ノート:火縄銃
射撃スタイルについて
[編集]- 「いわゆる火縄銃が脇に挟み込むスタイルで射撃する銃だったためのようである。」という記述がありますが、これはおかしくないでしょうか?ほとんどの火縄銃は引き金がかなり後方にあり、脇に挟み込んで撃つにはかなり無理があります。各地の火縄銃保存会が、実際に火縄銃を撃っている写真がありますが、どこもそんな撃ち方はしていません。引き金を引くほうの腕は、ひじを張り、銃身と腕が直線になるような感じで撃っています。
- 現在のライフルでは、銃の反動を抑えるために台尻を肩に押し当てますが、火縄銃では台尻がないため、あのような射撃スタイルになったのではないかと思います。つまり、射撃スタイルと銃の形状の関連は逆で、火縄銃では長いこと台尻が発明されてなかったため、あのように撃たざるを得なかったのではないでしょうか。
日陰猫Joga 2004年8月7日 (土) 07:38 (UTC)
- あらら。ノート拝見しまして「そんな寝惚けたことを書いたのはどこのどいつだ」と思いつつ本文の履歴を確認したら自分でした(汗)
脇に挟むって何の火器の話だったか……。かなり眠かった模様です。正しくは"脇を締めない"、でしょうか。武道のほうで「脇を締める」と言うと変に力む人がいるので「肘を下げる」「脇にものを挟むつもりで」とか表現したりするので、そのせいかな……と記憶を辿ります。
銃はそれ自体がクロスボウとかの形状をなぞるように発生・発達してきたためにあの形だったのですよね。クロスボウに台尻がついているものがあるのは小銃からの逆輸入でしょうか?(ってこれは関係ない話になってしまいますが) 射撃スタイルと形状の関係については仰る内容のつもりで書いたのですが、これも変ですね……。書き方の順番を妙に工夫したのがNGでした。是非とも宜しくお願いします。 --FeZn 2004年8月8日 (日) 19:21 (UTC)
- というわけで書き換えてみました。が、なんだかまだしっくり来ませんね……。--FeZn 2004年8月12日 (木) 06:14 (UTC)
- こんな感じでいいんじゃないでしょうか?私はこれでいいと思いますが・・ 日陰猫Joga 2004年8月14日 (土) 04:10 (UTC)
- 以前読んだモノの本では、種子島に伝わったものは当時東南アジアで生産されていたタイプに酷似していて、一方、西語版などにある写真に見るように当時欧州で作られていたものはちゃんと肩に当てて反動を受け止められる台尻を備えたデザインだったと書いてあるのを読みました。独語版に図がある様な、一世紀ほど速いタイプは確かにクロスボウに似ています。
射撃姿勢についてですがご記憶の「脇に挟む姿勢」は一般に(鉄砲)とされる形式の少し前の(ハンドカノン)などと称されるものの古図のことのご記憶ではないでしょうか。 長い台木の端を地上に固定しているもの、馬上でかまえているものなどのスタイルが見られます。西洋にも中国にも類似の図がございます。 これらは(さし火式)ですが火縄式銃砲です。 当時のものはかなり口径が大きいので現代の基準--山本伊左夫 2008年1月8日 (火) 03:35 (UTC)でこれを銃と呼ぶべきか砲と呼ぶべきかは議論が有るかも知れませんが、発展段階から言いますと砲から分化して個人兵器化したもので、銃の先祖と言うべきだと思います。 なお現代の銃砲の区分は後世の基準でしかも国際的には不統一な所がありますから歴史的にはあまり意味がないと思います。
