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ノート:漢奸

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歴史上、様々な場面でマイナス評価を下された人物に対する蔑称であって、日中関係関連に限定されないはずです。この語の使用史に正確な知識を持った方の加筆を希望します。--ウミユスリカ 2005年9月1日 (木) 01:36 (UTC)[返信]

単純な引用でない部分の表記について

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『南京における「漢奸狩り」』というサブセクションにおいて花蝶風月雪月花警部さんは[1][2]の編集で辻英二が『画報躍進之日本』で報告した内容に基づく記述をblock quoteと/block quoteで囲んでいます。しかし、この部分は私の言葉に置き換えています。それなのにblockquoteと/blockquoteで囲むことはそのまま引用していると誤解を与えかねません。このような書き方を指示しているWikipediaの指針などがあるのでしょうか?また、このような場合はどのような書き方がWikipediaとしてふさわしいでしょうか?について議論したいと思います。--Sweeper tamonten 2009年5月18日 (月) 14:50 (UTC)[返信]

本文として組み込むには、さらに大幅な修正(分量の調整、百科事典にそぐわない文章表現の除去など)が必要です。ご自身の言葉に書き換えているとのことですが、現状では原典のコピーにしか見えず、このままの状態では「引用」の形を取らざるを得ません。--花蝶風月雪月花警部 2009年5月18日 (月) 15:10 (UTC)[返信]
「分量の調整」と「百科事典にそぐわない文章表現」はどこで確認されていますか?--Sweeper tamonten 2009年5月18日 (月) 15:28 (UTC)[返信]
例えば「これは何らかの意図をもって特定の者にどさくさを利用して漢奸というレッテルを付けて葬るという中国一流の愚劣さから出ていた」「このような人物たちは皆日本語に通じ、日本をよく知る者であったが日本によく噛みついてくるのもその人物や新聞記者たちであり、日本を知っていると同時に愛国心の強い連中であったにも関わらず血祭りにするほどの逆上ぶりであった」などです。全体的に著者による情緒的表現が入っているようですし、読みにくい文章が多いので、記事としては穏当かつ簡潔にまとめた方が適切と思えます。--花蝶風月雪月花警部 2009年5月19日 (火) 15:59 (UTC)[返信]

元の文章もこの議論に必要と判断し、置かせてもらいます。--Sweeper tamonten 2009年5月18日 (月) 17:09 (UTC)[返信]

南京では八十人ずつ毎日漢奸狩で銃殺
 十月二十五日南京から上海へ逃避して来た親日支那人の話によると「南京は日本軍の連日の空襲で抗日感情は日々に激化しているという話だ、戦争が始まった当時は漢奸の名目で銃殺される者は連日八十人にも及びこの頃でも毎日十数名が銃殺されている。行政院秘書黄月秋が最初に銃殺されついで汪兆銘の子分で前の鉄道部次官曾仲鳴の一家が全部やられた。南京の街を颯爽と闊歩する精悍な青年は全部共産党系でスパイ狩りに出動していると見て間違いない。要人達は極秘の場所にそれぞれ姿を隠したまま滅多に顔を見せず、町に居るのは官吏、軍人、学生が主だ。政府は上海戦争が起きると直ぐ八月二十二日国防委員会を組織し、委員長に蒋介石、副委員長には白崇禧、馮玉祥両巨頭が並び、秘書長に張群がなっている。国防委員会はいわば日支戦争の大本営なのだ。その本拠はどこにあるか絶対に分からない。今の支那を動かして居るのは南京政府でなくこの国防委員会だ。委員会軍事部長は何応欽、その作戦主任は楊杰(ようけつ)、政治部長は周恩来、その下に毛沢東が居るらしい。民衆組織部長は葉剣英である。政府の目下の実体は中々分からない。馮玉祥は南京と上海戦線、津浦線を頻に往復して居る。陳誠は北支作戦のため北上して居ると聞いた。国民党党部の連中は民衆組織部に属して居て、大部分は地方に組織のため出かけて居る」南京では少しでも日本のことを知った振りで話したり「日本軍は強い」などと言うと直ぐスパイと見られて殺されてしまう。
  親日派を片端し漢奸と称して死刑に
 戦争とスパイはつきものであるが、今度の事変で支那では物凄いスパイ狩りをした。漢奸と称して日本人と交際していた支那人や、日本のことをよく知っている彼らの同胞をドンドン銃殺していることである。すでに銃殺された支那人約二千名にのぼり、その多くは日本留学生で親日派とかスパイとかの名目で赤く衂られてしまった。そのため従来日本側と交渉の深かった外交部アジア司長高宗武とか汪兆銘の片腕で名高い曾仲鳴、褚民誼、または実業家の周作民、許卓然といった連中は監禁されていたり、生死不明になったり、何澄をはじめ新聞記者六名(大公報二名、大美晩報二名、チャイナ・プレス一名、チャイナ・ウイークリー・レヴュー一名)はすでに死刑にされたのだ。

