ノート:源氏物語大成
この「源氏物語大成」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2007年8月10日 | 月間新記事賞 | 受賞・良質な記事自動選出 |
「保坂」か「保阪」か
[編集]保坂本の(旧)所有者の氏名の表記について、最近の書き込みで「「保坂本」の表記が定着しているが、人名の表記は「保阪」が正当である。」との記述が書き加えられましたが、源氏物語大成のほか
- 反町茂雄「源氏物語収集と池田亀鑑先生と」『定本 天理図書館の善本稀書』八木書店、1980年3月、pp.. 149-173。
- 「保坂本源氏物語解題」『保坂本源氏物語 別冊2』おうふう、1997年3月。
といった文献でも全て保坂(保坂氏、保坂家など)となっています。「人名の表記は「保阪」が正当である。」についての出典はありますでしょうか。--211.124.131.177 2010年1月10日 (日) 21:36 (UTC)--211.124.131.177 2010年1月11日 (月) 00:30 (UTC)下記の指摘を受けて一部訂正
- 当該編集を行った者ですが、一点よろしいでしょうか。上の文章を文字通りに読むと意味が通じませんが、「(源氏物語関連の諸文献では)全て保坂(保坂氏、保坂家など)となっている」という意味でしょうか。「全て保阪となっている」のであれば、何も問題がないはずです。後でこのページを読む第三者が混乱しないように、あらかじめその点を明確にしておきたいと思います。--Urania 2010年1月11日 (月) 00:19 (UTC)
- 失礼しました。「全て保坂(保坂氏、保坂家など)となっている」という意味です。上記発言を訂正させていただきました。--211.124.131.177 2010年1月11日 (月) 00:30 (UTC)
読みにくくなると思うのでインデント戻します。「保阪」とする典拠は以下のとおりです。
- 地方史
- 上越市史編さん委員会編『上越市史 通史編5 近代』、上越市、2004年、189・257・258・318・492の各頁
- 人名録
- 『昭和人名辞典』、日本図書センター、1987年、第2巻「新潟」の部の38頁(昭和18年刊行の『大衆人事録』を復刻したもの)
- 文化財の図録・目録
- 文化財保護委員会編『指定文化財総合目録 美術工芸品篇 昭和33年版』、大蔵省印刷局発行、1958年、252頁
- 『重要美術品等認定物件目録』、思文閣刊、1972年、第1部146頁及び第2部38頁(第1部は昭和17年文部省編集の目録の復刻、第2部は昭和23年国立博物館編集の目録の復刻)
- 『国宝・重要文化財大全』別巻(所有者別総合目録)、毎日新聞社、2000年、90頁
- 『国宝・重要文化財総合目録美術工芸品編』、ぎょうせい、1999年、上巻359頁
インターネットで閲覧可能なものとしてはこちらを挙げておきます(63頁と65頁)。--Urania 2010年1月11日 (月) 06:57 (UTC)
- 資料の呈示ありがとうございます。「保阪潤治」とした資料があることは確認できました。ただ呈示していただいた資料を見る限り「同人について保坂と保阪の両方の表記が混在している」とはいえると思いますが、「「保阪」が正当である」=「保坂が誤りである」とまでは断言できないように思います。源氏物語大成の編者池田亀鑑氏や上記で資料を挙げた反町茂雄氏は「ほさか」氏と長年直接の交流のあった人物ですから何かの資料を誤って引用したという可能性も余り考えられません。またネット上で調べた限りでは地方史関係でも[1]のように「保坂」表記のものがあります。「保坂が誤りである」と断言できる根拠は何でしょうか。呈示していただいた資料の範囲では、「保坂が誤りである」とするのではなく「同人の氏名について、本書(源氏物語大成)では『保坂潤治』と表記されているが、『保阪潤治』としている資料も存在する」とする当たりが妥当ではないかと思いますがいかがでしょうか。--211.124.131.177 2010年1月11日 (月) 21:17 (UTC)
