ノート:漢方医学
中医学とのインターリンク
[編集]2006年10月13日 (金) 08:50 Lulusuke 版で[[zh:中医学]]が貼られました。日本でいう「中医学」と中国の「中医学」が同一だとすると(私の知る限り同一です)、これは不適当です。中医学と漢方は道源ではありますが、異なる発展をしてきました。--NekoJaNekoJa 2006年10月14日 (土) 10:27 (UTC)
「あるともいえよう。」「現状では決して明るいものではない。」などは書いてはいけません。--Eie5a2(会話) 2013年6月9日 (日) 13:05 (UTC)
「中国では、生薬を一般的に「中薬」と呼び、「漢方薬」と称することはない。」について
[編集]- 中国では、生薬を一般的に「中薬」と呼び、「漢方薬」と称することはない。(近年、中国側が意図的に混同する傾向があり、これは懸念されている)
と書かれていますが、中国語版の「zh:中药」を見たところ、「中藥原名生藥,滿清末年,將明清沿用已久通稱的生藥一詞改稱為中藥。」となっていて、「中薬」という呼称は比較的新しいようです。また、「中藥 ( Chinese herbology 、 Traditional Chinese medicine ),又稱 漢方藥 ,是在中国传统医术指导下应用的 药物 。」とも書いてあり、「漢方薬」がはっきり中国で使われない、中国側が意図的に混同していると断言するなら根拠が必要ではないかと思います。根拠が追加されない場合、この部分は削除したいと思います。
この部分に限らず、漢方の独自性・優位性を主張しようとして、中立性に問題がでてしまっている個所がいくつか見られます。--やまさきなつこ(会話) 2014年8月4日 (月) 13:16 (UTC)
「中国では、生薬を一般的に「中薬」と呼び、「漢方薬」と称することはない。」を削除し、名称に関する記述全体に手を入れました。--やまさきなつこ(会話) 2014年8月9日 (土) 04:20 (UTC)
「主流医学との比較と漢方医学の位置づけ」について
[編集]テーマはあっていいものだと思うのですが、内容が個人的な意見の域を出ないように思います。修正が行われない場合、全部消してしまった方がいいかもしれません。「主流医学」といういい方も、見たことない気がします。--やまさきなつこ(会話) 2014年8月9日 (土) 04:20 (UTC)
ウィキペディアの記事は典拠には使えません
[編集]現在の北朝鮮では中国医学系の伝統医学は高麗医学と呼ばれている件、典拠がなかったのでネットで探して追加していますが、日本語の情報はウィキペディアにしかなく、それ以外ではハングル語のものしか見つけられませんでした。日本語の典拠がある場合は差し換えてください。ウィキペディアの記事を出典として引用することは自己参照となるためNGですので、よろしくお願いします。 --やまさきなつこ(会話) 2014年8月9日 (土) 10:30 (UTC)
- 〈人・サラム・HUMAN〉 高麗医学医師 カン・ウナさん[1]
- 〈人・サラム・HUMAN〉 医師 リ・チュンシルさん[2]
- 高麗医学科学院で効率よい高麗治療[3]
- 人民保健制度による輝かしい結実[4]
- 高麗医学科学院で経絡討論会[5]
- 朝鮮、高麗医学発展で成果[6]
--211.14.206.47 2014年8月11日 (月) 00:04 (UTC)
ありがとうございます。--やまさきなつこ(会話) 2014年8月11日 (月) 11:14 (UTC)
「歴史 中国大陸」を「中国医学」のページに転記を提案
[編集]現在「中国医学」のページには、中国医学の歴史に関する記述がほとんどありません(むしろ漢方医学についての説明の方が充実しているくらいです・・・)一方、漢方医学にはある程度まとまった中国医学の歴史が書かれています。そこで、漢方医学にある中国医学の歴史を、中国医学に転記することを提案します。転記ではなくコピーでもいいかと迷いましたが、本ページで中国での歴史を詳しく説明すると、日本の伝統医学のページであるという趣旨がぼけるかなという印象があるので、漢方医学に大きく影響を与えた書籍や思想に絞るといいのではないかと思います。転記ではなくコピーとする場合、本ページの中国医学の歴史は、何が日本のどの時代・どの学派に影響を与えたというのがわかるようになればいいと思います。ご意見よろしくお願いいたします。--やまさきなつこ(会話) 2014年9月24日 (水) 12:00 (UTC)
