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ノート:ポタモイ

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ノート:河神から転送)

河神という記事名について

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ポタモイという記事名は、従来聞いたことがなく、使用例が一般とは言えない(英語での記事名にまどわされての独自研究)。そのため、河神に移動したのですが、河神というのは、普通名詞で、一般の「河川の神・精霊」等で、世界中で、このような河川に宿る、河川を守る精霊や神が存在するとも言える。河伯という言葉もある(ただし、中国語で漢字の色々な言葉があるとしても、日本語が優先する)。このような状況を考えて見ると、ギリシア神話での河の神は、河神 (ギリシア神話) のようにした方が適切であるようにも思える。河神は、あるいは曖昧さ回避ページとするのがよいのではないかとも思える。河神の記事名は、ポタモイへのリダイレクトとして使用されていたので、河神は空いていたとも言えるが、今後どう考えるのがよいのか。世界の様々な文化での「河川の神・精霊」の記事が仮に立つとすると、河神 (ギリシア神話) のようにするのがよいように思うが、意見をうかがいたく思います。

(独立記事として、他の文化での「河神」が立つことがない可能性もあります。ウィキペディアができてから20年近く経過したが、河神というような記事は立たなかったので、これは、独立の記事にするには、マイナー過ぎるのかも知れない。ギリシア神話の場合は、「河神」が明確に存在し、河川のニュンペーや、自然の精霊と組み合わさっていて、独立の記事として成り立つが、他の文化では独立記事にはならないのかも知れない)。

なお、ポタモイは、非常にまずい例です。ウィキペディアは、何か記事を作るなり、何かに命名したりすれば、それがそのまま、広く認知されてしまうという大きな問題がある。専門家や研究者が、ポタモイを使っている場合は、ウィキペディアはむしろそれに従うべきであるが、実情として、河神をポタモイと呼ぶような例は、例外的ではないかと思う。現在、weblio などで堂々とポタモイが出てくるが、これは、ウィキペディアの記事に問題がある。ウィキペディアに何か新規な、独自なことを書いて、そのままになっていると、これが「一般的な知識」だとして、インターネットで広がってしまう。これは絶対に避けねばならないことです。(個人がブログや自分のウェブサイトに何か書いても、一般的な知識としては広がらないが、ウィキペディアに書くと、何か権威ができてしまい、そういう言葉や概念があるということになってしまう。これは避けなければならない。影響が非常に大きい)。--Stella maris会話2024年8月31日 (土) 12:48 (UTC)[返信]

単に「自分が知らない」だけで固有名詞が一般的かどうかを判断するのは誤りです。また一般的でないとしても用語として正しいか正しくないかは別の問題です。
ギリシア神話に登場する河の神(河の化身あるいは擬人化、神格化されたそれぞれの河、河の精霊等の概念を含む)を古代ギリシア語でΠοταμοί,(Potamoi 音声転写「ポタモイ」単数形: Ποταμός , Potamos 音声転写「ポタモス」)とするのは『神統記』をはじめ多数の古代ギリシャの資料に記述された事実であり独自研究でも命名でもありません。
例)
・ヘシオドス『神統記』「τόσσοι δ᾽ αὖθ᾽ ἕτεροι ποταμοὶ καναχηδὰ ῥέοντες,υἱέες Ὠκεανοῦ, τοὺς γείνατο πότνια Τηθύς·」
・ソポクレス『トラキスの女たち』
「μνηστὴρ γὰρ ἦν μοι ποταμός, Ἀχελῷον λέγω,」
・ホメロス『イリアス』
「καὶ γὰρ σοὶ ποταμός γε πάρα μέγας, εἰ δύναταί τι χραισμεῖν·」
一方、『ギリシア・ローマ神話辞典』に「河神」という表記が多数登場するとしても、それは単に「河の神」という説明あるいはそれを短縮して名詞化した一般名詞に過ぎず、「河神」は時代宗教を問わず広く河の神を指す言葉で「ギリシア神話に登場する河の神」だけを指す言葉ではありません。
ポタモイの和訳としては適切な語ですが「ギリシア神話に登場する河の神」の項目名としては和訳よりも原語の音声転写方が適切だと思います。項目名「河神」はドイツ語版wiki「Flussgott」の翻訳項目などに相応しい言葉です。
いずれにしても広くコメントを求めて議論を行い合意を形成したうえで編集してください。Wikipedia:コメント依頼--BFuPmXjW会話2024年9月3日 (火) 04:24 (UTC)[返信]