- 匿名ユーザーさんへ。根拠は上に示したとおりです。提示した出典は、Wikipedia:検証可能性及びWikipedia:信頼できる情報源の方針に合致したものであると考えます。文献を掲げるにあたっては、戦前の資料を戦後に復刻したもの等、比較的参照しやすいと思われるものを選択しました。コピーの取り寄せ等しやすいようにページ数も明記しておきました。出典を示してもなお、「その根拠は」と問われることにはいささか当惑しております。このうえ、さらに説明を追加したり、さらなる出典を追加しても、「いやしかし『大成』には『保坂』と書いてある」という話の繰り返しになるのではないでしょうか。そうした堂々巡りを避けるために、当方から2点ほど質問させていただきます。(1)私の提示した出典の信頼性・妥当性については、どのように検討され評価されたのでしょうか。当方で提示したような、公的な資料に基づく出典、編集者の監視や検証プロセスを経ている出典の妥当性に疑問を投げかけるのであれば、その根拠をお示しいただきたいと思います。(2) 匿名ユーザーさんが「『保坂』と表記している資料もある」ことの一例として掲げている外部サイト(メインページは こちら)の信頼性・妥当性についてはどのようにお考えでしょうか。--Urania 2010年1月15日 (金) 22:53 (UTC)
私はUraniaさんが示された提示した出典の信頼性を否定している訳ではありません。Wikipedia:検証可能性やWikipedia:信頼できる情報源を満たす範囲で「保坂」とする資料と「保阪」とする資料とが存在するのだから、そのような場合には細かい表現は検討の余地があるにしてもその両説を併記すべきだというのが私の意見です。--211.124.131.177 2010年1月17日 (日) 20:59 (UTC)
- 別に『源氏物語大成』そのものを批判したわけでも、池田亀鑑先生の学問的業績に疑問を呈したわけでも何でもなく、たった1文字の誤植を訂正しただけで、なぜここまでの議論になるのでしょうか。匿名ユーザーさんが、あくまで「両論併記すべきだ」とおっしゃるのであれば、まずは私が上(2010年1月15日 (金) 22:53 (UTC)の自分の発言)で問いかけた質問にお答えください。これに対してお答えがなく、かつ、私の提示した出典の「信頼性を否定したわけではない」のであれば、記事本文の「要出典」は、はずすべきものと考えます。--Urania 2010年1月20日 (水) 16:41 (UTC)
Urania様は私が挙げたいくつかの根拠の中で、最後に挙げたウエブ上の記述については繰り返し触れられれていますが、それ以外の私が挙げた出典については確認していただいたのでしょうか。それらの出典についてはどのように評価されているのでしょうか。特に「保坂本源氏物語解題」については確認していただけましたか。その上で「保坂」表記は検証可能性に欠け「保阪」表記のみが検証可能性を持っていると判断されたのでしょうか。この本の出版は写本「保坂本源氏物語」の現在の所有者(組織)である文化庁及び管理者(組織)である東京国立博物館の協力のもとで複数の専門家である学者・専門家のグループによって作成された保坂本源氏物語全帖にわたる影印本であって、同書の別冊付録の「保坂本源氏物語解題」は当時大阪大学の教授であった伊井春樹氏らその学者グループによって記述されたものであります。この「保坂本源氏物語解題」では、その冒頭の「保坂本源氏物語の伝来」において『保坂本』と呼ばれている源氏物語の写本の伝来について、さまざまな資料を確認しながら詳細に記述しています。保坂氏がこの写本を入手するに至った経緯などについても、(桑名松平家から桑名在住の竹内氏の仲介により入手した旨が)「外箱裏に貼られた紙片に保坂氏自身の識語が記され」、当時池田亀鑑が作成した鑑定書について、「便箋三枚からなるそれは、(当時の保坂氏の自宅のあった)小石川区の自宅に送られた昭和十二年二月十五日の消印の有る封書に入っている。」とした上でその全文を記載しており、その他に「同じ箱に収められている辻善之助氏の昭和十年三月二十四日付けの手紙や同年五月十日付けの松田武夫氏の手紙も池田亀鑑の鑑定結果に賛同している。」などと物理的に存在するいくつもの「モノ」に基づいて(確認して)極めて具体的に詳細に記述しています。