射撃姿勢ですが、現在考証されている我が国の火縄銃射撃姿勢で現代銃もしくは(肩着け式台尻銃)との最大の違いは足の位置(スタンス)だと思います。 完全なクローズドスタンスとされている所が多いようです。 クローズドスタンスとは射撃線にたいして左右の足が全く平行、つまり(体がひらいてない立ち方)を意味します。 これは結果として弓の射撃姿勢に酷似します。 肩着式台尻ではこの姿勢は不可能です。 体をひらかないと台尻を肩で受けることが出来ません。
この姿勢は我が国独特のものかも知れません。 諸外国の古図版を一応信用するなればどうもこの姿勢にこだわっているようには見えないこと、もう一つは銃の形の先祖とされるクロスボウが(頬着け式台尻)であっても、弓体が水平に装着されている構造上クローズドスタンスで発射するほうが都合がいいかどうかに疑問が有るからです。 また諸外国で射撃が我が国のように狭義の(武術流派化)されていた例はまだ聞きません。 教練の範囲と武術化による形式化とは影響が違いますから、我が国のみが(弓術)の形式をおおきくとりいれた可能性も有ります。 これはあくまで推論です。
ひじの形は銃砲の形によって最適姿勢が変化します。 銃身は発砲すれば真っすぐ後退しようとします。 肩着け式銃の発明の利点の一つは台尻の末端が下へ曲がっているために、銃身の後退エネルギーが後退方向と銃身を上へ跳ね上げる方向へ分散することで集中的な衝撃を緩和することが出来ることであります。 日本の火縄銃の場合、小中口径のものは比較的台尻が大きく曲がっているものが多いようです。 このような銃は比較的ひじを低く構えることが出来ますし、実際に実弾発射の反動を受けて見ますとそのほうが適しているように感じられます。 言い方を変えれば肩付け台尻のない現代銃を発射するのと似た感じになります。 命中率のみを競う競技、狩猟、流派練習などでは衝撃分散がされるこの形式が有利かも知れません。
大体十匁を越える大きな口径のものは台尻が直線的なものが主流であります。 火縄銃は近代銃などに比較して銃身重量が大きいので、あまり重いものは跳ね上がると保持が困難と考えられたのかも知れません。 そういう台尻形式ですと自然にひじは高くなります、 極端な場合銃身の延長線よりも高くなり上から押さえ込むような形になります。
さらにもう一つの理由は、肩付けの不要な銃は照準線に眼をもってくるために首を横及び前に傾ける必要がないことがあります。 顔は真っすぐにしたまま銃を顔の方にもってくればよいので顔面つまり両眼は標的に対し直立正対させることが出来ます。 これは照準距離感覚と動体視力のためには非常に有利な姿勢であります。 自然にひじは高めになりますが、弓の射撃姿勢も基本的にこれであります。
なお市中で見かける演武鉄砲隊などの中にはまだ研究途上段階のものがたくさん見られます。 小口径銃まで一律にひじを高く張るのもその一つですが、発射前に火縄を大きく振り回すなど、引火暴発、敵からの易発見性など火縄銃の根本的弱点を無視した事を行うグループもあります。 これらをそのまま史料として眺められることは今の段階では残念ながら適当では有りません。 (外天)
本文中の「漂着」は、当時の(今でも本当は?)日本語では「帆船で着く」というだけの意味で、いまの一般的な意味の「難破して打ち上げられる」のとはと読んだり聞いたりしましたが、詳しい方お願いします。FeZn 2005年8月29日 (月) 16:13 (UTC)
--122.134.92.79 2008年1月7日 (月) 18:21 (UTC)== ソース(情報源)の提示のお願い== >但し例外として、各大名諸藩で極秘裏に様々な銃器が研究されていたことも事実であり
この一文を裏付ける証拠がどこにも見当たりません。ソースの提示をお願いできますか(当時研究していた具体的な藩やその際の責任者や発明家など)?
