであった場合、「ひどい扱いをされた」という主観が、必ずしも「ことさらにひどい扱いをした」ことの立証には、つながらないのです。このあたり、たとえば裁判なんかで「『証人がこう述べた』という事実」が必ずしも「事実そうだった」ということを意味しないのと同じようなものでしょう。
このハンセン氏病関連の部分で、タビックスJapanさんは「調査対象者がそう述べたのは事実である」と主張しているように見えます。おれはそれについては否定していません。その上で、「述べられた内容の評価という点で疑義がある」ということを指摘しているのです。ヒアリング調査は、別段「聞き取った内容の正確さを保証する」ものではないのですから。
ある意味なんですね、ご紹介いただいた報告書ですが、まあ報告書が目指す目的という意味では合目的的なのかもしれませんが、少なくとも葬送儀礼に関する記述については報告書作成者の民俗に関する無知や現代からの不適切な断罪が目立ち、あまりクォリティが高いとは言えないと、おれは判断しました。日弁連ともあろうものが差別の玉突き事故を起こすようなことを言ってどうするんじゃい、と思ったりもしました。日弁連の活動には、敬意を表すべきものが多々あるとも思っているのですが、それにしても配慮が不足している、と。もしあなたがこの報告書の作成などにかかわっていたりするのならば、この指摘を受けて、報告書の見直しなどをしていただくわけにはいかないだろうか。そんなことまで思いました。そのくらい、ヒドい部分があります。
いずれにせよなんですな。そういった葬送儀礼に対する無理解をベースとして「火葬場」という項目に手を入れるのは、切実に、かんべんしていただきたいです。よろしくご検討ください。--Nekosuki600 2007年4月17日 (火) 17:27 (UTC)[返信]

2007/11/02あたりの編集に関して

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以下、とりあえず削除させてもらいました。

東京都や埼玉県の民間企業が運営する火葬場では、「最上等」・「特別室」・「特別殯館」と3種類の火葬炉が準備され、予算や葬儀の規模に応じて選択出来るようになっている(特別殯館がない火葬場もある)。現在は最上等という名称が最も経済的な火葬炉である。これは現在の火葬場の改築前、最上等の下に「上等」・「中等」と言った、より簡素な設備をもった火葬炉が存在した時の名残である。
「特別室」・「特別殯館」には専用の炉前ホールや収骨室が設けられ、政界やあらゆる業界の第一線で活躍した故人との最後の別れに使われることが多い。隣の火葬炉との間隔も広く、大勢の遺族や親類で見送る時や、他の葬家の目を気にしないで利用したい遺族に配慮している。炉の外側の化粧扉や炉前ホールなどの内装のグレードを高くしているため、料金設定も最上等に比べるとおよそ2倍から4倍の金額に設定されている。そのため、これらの炉の利用がない日もある。火葬の手順は最上等とほぼ同じである。しかし予約の際、最上等の炉で荼毘に付したくても、告別式の日取りに友引が絡んだり、菩提寺の僧侶の日程などの理由で希望の日時に空きがない場合、止むを得ずその上の火葬炉を利用する葬家も少なからずいる。

理由を、説明します。まず第一段落。

  1. 冒頭部分に限定があるとはいえ、葬送儀礼のように地域的格差が大きいものについて、東京都・埼玉県の、しかも民間企業運営火葬場の事例のみに基づいて、等級設定についての情報を記すことは、問題が大きいと思った。
  2. 等級呼称について、たとえば「下等、という等級は過去ひとつもなかった、ということが言えるのか」、また「上等・中等があったとして、現在の最上等が過去の上等の上に位置すると言えるのか」というあたりに疑問がある(前者疑問については、これは悪魔の証明を求めるものであり、書き方の問題だとも言えるかもしれない。後者疑問については、意味のインフレなのか実際にシフトが起きたのかは、微妙だ)。

第二段落は、第一段落をふまえての記述となっているため、第一段落だけを削除するというのは不整合を引き起こすため、道連れ。

たいへんお手数で申し訳ないが、この情報をどうしても記したいなら、上記の問題をかたづけて、改めてテキストを練ってはもらえないだろうか。--Nekosuki600 2007年11月3日 (土) 15:12 (UTC)[返信]