私はこれらの記述は検証可能性を十分に満たすものであって、これらの記述の中で昭和10年にこの写本を入手した人物の名前に対して何度も繰り返し一貫して「保坂氏」、「保坂潤治氏」などと「保坂」の表記が使われていることは、「保坂」表記が容易には否定できない確かさを持っているものであると考えています。なお、私は上でも述べたように、提示されました「保阪」とする資料の検証可能性は否定しません。今回のような検証可能性を満たす出典の範囲で「同じひとりの人物に異なる複数の表記が存在する」場合というのは多くは無いものの決してあり得ないことではありません。そのような場合には、もちろんどちらかの表記が誤っている可能性もあるでしょうが、それ以外にも異なる表記の一方が筆名・雅号のような本人が戸籍上の名前以外の実際に使っていた名前である可能性なども考慮する必要がありますから、一方の表記が検証可能性を満たさない出典しか存在しないとか、あるいは何らかの調査を行った上で一方を誤りであると判断した検証可能性を満たす文献が存在するという状況であるならともかくも、一方の表記が検証可能性を満たすとしてもそれだけを根拠として「こちらが正しいのだからそれと異なる表記は間違っているに決まっている」とまでするのは、出典が述べていることを超える「独自研究」になってしまうおそれがあると考えます。以上の理由により、私は本記事の本文中にはまずは本書「源氏物語大成」に記述されているとおりに「保坂」と表記しておき、同じ人物について「保阪」と表記している文献が存在することを出典を明記して付記する形をとるべきであると考えます。--211.124.131.177 2010年1月22日 (金) 13:42 (UTC)
- どうも。週末留守にしていたため、ご返事が遅くなりました。私の方の説明不足もあったと思います。後々このページをご覧になる未来の読者のためにも、正しくご理解いただけるよう、誠意をもってきちんとご説明申し上げたいと思います。あらかじめ申し上げておきますが、かなりの長文になると思いますし、資料のページ数などの細部をきちんと確認してからご返事したいと思いますので、しばらくお待ちください。--Urania 2010年1月25日 (月) 12:23 (UTC)
本件については、以前、レポート作成時に確認する必要が生じ、念入りに調べたことがあるので、それをもとに説明します。説明に入る前に、根本的な疑問を提示しておきます。それは、そもそも古写本の旧蔵者について、個人のフルネームを記載する必要があるのかという点です。保阪潤治氏については、半世紀近く前にお亡くなりになっていること、銀行の頭取を務め、『上越市史』に郷土の人物として登場することから、公人であり「歴史上の人物」とみなされること。以上により、ここで調査結果を詳しく説明してもプライバシーの点では問題はないと判断しました。
- (1)官報告示
もっとも公的で信頼できる出典として、「官報告示」と『法令全書』を挙げておきます。 保阪潤治氏は、戦前に多くの旧国宝(現行法の重要文化財)や重要美術品の古典籍、古文書、絵画等を所蔵していました。重要文化財(旧国宝)の指定、及び、重要美術品の認定は、官報に告示されることによってその効力を発します。告示には文化財の名称とともにその所有者名が明記されています。『指定文化財総合目録 美術工芸品篇』(昭和33年版)を見ると、所有者「保阪潤治」の項に挙がっているもの、及び、所有者は変わっているが、「保阪潤治旧蔵」と注記のあるものを含め、全部で17件の重要文化財が、指定当時保阪氏の所有だったことがわかります。『重要美術品等認定物件目録』(思文閣刊)を見ると、計41件の重要美術品が保阪氏の所有だったことがわかります。これらの目録には、各文化財の指定・認定年月日(=官報告示日)が明記されているので、当該年月日の官報告示を見れば、所有者名が「保坂」「保阪」のいずれで表記されているか確認できます。該当する文部省告示は昭和6年から18年にかけて、計18件あります。戦前の官報の原紙は、国立国会図書館の議会官庁資料室にでも行かないとなかなか閲覧できないと思いますが、同じ告示は『法令全書』にも掲載されています。原書房から出版された『法令全書』の複写版は大きな図書館に行けば参照できます。以下、少しわかりにくいかもしれませんが、「保阪潤治」という氏名が確認できる文部省告示の官報掲載年月日、告示番号、当該告示が収録されている、原書房『昭和年間法令全書』の巻号とページ数を掲げます。