私個人もどこかで「様々な変わった銃器を発明していた大名が居た」と聞いた記憶もあるのですが、思い出せません。ネットでヒットしそうな単語を色々試してみましたが、その大名の名前は結局分かりませんでした。また、三連発式の火縄銃は既に戦国時代にあったようです。
==火縄銃に限ってと言うことであれば、例は多くはないと思いますがそれでもいくつかはございます。 靖国神社旧蔵で終戦直後行方不明になったとされる扇形多銃身(20連斉射銃=火縄式)の銃などは諸外国にも類似品がないようで我が国独自の考案であったのではと思われます。 この銃の図は所荘吉著 図解古銃事典(雄山閣)に掲載されています。比較的信頼度の高いと思われる同書には他にもいくつかの史料が紹介されています。 比較的知られた開発者としては岡山の久米通賢という人物が新型銃器を熱心に開発していました。これは遺物も相当数残っておるようです。 また(新式)にするためには雷汞の研究と製造を欠くことが出来ませんが、この研究中に事故死した例が有ります。 尾張藩で吉雄常三と言う人物が銃器の試作研究を行っていました。 彼の研究記録が(名古屋叢書科学編=S38名古屋市教育委員会)に全文収録されています。 なお(中島流)と言う現代に継承されている流派が有り、その伝書が(中島流管キ録)として恒和出版江戸科学双書に復刻収録されていますが、そのかなりの部分に新式技術を導入した銃器に関するものが含まれています。 維新直前になりますと開発というよりは倣製とも言うべき銃が大量に製作されておりこれは現物がかなりの数現存いたします。 これも広い意味で銃器の進歩がまったく停止していたのではない例に加えてもいいのではないかと思います。 ただ所氏も同書でのべられているとおり、この類の(骨董品)には贋作物が極めて多いのも事実で、それが研究の困難や誤解を招いているのも事実であります。 三連発式の銃が戦国時代に存在したという記録については、初耳でありますのでぜひ出典をご教示いただきたいと存じます。 知る限りでは回転式などの連発式火縄銃ははるかにに後世の製作品と思われます。 戦国期以前の銃と現在確認されている残存遺物は十指に満つや否やの量です。 その中にはそういう遺物は有りません。 したがって文献史料によって知るほかはない訳ですが、(信長公記)の中にある信長狙撃事件の記述で「ふたつ玉にて打ち申し」という記述、もう一カ所鉄砲名人と弓の名人が騒乱中に対決した記録でも「ふたつ玉にて云々」という記述。 これを二連式銃によるとか、二梃の銃を取り替え射撃したと書いた小説家がいますが、これは根拠を示すことの出来ない想像創作です。 可能性が高い二つ玉とは各種伝書に共通して現れる二個の弾丸を紙と糸でくくり合わせた一種の散弾で、命中確率もしくは殺生力が非常に高いと信じられていたものだと思われます。 代表的な所は以上ですがそのほかにもかなりの量に史料は存在していると思います。 (外天)
- 江戸時代の諸藩の銃器の新技術開発ですが、結構盛んで、またそれほど極秘ということでもなかったようで、いろいろと日本中を情報が行き来していたようです。今忙しすぎて見直している時間も詳述する時間もないのですが、国立歴史民俗博物館の特別展、『歴史の中の鉄砲伝来-種子島から戊辰戦争まで-』で詳しく紹介され、また販売されている図録にも解説が詳しく出ています。--ウミユスリカ 2008年1月8日 (火) 01:53 (UTC)
gooにおいて
[編集]http://dictionary.goo.ne.jp/epedia/search.php?MT=%B2%D0%C6%EC%BD%C6&kind=epedia で、冒頭の「火縄銃(ひなわじゅう)は、初期の鉄砲」の部分が抜け落ちています。gooの側の問題でしょうか?
