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ノート:浮舟 (源氏物語)

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質問

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いくつか、分からない事があります。

一つには、各巻での呼称ですが、これはどの写本についてであるかを是非お示し下さい。そもそも青表紙本系である事すら、明記がなければ全く自明ではありません。(ウィキペディアは源氏物語ウィキではありません。) また大島本源氏物語の写本を見ても、たとえば定家自筆本と大島本がどのくらい違うのかも(現状では)分かりません。増してや別本などは一般の閲覧者では、なかなか本文を見られないと思います。また、そういった中で、特定の写本での呼称一覧にどの程度の意味があるのかも不明です。他のページでも類似の投稿が見られますので、改善をお願いします。

ついでに言えば、呼称の一般論は源氏物語系図で軽く触れられていますが、これは源氏物語の登場人物に移動するべきと思います。これは私がそのうち実行するかも知れません。(もちろん、独立した記事に移動できれば、それに越した事はありません。)


もう一つは「浮舟」の通称の歴史ですが、

  • 「やや特殊な事情」は、どう特殊なのかが示されておらず、現時点では意味の無い記述です。たとえば更級日記に確認できるのが異例に早いのか、他の登場人物に比べて現在の通称への定着が極めて遅いとか、そのような事を明記して下さい。
  • 各文の関係が分かりません。古系図単独に関しては分かります。一方で古注釈は、古系図と時代が重なっていても、古系図とは呼び方が異なる、という事でしょうか。それならば、明記が望まれます。また「古注釈」がいつまでを指しているのか不明です。更に、「古注釈書ではこの人物を「手習の君」と呼ぶことが多く」とありますが、接続する「「浮舟」と呼ぶほかに」との関係が不明です。文は一度ここで切れ、後続文は「古注釈云々」に入らないという事で良いのでしょうか。
  • 浮舟、手習の君、東屋の君などは、(いつから?) 時代が下るといずれもが鼎立して優勢な呼び方となったのでしょうか? すみれ草が、「これら」(手習君、東屋君のことですね?) が「一般的でない」としたというのは、これらが当時、普通の呼び方ではなかった、という事でしょうか? 逆に、「改めた」の語からは、「浮舟」の呼称こそが普通ではなかったようにも読めます。また、すみれ草以後、「浮舟」で定着したのかどうかも、分かりません。
  • 「手習三君」は読み方は分かりますでしょうか。(「てならい(の?)さんのきみ」で、「の」が入るのかどうか。) あるいは「振り仮名が見られる古系図は確認されていない」などの注でも、あれば親切でしょう。

色々申しましたので、一度に解決できるとも思えませんが、御存知の方は、よろしくお願い致します。--Ahora(会話/履歴2012年11月25日 (日) 01:47 (UTC)[返信]