コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:浅井長政

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

読みが「あさいながまさ」から「あざいながまさ」に、いつ頃変化したかの歴史が欲しいところです。--Ligar 2005年4月13日 (水) 17:42 (UTC)[返信]

  • 変化も何も、元々が「あざい」という事ですね。
参考にもなりませんが、滋賀県に「浅井」と付く地名が幾つかありますが、見た限りでは全て「あざい」と読みます。--125.30.2.212 2007年1月27日 (土) 22:50 (UTC)[返信]


浅井は平安時代中期に成立した「和名類聚抄」には「あさい」と訓じてあり、「あざい」と訓じられる例は近世の易林本「節用集」に見られるが、これ以前の黒本本「節用集」には見られないことから 近世になって濁ったものだと思われます。宮島敬一著「浅井氏三代」 (人物叢書)に詳しく書かれているのでぜひご一読を。--Udon-ya 2008年10月9日 (木) 02:58 (UTC)[返信]


「織田の同盟」に疑義

[編集]

織田・浅井同盟締結時の織田領は尾張一国と美濃のごく僅かの時代であり、徳川との同盟は同時期においては対等同盟である。その実情を無視した記述に違和感を感じるが。--163.139.25.208 2006年6月19日 (月) 02:00 (UTC)[返信]

長政の「長」が信長の偏諱であることはどの様な資料に基づく記述なのでしょうか。出典を明確にして頂きたい。--124.38.29.66 2011年1月5日 (水) 05:13 (UTC)[返信]