ノート:活字
コメント
[編集]- enのPrinting pressがこの項目へinterlangしてるのは適当なんでしょうか。
- 初めてローマン体を作ったのはAldusではないでしょうか。Aldusはイタリックか。
- ベルリン活字はベルリンで彫られましたが使用されたのは英華書院などです。メモ書きが紛らわしかったようで、すいません(ただ、弁解すると活字を作るだけの業者がいるので、ベルリンの活字業者が明朝体活字を作ったことがベルリンで使われたことと等値とはなりません)。
- パリのルグラン活字は明朝体に少し書きました。
- 美華書館ですが、これも明朝体も参照、あと付け加えると、ギャンブルが作ったのは二号と五号であるそうです(小宮山博史「明朝体、日本への伝播と改刻」『本と活字の歴史事典』印刷史研究会編、柏書房、2000、p.282)。同論考によると、
- 一号は英華のサミュエル・ダイア (Samuel Dyer) が彫り、それを米華のリチャード・コール (Richard Call) が引き継いだもの
- 二号は二種類あり、一つは上記ベルリンの活字業者バイエルハウス (August Beyerhaus) が、英華の発注で作ったもの、もう一つはギャンブルが改鋳したもの
- 三号はルグランの分合活字がマカオの米華に行ったもの(英華では不使用)
- 四号は一号と同じ
- 五号はギャンブルが新たに製作したもの
- ださうです。あと、漢字活字の状況は日本への伝来で扱うものではないと思います。
- 康煕字典は中国でも書写体と一致しておりませんでした(意地悪)。
- 号数活字コメント部インテル鯨尺説はなんですか? 同コメント部初号が後から付けられたものだ、というのは確かで、新町活版の最初の広告には一から五号までしかござんせんでした。倍数の整備ははて平野活版、その後、不明です。ただ、本木の弟子と呼べるのは平野富二や長崎に残った連中であり、且つ、ギャンブルに本木と新町私塾の人々は教わったのですから、あまり向いていないなと思います。
- 隆盛と衰退ですが、衰退の部分に目を付けすぎではないでしょうか。
註文だらけですが、当然自身への訓戒でもあり。 -- Kzhr 2005年8月25日 (木) 15:59 (UTC)
- んー。もうこのレベルになると現在の僕にはついていくのも無理になってきているので、正直全部おまかせしたいところです。m(_ _)m
- 隆盛と衰退。隆盛のところは、じっさいkzhrさんがいつか書かれるだろうなと思って置いてあります(汗)。僕はそのあたりのこと分からない&きちんと調べるには(こちらに振り向ける)時間がない昨今です。
- (専門的でない)本では「明朝体は明の時代に作られた」との説明で終わっているものとて少なくない現在です。本稿を開く人(いまや年齢層は幅広いですし)が持っている知識は、ときに「明治の日本人がシステムを全部つくった」になっていると思います。(実際にいろいろな方に聞いてまわった感触) そういった方と話をするときに、結果・結論だけでなくて、なんていうんでしょう。順序立てて説明したほうが通りやすい(理解されやすい)と感じています。
- それから、僕の知っていることの、おそらく20~30%はA社のMさんとかS社のKさん(研究者でなくて普通の、業界に僕の人生の倍以上いる方。)といった方々から伺った話とかで、言ってみれば口承のたぐいです。ちょっとここでお名前を出すわけにもいかないですし、思えばいろいろ伝言ゲームにもなっているでしょうからそういう意味での学術的ソースたりえるとは言い得ず、きちんとしたところに立脚して、バッサリやってもらって一向に構わないわけです。
- Printing press は違うような気がしますが、どうなんでしょう。あ、本文中「物質性」も川の流れに洗われてあっという間に丸くなるかと思っていたのがまだ尖っていますね……。もうちょっと一般的な言葉に書き換えるか、これもばっさり切っていただいて構いません。wikiwikiwayですし。FeZn 2005年8月29日 (月) 15:14 (UTC)
- お任せ、といわれると、では私も誰かに、とでも云いたくなるのですが、それはさて措き、活字というものを取り扱うとき、次のようなアプローチが考えられます。(活字そのもの、或は印刷という)複製の効率化、書体的変遷、世界的移動、メディアとの関わり。いくらかは活版印刷と範囲が重なるものですし、タイポグラフィ、夫々の書体、夫々のメディアとも重なり、そこらへんのバランスの妙は、……どうしたらいいのでせうねえ。
- 明朝体は明代に作られた、というお話、明朝体の始まりのほうは今市、どころか全く調べが足りない私に何か説明を、と言われても明朝体の項目の参考文献に挙げたウェブサイトをごらんください、としかいい様がありませんし、結果や結論だけを書こうとは思いませんが、錯綜しているところは、その錯綜を一緒に味わいたい気にもなり、寧ろ錯綜を錯綜として提示するほうに切磋琢磨しそうです。また、空で書きさえするので、そういう怪しいところを整理してくださるかたを常々期待しているのですが……。
- 口承は、それ自体価値があるものだと思いますが、明治期の口承については三谷幸吉による取りまとめがあり、それ以降になる口承、例えば当事者による真実の暴露のような、例えば岩田の明朝体は大日本のポイント活字をオリジナルにしている、というもの、或はリュウミンは森川龍文堂の新体明朝を写植化したものだという類の伝説は取り入れられたらなあ、という風に思います。
- 困惑と大判風呂敷だけですがこれにて。 Kzhr 2005年9月8日 (木) 13:39 (UTC)
活字の画像について。
[編集]図「グーテンベルク以降の金属活字。」の活字だと、印刷した時に裏返しの あ になってしまいます。画像はこのままで良いのでしょうか。(半分冗談ですが。)--Naotosi.t 2006年7月4日 (火) 20:08 (UTC)
- 仰るとおりですね……、修正しました。ご指摘ありがとうございました。 Kzhr 2006年8月6日 (日) 06:18 (UTC)
フルニエポイント?
