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ノート:湯川周麿

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「東海道名所風景」の「周麿」の作について

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初版から当記事に湯川周麿の作として出ている「東海道名所風景」(東海道名所之内)の錦絵についてですが、例えば「東海道 土山 鈴ヶ山坂ノ下」にある落款には「惺々周麿」とあります[1]。「惺々」とは河鍋暁斎の号であり、また文久のころ暁斎が「周麿」と名乗ったことは、『原色浮世絵大百科事典』第二巻の「暁斎」の項(23頁)にもありますが、湯川周麿の項(123頁)には作に「東海道名所風景」はなく「役者絵がある」と記すのみです。よって「東海道名所風景」にある「周麿」とある作は暁斎の作とみて削除しました。--ものぐさたろう会話2020年8月16日 (日) 00:36 (UTC)[返信]

Tgftn614です。申し訳ありませんでした。私は江戸東京博物館の所蔵品検索画面から、湯川周麿の作品としてヒットしたため、そのまま挙げてしまったのですが、他の作品も文久年間の周麿ということから、暁斎の作品と考えた方がよろしいでしょうか?--Tgftn614会話2020年8月20日 (木) 09:03 (UTC)[返信]
「東海道名所風景」のことであれば、「惺々」の号や時期から「周麿」とは暁斎の事とするのが妥当と考えます。しかし暁斎が「湯川」と名乗った例は知られません。江戸東京博物館が「湯川周麿」とするのは誤りでしょう。--ものぐさたろう会話2020年8月20日 (木) 09:30 (UTC)[返信]