ノート:法明戦
この記事は2015年10月17日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
改名提案
[編集]本項を「明法戦」へ改名することを提案します。理由は「早慶戦」や「早明戦」を慶応や明治の関係者以外が決して逆さ読みしないのと同様であり、現在の項目名のままでは百科事典としての信用性が損なわれるため。一週間の審議期間を経て合意形成に至りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。--BOIDS 2010年1月4日 (月) 00:30 (UTC)
- お言葉ですが、慶應関係者は早慶戦ではなく「慶早戦」と必ずといっていいほど使っています。明治関係者も愛校心を込めて明早戦と呼ぶことの方が多いのではないでしょうか?少なくとも私はそう実感しております。過去にも同様の論争があったようですが、「慶早戦」は早慶戦へのリダイレクト化をして解決していますし、ここも同様にされてはいかかでしょうか。また、「現在の項目名のままでは百科事典としての信用性が損なわれる」とおっしゃいますが、こうおっしゃる理由がまったくもって理解できません。この項目名がなぜ「百科事典として信用性がない」となるのでしょうか。飛躍しすぎかもしれませんが、wikipediaへの冒涜と感じます。私はあくまで六大学での使用頻度に合わせてこの記事名としたのです。本文にもある通り、江川卓選手が活躍していた時代には必ずといっていいほど「法明戦」という言葉が使用されていました。各メディアもその言葉を使っていたと確信しています。より多く使用されている言葉の方を項目名とすべきではないのですか?だからこそ「信頼性のある百科事典」となるのではないのでしょうか。--新たな旅立ち 2010年1月5日 (火) 18:38 (UTC)
- (参考追記:Googleでの検索結果は「法明戦」がおよそ480万件、「明法戦」がおよそ470万件と10万件も違いがあります。また、これは個人差ではあると思いますが、私のパソコンでは「ほうめいせん」で変換すると一発で「法明戦」と出てきますが、「めいほうせん」では出てきません。)--新たな旅立ち 2010年1月5日 (火) 18:38 (UTC)
- (改名せず)意見表明を忘れていました。すみません。改名には上記の理由から反対です。--新たな旅立ち 2010年1月6日 (水) 16:02 (UTC)
コメント ちなみに、慶応関係者でも「早慶戦」でOKですよ。--Lakebuel 2010年1月7日 (木) 00:50 (UTC)
- 早慶戦とか早明戦とかいう呼称そのものが「東京六大学野球」に端を発しています。リンゴ事件で早慶戦が中断してからメイジが両校と対戦する形で始まったのが三大学対抗戦。そこで「早明戦」「慶明戦」が定着しました。
- その後法政・立教・東大の順に加盟し、「東京六大学野球連盟」が発足しました。したがって早慶明法立東の順で呼称する習慣があります。「早明」や「慶明」と同じ「法明」だと語呂がよい等の理由ではないのです。この歴史を知らない人々が多数おられるようです。私は江川選手と同じ世代(2歳下)のものですが各マスディアは「法明戦」を使用していた事実は知りませんし、その時代のNHKの六大学野球の実況担当の鈴木・土門・西田の名物アナは「明法戦」あるいは「明法両校」と使用しておりました。NHKで「法明戦」とコメントした例として工藤三郎アナが川上憲伸投手の時代に一度あった、記憶しております。アナウンサーとして勉強不足です。歴史的に見ても「明法戦」が本来妥当であり、当該表記は百科事典としては訂正される方がよいのではないかいのでは、と考えます。当然、改名ではなく訂正提案に賛成します。利用者:六大学野球研究会 -- 以上の六大学野球研究会署名の書き込みはIP:111.232.231.138(会話 / 履歴)さんによるものです。インデントをついでに修正-アルトクールによる付記
コメントさせて頂きます。明治関係者ではありませんが、「法明戦」などとは聞いたことがございませんので「明法戦」がよろしいかと。ご参考までに「六大学野球~六大学はなぜ六大学なのか~」(文:佐藤文明、イラスト:竹内久普、現代書館)によりましても、「明法戦」との記述がございます。また、六大学野球研究会氏がおっしゃられているように、対立していた慶應・早稲田両校の間をとりもった明治の尽力なくして、今日の慶應と早稲田の定期戦はおろか六大学野球すらなかった可能性もあるとのこともあり、六大学野球研究会氏と同じく、歴史的経緯・貢献度においても「明法戦」が妥当であると考え、BOIDS氏の提案に賛成いたします。--Cyupi 2010年1月29日 (金) 14:53 (UTC)
コメント確かに一部史料などには明法戦との表記も見られるでしょうが、私の実感としてはやはり法明戦の方が重みがあると感じますし、聴きなれた言葉であります。「NHKでは使われていない」とおっしゃいますが、そんなことはなかったと記憶しています。また、歴史的経緯はともかく、早慶戦への貢献度と申していますが、当記事に貢献度は加味する必要があるのでしょうか。あくまで、明治と法政の似たもの同士の関係性だけが焦点ではないのですか?仮に貢献度を取るにしても、例えば、2007年5月18日分放送の文化放送歴史探訪では、「明治と法政の両校の最後通牒により慶應が早稲田と野球で戦うことを決意した」との文章があります(著作権上の関係でそのまま文は載せられませんが)。早慶戦はあくまで早稲田と慶應の事項であって、明治と法政が中に割って入るというようなことは断じてあり得ないものだと確信しております。過去も、そして将来もです。ちなみに、これはBOIDSさんへお聞きしたいのですが、改名ではなく訂正に賛成とはどういうことでしょうか。--新たな旅立ち 2010年2月7日 (日) 08:03 (UTC)