[編集]美華書館の活字をフルニエポイントと結びつける根拠はどこにもありません。なぜなら、フルニエポイントはボディの大きさを名称で指示していた時代の米国の活字ボディと何ら直接的連関を持たないからです。そもそもフルニエの用いていた活字のボディの大きさは必ずしも精確には知られていません。ベルギーなどで用いられていた活字のボディの大きさを「フルニエポイント」と呼ぶ習慣はありますが、それがどの程度フルニエの活字のボディの大きさに連関し、また近似するのかも分かっていません。また、国際的な交通機関の限られていた時代に、ポイントシステムの体系が自由に取捨選択できる可能性も皆無でした。ポイント制が標準化される以前の米国製活字のボディには、必然的に鋳造所間、同じ鋳造所であっても製造時期などの差異などによって、きわめて幅広い範囲でボディの大きさにはバラツキが存在していました。その内の一つが「フルニエポイント」らしき数値(フルニエポイントそのものの大きさがはっきりしていない)と近似したからといって、そのボディの大きさが何か18世紀フランスのフルニエと関連していることを証明することにはなりません。むしろ、19世紀をとおして、米国製の活字がAmerican Point System標準化への動きの中で、最終的にはMacKellar Smiths & Jordan社のPicaを基準とするボディの大きさに収束したことを考えると、必然的なバラツキの範囲内において、美華書館の活字のボディも、ごく平均的な米国製活字のボディサイズのどれかに倣ったものであったと考えるのが妥当でしょう。この記事にあるように、美華書館がPicaやSmall Picaの名称を用いていたのであれば、その活字のボディの大きさは、正にそれらの名称で指示される以外の大きさではありえないのであり、フルニエポイントなど他の大きさの体系や単位と関連付けることは無意味と言えます。歴史は不可逆的です。やがて、ポイントシステムを標準化することで、ボディの大きさを標準的な尺度体系と関連付けた基準の大きさを分割した単位によって体系的に計測し指示するようにした理由は、ポイントシステム制定以前、名称だけで大きさを指示していた時代には、活字のボディにバラツキが不可避であったからなのです。バラツキのあるボディのサンプルに対して、何らかの特定の体系を当てはめても、偶然その大きさに近似が見られたとしても、関係があることにはなりません。 上記の理由から、号数活字または美華書館の活字のボディの大きさとフルニエポイントとの関係についてのこの記事の言及は不適切であると考えます。--以上の署名のないコメントは、218.33.128.121(会話)さんが 2007-07-03T14:35:30 に投稿したものです(tmonzenetによる付記)。
Interlang
[編集]- 活字 = en:Movable type
--以上の署名のないコメントは、208.53.157.11(会話)さんが 2008-01-25T16:30:04 に投稿したものです(tmonzenetによる付記)。
他言語版へのリンクについて
[編集]上で何回か話題になっているインターラングの件ですが、以下のように変更しても大丈夫でしょうか? 便宜上、英語版へのリンクのみ示します。
- 活字(現在はen:Printing pressにリンク)→
en:Movable typeに変更。en:Sort (typesetting)に変更。- これはおかしいと思います。英語と日本語の記事を読み比べてみると、概念が対応していません。英語の Sort の記事は「金属活字の1文字」という、より狭い概念 (専門用語) を扱っています。現時点では、「印刷における文字をコンポーネントとして使いまわす」という活字の概念にもっとも近い説明が書かれているのは英語版では Movable type のように思われます。-- euske 2009年4月12日 (日) 01:47 (UTC)
- en:Movable type(現在はタイポグラフィにリンク)→
活字に変更。できれば活版(現在は活版印刷へのリダイレクト)を項目化し、そこにリンク。 - タイポグラフィ(現在en:Typographyにリンク)→そのまま。
- en:Typography(現在タイポグラフィにリンク)→そのまま。
- en:Printing press(現在は活字にリンク)→できれば印刷機を新規立項し、そこにリンク。