- goo側の問題でしょう。Wikipediaではきちんと表示されているので、こちらがタッチすることではないかと。--日陰猫Joga 2006年5月8日 (月) 05:16 (UTC)
日本での火縄銃史
[編集]鉄砲の伝来については諸説あるようです。種子島への伝来については鉄砲伝来や鉄炮記に詳細をゆずり、ここでは簡単な記述とするのがよいのではないでしょうか。鉄砲伝来では「鉄砲はじめ火器は倭寇勢力により日本へも持ち込まれていた」「伝来当初は猟銃として用いられていた」とあるのに対しこちらは種子島への伝来と武器製造に重量感が残っているように感じます。バランスをとったほうがいいと思いますがいかがでしょう。--Hotsuregua 2006年12月9日 (土) 06:30 (UTC)
主力兵器だったか
[編集]「戦国時代中期以降は火縄銃が主力兵器」だったと断言してよいものかどうか。戦国時代は基本的に弓矢が主力兵器だったという見方もあったと思います。火縄銃も遠隔攻撃の手段として追加される傾向はあったでしょう。火縄銃を多数持ち込んだ戦場もいくつかはあったでしょう。しかし弓矢が淘汰されたわけではないので主力兵器と断言するのはまだはやいように思います。--Hotsuregua 2007年1月3日 (水) 18:54 (UTC)
戦国中期をどこで線引くかの問題にも感じます。ここは無用の論争を避ける意味においても「織豊時代に入る頃には」とでもした方が良いかもしれません。--HI 2007年1月4日 (木) 01:24 (UTC)
私の書き方が悪かったようです。まだはやい、と書いたのは、今はまだ早いのではないか、という意味です(つまり、主力兵器だったという説が将来唱えられるかもしれないからそれまで待ったほうがいいという意味です)。 私が恐れることは、主力兵器と書くと、何も知らない人は他の武器が戦場から一掃されたと受け取ってしまいかねないことです。他の兵器(弓矢とか槍とか)も使われていたでしょうから。もっと私の意見を明確にすれば、主力兵器だったという記述を削除する、です。 Wikipediaにおいて火縄銃という見出しはやはり火縄銃に思い入れがある人が編集する可能性が高いと推察されます。だからこそ、ことさら火縄銃の威力を強調するような方向性には注意し、事実をみきわめ説明文はなるべく中庸を保った表現に留めるよう留意したほうが良いと考える次第です。--Hotsuregua 2007年1月5日 (金) 16:29 (UTC)
了解しました。「戦国時代中期以降、足軽の主要武器の一つとしてその比重を増していった」でいかがでしょうか?--HI 2007年1月6日 (土) 07:47 (UTC)
HIさんのおかげでなかなか良い表現に落ち着いたと思います。本文に反映させました。文のつながりをよくするため順序を入れ替えてみました。 なおよろしければその次の文の修正について、再修正があればお願いします。--Hotsuregua 2007年1月6日 (土) 14:24 (UTC)
「革新的な新兵器であった」という通説を時々聞きますが(革新的)の意味が問題です。 核兵器のような対抗不能性をもった兵器であるというイメージなら間違いでしょう。 恐らく銃器の登場の影響もしくは効果でもっとも意義があったのは(比較的もしくはほとんど訓練の集積を必要とせず、非力非習熟な兵士、極端な話急場に集めた女性子供でも一応兵士に使用可能になった)というところだろうと思います。 それによって戦闘規模を大幅に拡大することができた、それがランチェスター原理的な要素でそれなりの効果があったと言う意味では革新的です。 石山合戦での効果など長年修練を積んだとは思えない連中が鉄砲を頼って効果を得ている訳ですから、この効果の非常に成功した例とも言えるのではないでしょうか。 武器そのものとしての性能がそれほど革新的でなかったのは鈴木眞哉さんの(手負注文書・首注文書)の分析にも明白に現れています。 鉄砲登場後も(飛び道具)による死傷率の増大が見られず、さらにその内容が弓矢など鉄砲以外の被害が結構多いようです。 我が国における(兵農分離)を分離そのものが天才的着想であると言うふうにテレビ番組などでも言いますが、木綿栽培の普及による農業の効率向上で金銭経済だけで運用できる兵士要員が増えたこと、加えて多少は未熟者でも鉄砲なら撃てるという要素の組み合わせととらえた方がいいのではないでしょうか。
