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ノート:満良親王

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藤原石山著『南朝正統皇位継承論』(119頁、南朝史学会、1988年)に、『熊谷家伝記』に後醍醐天皇の第11皇子の事を「遠良親王」、「遠露大和尚」と記されていることについて、後醍醐天皇の第十一皇子「満良親王」の「満良」を、「みちなが」と読み、「みちなが」は「道長」で「道長し」すなわち「遠路」で、遠良(えんろ)、遠露(えんろ)と 称したという解説が出ていて、こうしたことを「諺文学」「韻文学」といって、当時(南北朝時代)こうした学問が通用していたと書かれています。ここから満良の当時の読み方は「みちなが」であり、みつながではなかったことが分かります。 鈴木超世志 --超世志会話2017年1月22日 (日) 21:32 (UTC)[返信]