 前記の諸氏は僕もよく知っている連中だが決して親日派でもなく、もちろんスパイではなかった。ただいづれも日本語をよくし、日本を非常によく知っていた連中に過ぎなかった。日本に対していつも噛みついて来るのは返って前記の諸氏や支那新聞記者諸君で日本を知ると同時に愛国心の強い連中であった。それなのにこうした連中が血祭りにあげられるとは何という逆上ぶりだろうか。単に日本をよく知っていることが漢奸であるならば蒋介石こそ漢奸であろう。蒋介石は一番日本を研究し一番日本を知っているからだ。現在対日戦略を練っている何応欽も楊杰も熊斌もその他支那要路には漢奸に価する者がいくらでも出て来ることになるわけだ。日ごろ何らかの怨みある者をどさくさを利用して漢奸の汚名の下に倒すという支那官憲一流の愚劣さから出たものというほかない。可も否もあったものでない。非常時においては特に支那は滅茶苦茶なのだ。敗戦支那の苦悶に狂い廻っている姿だ。 — 辻 英二「スパイ嫌疑で二千名銃殺 敗戦支那の苦悶する姿」『画報躍進之日本』、東京東洋文化協会、1937年12月1日より

著作権の問題がなさそうですから、そのまま掲載することも選択肢のひとつですね。これだと両者の意見に違いはなくなりますから特に反対がなければそうします。--Sweeper tamonten 2009年5月18日 (月) 17:37 (UTC)[返信]

現在の記述が原文からかなり要約したものであることはわかりましたが、それでもまだ原文の情緒的かつ冗長な文章が残っているようです。先にも述べたように、私は穏当かつ簡潔にまとめるのが最善と考えておりますが、Sweeper tamonten氏が原文のニュアンスを残したいとお考えならば、全文掲載を「次善の策」として検討する余地はあります。Wikipediaでは推奨されていないようですが…。--花蝶風月雪月花警部 2009年5月19日 (火) 15:59 (UTC)[返信]
「全文掲載を次善の策」という認識は同じです。私は問題としている「引用の形式」で私がまとめた部分を記事に掲示することは一種の「ウソ」と考えているのでそれを回避したいと考えています。問題としている引用の形式はそのままを掲示するものと判断されるのでその方式を取ることはWikipedia:原典のコピーはしないの方針に沿わないことでもあります。また問題の形式で掲示するならそのままの引用と判断され、該当する部分を編集する人は現れないでしょう。これについて花蝶風月雪月花警部さんは「このままの状態では引用の形を取らざるを得ません」と別の形式をあきらめています。しかし、Wikipedia:無意味な記述#こういうものは無意味な記述ではありません。には「不的確な文、こなれていない文、ぐたぐたな駄文 →ナンセンスというわけではありません。可能な限り改善を試みましょう。」とあります。ここでどのような建設的な考え方ができるでしょうか?私は表現方法自体を別の形式にできる可能性を探し、それがない場合には「節スタブ」の方式を取ることを考えています。他によりよい選択肢がないか一考願います。--Sweeper tamonten 2009年5月19日 (火) 22:52 (UTC)[返信]
単純な引用文でないことはわかりましたので、<blockquote></blockquote>を除去しました。文章の修正もおこなっています。--花蝶風月雪月花警部 2009年5月23日 (土) 16:54 (UTC)[返信]
花蝶風月雪月花警部さんによる編集で議論の対象となっていた部分が除かれました。この議論は終結したと見なし、告示のタグも外します。--Sweeper tamonten 2009年5月23日 (土) 22:19 (UTC)[返信]

「行政院秘書であった黄月秋が最初に銃殺され、当時から日本側と頻繁に交渉していた外交部アジア司長高宗武、汪兆銘の腹心である曾仲鳴と褚民誼、実業家の周作民、許卓然などは監禁されるか生死不明となり」の部分ですが、少なくとも、このうち高宗武は、この時期蒋介石の信頼を得て、香港・武漢を飛び回って活躍していたようです(「高宗武回憶録」)。

周作民も、この時期活動を停止した気配はうかがえません。私は「汪兆銘」についてはかなり詳しく調べたのですが、この時期曾仲鳴と褚民誼が「監禁あるいは生死不明」となっていた、という情報は知りません。

他2名については全くわかりませんが(名前を中国語検索エンジン「百度一下」で検索してもヒットしません)、この情報、かなり怪しげなものではないでしょうか。氏名不詳の「親日支那人」の話しかソースがないのであれば、当時の日本のメディアの状況から見ても、「単なる噂」として受け止めるのが無難ではないか、と思います。「事実」として掲載するのであれば、最小限、他の裏付け資料が必要でしょう。ゆう(matunami) 2011年10月29日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

戦時中の一次資料に依存しすぎ

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全体に戦時中の日本の新聞が資料とされていますが、当時の記事に公平性を期待するのは無理だと思われるので、新聞ではなく研究書を引くべきではないでしょうか。--Pekanpe会話2016年2月29日 (月) 19:23 (UTC)[返信]