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ノート:津軽地方

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津軽地方の範囲について

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中世の青森市(浪岡を除く)や平内町は、津軽扱いされていなかったかもしれません。外が浜は津軽の範囲には含めなかったこともあったようですから。しかし、さすがに江戸時代になると、そうでもないはずです。平内町までが津軽郡の範囲だったはずです。よって、青森市・平内町を津軽地方に含めるのが妥当でしょう。(もっとも、現在でも青森地区を津軽地区と別扱いにする場合はないこともないのですが。)駄言 2006年3月29日 (水) 13:39 (UTC)[返信]


 以前から、このページは青森市を津軽地方のなかに含めるべきか、含めるべきでないかで編集と削除が繰り返されています。残念ながら、これに関しては、私が一方の当事者であると考えられても仕方がない状況ではあります。しかし、これに関して私の従来からの主張を裏付ける資料を知っています。

 地名辞典では、青森市を津軽地方の中に含めています。

角川日本地名大辞典 2 青森県(1985年 角川書店)より 「津軽地方  県西部の広域称。藩政期津軽氏の支配を受けた地域に相当し、県東部の南部地方に対して用いられる呼称。青森市・弘前市・黒石市・五所川原市および東津軽郡・南津軽郡・中津軽郡・西津軽郡・北津軽郡内の4市16町15村を含む。」

 私は、青森市とその周辺地域を、あえて津軽地方とは別の「青森地方」などとする用例は見たことがあります。そして、私も、津軽地方と言えば、八甲田山や三内丸山遺跡よりも、岩木山や津軽平野・垂柳遺跡などを思い浮かべますし、個人的には「津軽の代表都市」は青森市ではなく弘前市だと考えています。だから、私は青森市が「狭義の津軽地方」からははずれると考えます。  しかし、前述の通り、津軽地方とは、青森県内に存在する旧津軽家領の領域という定義の方が一般的です。さすがにこちらを無視するわけにはいきません。  よって、編集合戦のそしりを恐れず、私の前述の主張に基づいて本文を編集します。  あとは、読者の方々及び管理者の方々にこの本文に関する判断を委ねたいと思います。駄言 2007年9月14日 (金) 03:02 (UTC)[返信]

南九州でも似たような混乱がありまして、出典を明記した上で多論を併記するという方向で収拾を図っています。それなりに信頼できる出典がある限りは併記しておくべきでしょう。あるいは一方の出典が示されていなくても「敢えて論敵のために出典を探す」ぐらいの度量を示せば納得してもらえるのではないかと思います。但し、これをやると本文の整合性を取るのが面倒にはなりますね。実際、南九州の項目はまだ修正作業が続いています。事情は違うかもしれませんがとりあえず参考まで。--Ray go 2007年9月14日 (金) 12:51 (UTC)[返信]
ご忠告ありがとうございます。国土交通省関係のサイトで津軽と青森の区分の事例を見つけましたので、それを本文で言及しました。駄言 2007年9月17日 (月) 14:08 (UTC)[返信]

青森地方気象台のウェブサイト内「青森県の警報・注意報の発表地域区分」において、一次細分区域に「津軽」の定義があります。この範囲は、津軽藩や津軽郡とも通じる広義の津軽の定義だと思います。長期に渡って、この広義の津軽を認めないIPユーザの活動が見られますが、毎日の天気予報で用いられるほどの定義を否定・削除するのは間違ってますよね。もね~るmoner 2007年9月17日 (月) 17:14 (UTC)[返信]

定義を書き換えてみました。追加の出典も含め、推敲をお願い致します。もね~るmoner 2007年9月18日 (火) 20:34 (UTC)[返信]
もね~るさん、いつもお世話になっております。前文については、最近の当地の地方史研究において、「津軽藩」という言い方よりも、「弘前藩」「黒石藩」という呼び方が主流になってきています。また、「津軽郡」については、歴史の項目で取り上げていますので、割愛しました。ご了承下さい。駄言 2007年9月20日 (木) 03:19 (UTC)[返信]
駄言さん、いつもお世話になっております。駄言さんの深い知識で、当記事が発展していくことを望んでおります。これからも加筆・編集よろしくお願い致します。もね~るmoner 2007年9月20日 (木) 14:12 (UTC)[返信]