(突進してくる敵云々)ですが、緒戦に飛び道具の射撃合戦をやったのは東西を問わないようです。 ただ西欧の騎士時代においては弩などによる集中射撃は、まさに露払いの位置付けで雑兵同士、あるいは傭兵同士の戦いでどこまで本気だったかと思わせるところがあります。 クレシーやアジャンクールは極めて例外的で、それだけに衝撃的であり、近代線の先駆けともされたものだと思います。 真の戦いはその後に来る騎士同士の個人戦でその格闘の決着を以て勝敗と考えていた傾向があります。 したがって騎士は歴史上唯一射撃をしない騎乗戦闘員でありました。 我が国武士の戦闘法は平安期から戦国終焉まで。まず弓射、どうも最後まで弓射と言うケースが多かったようです。 武士自身も(弓矢取る身)と自称しましたから騎士とは考え方が根本で違います。
「突進してくる敵軍団に一斉射撃を仕掛けて」というイメージに一番近いのはテルシオの運動でしょうけれども、集団戦闘技術のもっとも爛熟したものと言えるこの戦闘法でも、鉄砲の一斉射撃がどれほどの効果を持っていたのかは、はなはだ疑わしいと言わざるを得ません。 最終的にテルシオ戦術は火器の前に壊滅(アウステルリッツ会戦)するのですが、 この(火器)とは大砲の野戦運用であったことが知られています。 ビコッカなどイタリア戦役中の華々しい例は(充分な障壁があれば銃兵もかなりの効果が上げられる)ことを発見もしくは実証したもので(銃が革新兵器である)ことを実証したものというのは言い過ぎでしょう。 したがって(突進してくる敵)に有効か(障壁があれば)有効かと言う話は、大量動員の意味がどうであったかという話と結び付けなければ、単純に武器性能の話では割り切れないのではないでしょうか。 後装式銃になってからのズールー戦争やインデアン戦争のイメージを投影しているのであれば(火縄銃史)とは別種のジャンルの話になります。
「火縄銃に思い込みのある人の編集では」というご指摘はまさにそのとうりで、かく言う小生も火縄銃の射手で結構思い入れのある方ですが、それでもこれも武技、もしくは戦闘術の一部であったと思えば、そういう思い込みが歴史研究のみなら実際の戦闘術や取り扱い術のうえでも大変有害なものであると感じておりますから、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。
なお黒色火薬につきましても、伝書はもとより、配合率の秘密?、粒化方の発見による易爆燃性などの現在行われている通説もしくは歴史らしきものは怪しい限りであります。 非常に単純にその通説のおかしいところを指摘できるのですが、後日書き入れたく思いますのでそのおりは御斧正をお願いします(外天--山本伊左夫 2008年2月10日 (日) 15:53 (UTC))
兵士の配置について
[編集]この節において、以下の2文は矛盾とも受け取れます。 「火蓋を切る」という諺の如く、先ず火縄銃の射撃戦から戦は開始された。 野戦においては横隊が基本であり、勢いに乗り突進してくる敵兵に対し一斉射撃を浴びせ進撃を止まらせる。 前者は、戦の開始時点で積極的に使用されるむきを示しています。 後者は、敵の突進を抑制するという受動的な使用を示しています。 2文をよりシンプルに次のようにしました。 「火縄銃は戦の開始のときや、勢いに乗り突進してくる敵兵に対し一斉射撃を浴びせ進撃を止まらせるときなどに使用された」 「火蓋を切る」という諺のくだりは、すでに慣用句の節が設けられていることもあり、削除しました。--Hotsuregua 2007年1月6日 (土) 14:24 (UTC)
分割提案
[編集]一部記事を「火縄銃射撃競技」として分割し、独立項目とすることを提案します。--西方 2010年4月7日 (水) 15:02 (UTC)
威力について
[編集].38ショートコルトと38ロングコルトの中間と書かれていますが、174グレイン=11.275g、330m/sの場合エネルギーは614Jとなり、.38ロングコルトよりも大きくなるのでは?--Hakihakiyamada(会話) 2021年6月19日 (土) 20:11 (UTC)