初めまして、投稿したKAZUと申します。
まず等級についてですが、1980年(昭和55年)に私の祖父が他界した際、東京博善の落合斎場の最上等で荼毘に付したのですが、当時の料金表を見ると、最上等は高い金額の位置にあったこと覚えています。改築前の火葬棟では8基の火葬炉が存在し、最上等が4基(後に2基が特別室に改装)、上等が3基、中等が1基設置されていました。また、同じ系列である代々幡斎場では改築前、特別室が2基、最上等が4基、上等が4基、中等が2基ありました。
次に止むを得ない理由で上の等級の利用がある記述ですが、実際身内での急な不幸の際、友引が近く最上等が満杯で特別室を利用しましたし、別の喪家では葬儀社の手違いで到着時間をミスってしまい、最上等の予約のはずが特別殯館を使わざるを得なかった様子を見たことがありました。
投稿文全てがRevertされてしまったのは正直予想外であり、少し驚いております。でも、すぐさまこれに近い文章で再度投稿しようとは考えておりません。
ただ、この程度のデータでは信用してもらえないかも知れませんが、全くの架空話を投稿したのでは無いと言うことはご理解頂きたいと思います。--KAZU 2007年11月4日 (日) 21:43 (UTC)[返信]
あ、どうも。いや、架空だとは、ぜんぜん思ってないです。抽象化不足というか、どこまで一般化できるかなあというあたりで、かなり煮詰めが必要じゃないかなあという感じです。
等級が分かれている火葬場がある、というのはおれも確認してます。ただその名称はかなり時代・場所によって違いがあるようです。
葬儀って、葬儀社関係者でもない限りあまり数を経験しないもので、そのあたりの情報をどう持ち寄って一般化するかみたいなことがネットでできればそれなりに楽しいかもしれません。ただ、個々の経験を一般化しちゃうとやばいことも事実で。そんなこんなで、今後ともおつきあいいただけると幸いです。--Nekosuki600 2007年11月4日 (日) 13:31 (UTC)[返信]

バングラデシュの火葬

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バングラデシュには生き火葬があるみたいです。--2008年10月16日 (木) 08:57 利用者:テラウチ会話 / 投稿記録 / 記録

そもそも「生き火葬」てのがなんなんだかよくわからんのですが。
えーと、バングラディシュはインド亜大陸独立の際にイスラム教国として分離されたパキスタンを母体とする国であり、ムスリムが多いと思われるため、基本的にまともな葬送儀礼としての「火葬」は一般的ではないものと考えられます。
ヒンドゥー教国として独立したインドでは、たとえば未亡人を夫とともに火葬にするといった風習があり、それはインド史を学んだ者ならば誰でも知っているようなことです(もちろん現代では、そういう風習は否定されていますが、根絶はされていないものと考えられています)。ただしそれはインド独自の葬送儀礼であり、火葬の項目で説明すべきことであるとは思いません。「殉死」などの項目でならば説明のしようがあるかもしれませんが。
Wikipediaは百科事典を作ろうというプロジェクトなんで、もしそのインドの未亡人を亡夫といっしょに焼くという風習について説明したいのであれば、調べてまとめた上で書いて下さい。「あるみたいです」という伝聞レベルでの編集は歓迎できませんし、上記の通りであまり正しい情報ではないように思われます(念のためですが、おれは全く調べずに個人的な知識の範囲で返事を書いていますので、おれが書いた内容を鵜呑みにしたりはしないで下さい)。--Nekosuki600 2008年10月16日 (木) 15:03 (UTC)[返信]
とか書いたらすでにあったわ→サティー (ヒンドゥー教)。--Nekosuki600 2008年10月16日 (木) 15:06 (UTC)[返信]


2014/06~2014/07あたりの編集に関して

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全体的に加筆しています。
Wikipediaの編集経験が浅く不慣れなため、細部をどの程度まで掘り下げて良いのか、段落ごとのバランスや整合をどう揃えるか、まだ掴みきれていません。
「火葬場」は時代や地域によって状況が大きく異なり、簡素な文章で一般化するのは難しいと思いますが、正確さを追求すると局所的な情報の冗長羅列になりそうで、そこが悩みです。
誤謬や不適切な点がございましたら、忌憚のないご意見を頂きたく思います。
なお、編集行程としましては、本文を加筆・整理・修正してから、後にまとめて出典・参考文献・引用元を記する予定です。
--めどい 2014年07月01日 (火) 10:35(UTC)

火葬中に蘇生した場合

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ネット上に>>「蘇生確認」されたとしても火を止めて助けることは絶対しません 逆に火力を強めて焼却してしまう>>との記述があります。[3]
この情報とは別に、一般的に火葬場では、このように焼却中に蘇生が確認された(もしくは蘇生が確認されたような状況が生じた)場合、職員はどのように対処するように規定されているのか、事情に通じている方、加筆願えないでしょうか。例えば、このネット情報のようにそのまま焼却してしまうのか、火を止め、半焼のまま病院に搬送するのかといったことです。
また火葬中に蘇生した場合、御本人がそれを外部に知らせる何らかの警報装置のようなものが設置されているのかについても加筆をお願いします。--219.35.22.28 2015年12月1日 (火) 00:52 (UTC)[返信]