- 中国の歴史は中国医学に移動しました。--やまさきなつこ(会話) 2014年10月8日 (水) 14:39 (UTC)
近現代における漢方の歴史について
[編集]小曾戸洋先生著の「漢方の歴史」の中にも描かれていますが、医師が漢方を扱えなくなって以降は、漢方医学を伝承してきたのは町の薬剤師、薬種商等が中心であり、日本東洋医学会発足当時は、こちらのページでも分かるとおり、薬系の先生方が会員の中心でした。今のように日本東洋医学会を医師中心の会へと導いたのも、政治的理由を考えた薬系の先生方の努力ゆえであり、薬系が医師と同程度というのは、甚だ疑問があります。今の日本東洋医学会の発展の礎は、薬系の先生方が守り抜いてきた伝承理論を取り込んできたからこそであるわけで、今尚、長年に渡り伝承を続けている漢方専門薬局、漢方専門薬店においては、現代の医師の漢方熟練度と比べれば、大きな差があるというのは、歴史的事実を考えれば明らかです。特に明確な根拠がないのであれば、参考文献「漢方の歴史」と、今尚残る諸先生方の口伝に基づき変更させて頂きます。Yashima10(会話) 2018年8月27日 (月) 15:35 (UTC)
漢方医学の治療法の一つである「導引」と中国医学の「気功」について
[編集]漢方医学の具体的な治療法である気功について、私は個人的な見解を持っています。近世日本の養生論における導引術によると、現在の気功には動功と静功がある。しかし、漢方医学である体操治療の「導引」は、気功という言葉が使われる以前は、現在の「動功」に相当するだけで、現在の気功にある「静功」は含まれていなかった。 そして、この論文にも、過去のさまざまな時代における「導引」の具体的な方法が盛り込まれています。これらの具体的な方法を見ると、漢方医学に用いられる「導引」は、中国本土の気功(中国の現代気功)とは大きな違いがあることがわかる。気功心理学事始めによれば、中国本土の気功(中国の現代気功)の動作や原理が詳しく見える。漢方医学としての体操治療の「導引」が、中国本土の気功(あるいは道教の修練法)とある程度つながっているか、継承されていることは否定できない。しかし近世の日本(特に江戸時代の日本)では、漢方医学としての体操治療の「導引」は、すでに中国本土の気功(中国の現代気功)とは実行が大きく異なっていた。いいかえると、最初は確かに中国本土の気功(当時は「導引」と呼ばれていた。喜多村利且著正徳3年『導引體要』参照。)が日本に導入されたが、時が経つにつれて日本の「導引」と中国本土の気功(中国の現代気功)の差が大きくなり、近世日本の「導引」の姿になっていったのである。近世日本の養生論における導引術と気功心理学事始めの二つの論文によれば、漢方医学としての治療法の一つである「導引」と、中国医学としての「気功」との間には、原理も働きも本質的な違いがあることがわかる。これはちょうど後期の「導引」と「気功」の分岐、すなわち中国から導入された「導引」が日本で独自に発展したのに対し、「気功」は「導引」、「吐納」、「行気」などの「身体技法」と「中国伝承医学の理論」の一部が結びついて1950年に発生した。したがって、漢方医学としての治療法の一つである「導引」と、中国医学としての「気功」は混同してはいけないと思います。--Luden loves dogs(会話) 2022年10月22日 (土) 03:00 (UTC)
- また、「気功」は中国伝承医学の理論に基づいて、中国での様々な身体技法を混ぜ合わせた自己鍛錬法であるため、中国医学の治療法の一つであり、漢方医学の治療法の一つではない。(つまり、「気功」の最終的な発生過程と漢方医学とは直接関係がない)--Luden loves dogs(会話) 2022年10月23日 (日) 09:21 (UTC)