- 旧国宝(重要文化財)指定告示
- 昭6.1.19(9号)5巻の6、p.21
- 昭6.12.14(332号)5巻の6、p.158
- 昭8.1.23(15号)7巻の15、p.9
- 昭10.4.30(172号)9巻の9、p.55
- 昭11.5.6(226号)10巻の10、p.44
- 昭12.5.25(250号)11巻の20、p.67
- 昭14.5.27(337号)13巻の13、p.87
- 重要美術品認定告示
- 昭8.7.25(274号)7巻の9、p.104
- 昭9.3.20(101号)8巻の8、p.91
- 昭9.7.31(232号)8巻の8、p.165
- 昭10.5.10(191号)9巻の9、p.73
- 昭11.7.13(285号)10巻の10、p.98
- 昭12.5.27(250号)11巻の20、p.67
- 昭12.8.28(306号)11巻の20、p.154
- 昭12.12.24(434号)11巻の20、p.234
- 昭13.12.21(363号)12巻の14、p.191
- 昭15.9.27(558号)14巻の18、p.171
- 昭18.10.1(754号)17巻の25、p.167
これら18件の告示を見ると、姓の表記は全て「保阪」となっており、「保坂」となっている例は1つもありません。これは、私の主張に都合のよい事例だけを恣意的にピックアップしたのではなく、調査可能な告示は全て拾い上げたものです。そのことは、上に挙げた文化財目録等を参照していただければわかります。「官報告示」と『法令全書』は、「六法」などの法令書の原典となっているものであり、出典としてはもっとも公的かつ信頼のおけるものです。むろん、官報告示にも絶対に誤植がないとは言えません。告示が1件だけなら、誤植の可能性も完全には否定できないでしょう。しかし、12年間にわたって18回出された告示が1つ残らず誤植である(つまり、同じ誤植が18回繰り返され、正しく印刷されたことは1度もない)という蓋然性は全くないと言ってよいでしょう。
- (2)本人存命中に刊行された人名録
大抵の図書館には『人事興信録』『日本紳士録』等の人名録が架蔵されています。この種の人名録は、発刊当時存命であった人物を収録するもので、収録されている人物本人が、原稿の確認と掲載の許可をしているはずです。したがって、人物の氏名については当の本人が希望した表記になっているわけです。また、この種の人名録は一回限りの出版ではなく、隔年ぐらいで継続的に刊行されているもので、見出し語である人物名が間違っている可能性はきわめて少ないといえます。上では比較的参照しやすいと思われる『昭和人物辞典』(戦前刊行の『大衆人事録』の復刊)を出典として挙げましたが、『人事興信録』の戦前の版を見ても、やはり「保阪」となっています。本人存命中に刊行された、複数の人名録に「保阪」と表記されているということは、それが間違いである蓋然性はきわめて低いといえます。
- (3)地元の市史
上の方でも述べましたが、『上越市史 通史編5』には、保阪潤治氏の名前が5回登場します。同市史には潤治氏の先代の保阪貞吉という人物もたびたび登場しますが、いずれも全て「保阪」と表記されています。また同書147 ページには「保阪家」という小見出しがあり、同家の由来等について詳しく説明があります。ここで保阪氏・保阪家は、「古文書の所蔵者」としてではなく、郷土の人物、地元の有力者として登場しています。『上越市史』は、学識経験者や郷土史研究家が多数参画して編集されたものであり、たびたび登場する郷土の人物に関する記述は信頼できるものといえます。
(1)の官報告示だけでも、「保阪」を正当とする根拠としては必要十分と考えます。これに加えて(2)本人が原稿の確認と掲載許可をしている人名録(複数)、(3)本人が郷土の人物として紹介されている地方史という、きわめて信頼性の高い資料群が「保阪」と表記しています。一方、「本名は保阪だが、筆名・雅号等として保坂を使っていた」ということが検証可能な出典は未見であり、仮にそのような出典がどこかから出てきたとしても、「保阪」が本名であることには変わりありません。合理的に判断すれば、上掲の(1)(2)(3)の資料群の全てが(1つの例外もなく)間違いであるということはありえません。以上のことから、「保阪」が正当であることについて合理的疑いを差し挟む余地はありません。手書き文字の場合、「阪」「坂」のような同音で字形も似通った漢字は、誤読する可能性が十分に考えられます。「坂」が正しいという先入見があればなおさらのことです。