- 印刷機(現在はプリンターへのリダイレクト)→新規立項するか、せめてリダイレクト先を印刷に変更
玉突き衝突的に変更が必要になりますので、みなさまのご意見を伺えれば幸いです。--tmonzenet 2008年12月29日 (月) 18:21 (UTC) しばらく調べていましたが、以上のように提案を変更します。引き続きご意見をお待ちします。--tmonzenet 2009年1月6日 (火) 11:11 (UTC)
いわゆる嫌韓による荒し行為について
[編集]白象塔で発見されたと称する最古の活字印刷物ですが,印刷史家には黙殺された資料で,郷土史家がそう主張しているのみのようです(出典としてあげられている文献は,印刷史の専門家によるものではなく,この項目にとって優先順位は低いものです。また,まともな印刷史家で言及をしている人を見たことがありません)。そうである以上,(そもそも取り上げる意義を感じませんが,)現在承認されている最古の活字印刷物よりも古いと主張される文献がある,というていどの扱いが適当なところ,執拗に最古であると主張するのは荒し行為以外のなにものでもありません。 Kzhr(会話) 2013年1月14日 (月) 14:36 (UTC)
『遼宋西夏金代通史 四』は学者が出版した書籍であり、出典としての条件を満たしているにも拘らず、個人の独自見解に基づいて Kzhrは記事と出典を消去する荒らし行為を繰り返しているが、荒らし行為を行う前に挙げられている3件の印刷物を否定する書籍なり論文なりの根拠を提示する事。--112.138.40.237 2013年1月15日 (火) 18:11 (UTC)
- その著者が学者でもだれでもなんでもいいですけど,書誌学・印刷史は歴とした伝統のある研究分野であって(大学等の図書館にある書誌学の入門書をお読みください),そこでの主流の見解がまず取り入れられるべきであって,傍流を主流と主張する行為こそ笑止というものですが,とりあえず,WP:NPOVをお読みください。 Kzhr(会話) 2013年1月16日 (水) 02:57 (UTC)
- 報告 編集合戦を理由に、とりあえず1週間保護しました。活版印刷も同様に保護しました。--ろう(Law soma) D C 2013年1月16日 (水) 07:41 (UTC)
まずは書誌学の入門書とやらの具体名をお挙げ下さい、「そこでの主流の見解」と言われても、例を提示されなければ何所の国の主流の見解かすら判断出来ませんよ。誰も現存最古の高麗による金属活字印刷物まで否定しているわけじゃあない。--222.230.70.94 2013年1月18日 (金) 06:23 (UTC) Law somaさんも普段はいい管理者なのに母国の史観に対しては盲目的に権限を乱用するね
- あらしさんに附き合ってるひまはないので探してください。 Kzhr(会話) 2013年1月18日 (金) 13:44 (UTC)
>222.230.70.94さんへ。明らかな荒らし行為ならば兎も角、単に編集合戦を止めるのが目的の保護ですので、気付いた時点の最新版で保護するのが原則であり、そうしただけです。なお、私は特別他民族に対する蔑視の感情を持ち合わせていないのでスルーしますが、国籍が意味をなさないWikipediaの編集において「母国」との表現を使うのは止めた方がよいと思います。なお、私は先祖代々分かる限り室町時代末期まで遡っても外国籍の人が系図に現れないのですが、超能力でもおありなのですか?
>Kzhrさんへ。上記の私への反応を見る限り、何となく否定もしかねるのですが、Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないを一度お読み下さい。
いずれ、歴史分野というものは、先進国におけるそれほど細分化されており、特定の分野における通説に対し別の分野の学者が示した反論が、反論の体を為していないことはままあります。その点について、よく話し合って下さい。--ろう(Law soma) D C 2013年1月21日 (月) 01:07 (UTC)
- 報告 保護明け直後に、再度取り消しが認められましたので、本記事及び活版印刷を1か月保護しました。このようなことが繰り返されるのであれば、利用者のブロックも検討しなければなりません。1か月経過後まで話し合いにならず編集合戦が繰り返されるようであれば半永久保護も検討しなければなりません。--ろう(Law soma) D C 2013年1月24日 (木) 07:23 (UTC)