以上で説明としては十分ではないかと思いますが、なおネット上で確認できる情報を二、三追加しておきます。潤治氏の先代の保阪貞吉が、高田城の外堀にハスを植え、レンコンを育てたという逸話は、地元では有名なようで、上越市の公式サイトを含め、複数のサイトで確認できます。上越市戸野目の保阪潤治邸は、「旧保阪邸」の名で、展示会場などとして活用されています。 こちらのブログにある「花展」の「ごあんない」(画像拡大可能)や、「霜月のお誘い」のポスターなどを見ると「旧保阪邸」の表記が確認できます。文化庁が提供している「国指定文化財等データベース」で重要文化財の「白氏文集巻第三十三(金沢文庫本)」の解説を見ると、解説文中に「保阪潤治氏」と出てきます。(参照 [2])--Urania 2010年1月29日 (金) 22:33 (UTC)
- Uraniaさんはあくまで現状から「要出典」タグを外すことのみの編集を行うべきことを繰り返し主張されています(ということでよろしいのでしょうか)が、いくらUraniaさんが「念入りに調べた」結果「保阪が正しいという結論に達した」としてもUraniaさんが最初にやった編集のように一切出典を示さずに「保阪が正当である」とだけするのはさすがにまずいと思いますし、その現状からIPさんが加えた要出典タグを取り外すだけの編集もやはり望ましくはないと思います。Uraniaさん自身が加筆された中にあるように「「保坂本」の表記が定着している」という状況にあり、「保坂」表記についても通常なら十分すぎるほどの出典が存在することが示されているわけです。この点についてはノート内の議論で根拠を示すだけでなく記事内で脚注などの形で根拠を示してきちんと説明しておかないとこれからも「保坂」表記が正しいと書き換える編集が行われる可能性があると思います。Uraniaさんが言われるように「後々このページをご覧になる未来の読者のためにも」本書「源氏物語大成」の中では「保坂」と表記されており、それ以外にも「保坂」としている文献も存在することを踏まえた上で「「保阪」が正しい」ということを記事の中で十分に説明しておく必要があるでしょう。そういう編集方針をとるならIPさんも「保坂」だけを書けと言っている訳ではなく両論併記を主張されているわけです(ということでよろしいのでしょうか)から「この記事を具体的にどうするか」を話し合えば歩み寄りの余地はあると思うのですがどうでしょうか。あと2人だけで議論して堂々巡りするようならコメント依頼なり井戸端なりで広く意見を求めてみたらどうでしょうか。--222.147.185.169 2010年2月1日 (月) 03:28 (UTC)
私はここまでで示されている根拠の範囲では、それぞれの根拠を示して「保坂とする文献と保阪とする文献が存在する」という記述にとどめるべきであり、これらの情報に考察を加えて「保阪が正しく保坂は間違い」とまで断定してしまうのは、例えば「本名でないのにこれだけさまざまな資料に現れる『保坂』は本人が実際に使用していた雅号のようなものではないか」といった推測を行うのと同様にウィキペディアでは行うべきではないとされている「独自研究」にあたると考えています。なお、ずいぶんUraniaさんを気を悪くさせてしまったようですが、上記の私の主張は別にUraniaさんがかつて念入りに調べて到達されたという「保坂は間違いで保阪が正しい」という結論を否定するものではありません。ではなぜ「保坂は間違いで保阪が正しい」とする記述に反対するかというと、Wikipedia:独自研究は載せないにあるように「新しい未発表の理論」は、きちんとした媒体で発表されてからその発表内容に基づいて記述されるべきだからです。但しUraniaさんが作成されたという「念入りに調べた結果保阪が正しいという結論を出したレポート」が何らかの媒体で公開されているならは、それを出典として「保阪が正しい」と記述出来るかもしれません。--211.124.131.177 2010年2月1日 (月) 17:41 (UTC)