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ノート:沖縄病

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2006年12月31日までの内容

内容について

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考えてみれば、どうでも良いテーマであり、自分にとってもどうでも良いことなので、削除なりなんなり、どうでも良いです。ところで、自分が今後もWikipediaを百科辞書として使わせてもらうに際して聞いておきたいんだけど、Novoさんって、Wikipediaの管理人等の立場なの?確かに百科事典は客観的な正確性が必要で、みょうちくりんな記載はNGだと思う。過去の記載履歴は確かに酷かったけど、Novoさんが一般ユーザであれば、一方的な編集は、これまた正確性を損なうリスクはあるよね?そもそも百科事典の根本的な意義って何だろうね。マスコミ報道では、事実の客観的記載にとどめ、記者の個人的主観を述べてはいけない等の基準がある、と最近知ったんだけど。 --以上の署名のないコメントは、222.146.35.86会話/Whois)さんが 2007年4月9日 (月) 23:16 (UTC) に投稿したものです。[返信]

私は「管理人」(管理者)ではない、一般ユーザです。Wikipediaでは、記事の編集そのものについて管理者に特別な権利はなく、222.146.35.86さんも含め、誰でも平等に記事を書き、書かれた記事に対して誰でも平等にノートで疑義を出すことができます。編集は一方的にしてもかまいませんが、その編集に問題があればほかのユーザが疑義を出すでしょうし、そこでは自分の編集の意図について説明する義務があり、相互の議論と意思疎通を通じてどのような記述がいいか合意を形成していきます。下の議論もそのようなルールに従って行ったものです。客観性や主観性の定義など、その他の点についてはWikipedia:基本方針とガイドラインなど多くのページに詳細に書いてありますので、ご覧ください。--Novo 2007年4月10日 (火) 04:27 (UTC)[返信]

近日の編集について

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先日久しぶりに見て、かなり短くなり、エッセイ的な部分も少なくなったと思いましたが、また理解に苦しむ編集が増えているようです。「沖縄病重症度セルフチェック」の出典提示を求めます。ない場合は節全体を削除する方向で参照者の皆様におはかりしたいと思います。よろしくお願いいたします。--Novo 2007年2月25日 (日) 01:16 (UTC)[返信]

「(被引用文献の)出展提示」がWikipediaへの掲載要件である根拠をお知らせください。著作権法上、自己の学術論文等を発表する際、その中の引用箇所につき、当該箇所が引用である旨及び当該「被引用文献」を挙げることが義務付けられています。  しかし、この「セルフチェック」は、私が創作したものであり、引用する文献がそもそも存在しません。しかし、この記載が的外れなものとは我ながら思えません。あくまでも記載の妥当性の判断は、一般参照者に委ねるべきものであり、Novo氏が、「個人的に理解に苦しむ」ことを理由に、一方的に削除することは著者による「表現の自由」に対する侵害行為と断言出来ます。

 更に、Novo氏による発言は、Wikipediaは、必ず被引用文献を要する百科辞典であり、そこには一切創作的記述が認められない保守的辞典であるものと解釈できます。しかし、時代や社会は常に変化するものであるため、かかる保守的解釈自体が全くナンセンスで、Wikipediaの制定趣旨に反するものといえます。

 なお、仮に反論があれば、あくまでも論理的に願います。万一、感情的暴挙に訴えるようであれば、Wikipediaのあり方を巡って、貴殿による「個人的言論統制」につき、当方としては徹底的に争う所存でございます。--以上の署名のないコメントは、220.147.140.120会話/Whois)さんが 2007年2月25日 (日) 05:33 (UTC) に投稿したものです。[返信]

えーと、まずはじめに確認させていただきたいのですが、「沖縄病重症度セルフチェック」という節を投稿されたのはIP:222.146.35.82会話 / 投稿記録さんという方なわけですが、上の投稿をされた220.147.140.120さんは222.146.35.82さんと同一人物でいらっしゃるわけですね?
以下その前提で、能力の限り論理的に申し上げますが、上で書きましたように、私が220.147.140.120さんにお願いしているのは「出典の提示」であり、節全体の削除をおはかりしているのは私の書いた「参照者の皆様」、つまり220.147.140.120さんがお書きになった「一般参照者」に対してです。つまり私は、「記載の妥当性の判断は、一般参照者に委ねるべきものである」と220.147.140.120さんが強調された原則にまったく同感であり、その前提に基づいて上のように記述しましたので、この点において特に意見の違いはないものと思います。節全体が削除されるかどうかは今後私と220.147.140.120さんをも交えた「一般参照者」の皆様による議論の結果で決まることであり、現時点で「理解に苦しんでいる」ことを表明し、問題提起したのは私一人です。
なお、私は 2007年2月24日 (土) 17:01 (UTC)にこの編集で「沖縄病重症度セルフチェック」を節ごとコメントアウトし、その後220.147.140.120さんがコメントアウトを解除されたという経過になっておりますが、「コメントアウト」は、削除について意見の分かれる可能性があると投稿者が判断したときに仮に表示を隠す手法としても使われており、削除そのものとは異なります。すでに議論が開始されておりますので、結論が出るまでは当然記述が削除されることはありません。「個人的言論統制」とのおことばをいただきましたが、これも私にとっては「理解に苦しむ」ところなので、念のため確認させていただきます。
それから、上のほうですでにやりとりされているのを拝見しましたが、リンクをはってもあまりご覧にならないようなので、本来このノートに書くにはそぐわないのですが、私の知る限りでお申し越しいただいたご質問にお答えいたします。
  • 「(被引用文献の)出典提示」がWikipediaへの掲載要件である根拠」は、すでに上の節でリンクされているWikipedia:独自の調査です。なおこのページは今改定作業中で見にくいので、別に「Wikipediaの制定趣旨」を簡潔にまとめたWikipedia:五本の柱というページから引用いたします。
ウィキペディアは百科事典です。ウィキペディアは、総合百科・専門百科・年鑑の要素を取り入れた百科事典です。すべての項目は、独自の調査を認めない方針に従う必要があり、正確となるよう努力しなければなりません。ウィキペディアは、個人の意見・経験・議論を書き込み、自説を披露する演説台ではありません。また、単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません。自費出版の請負業者でも、無政府主義や民主主義の実験場でも、ウェブサイトページのリンク集でもありません。(以下略。傍線はNovo)
また、もうひとつ、Wikipedia:検証可能性には、以下のように書かれています。
  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。(傍線はNovo)
  • Novo氏が、「個人的に理解に苦しむ」ことを理由に、一方的に削除することは著者による「表現の自由」に対する侵害行為と断言出来ます。」とのご認識についてですけれども、記事を投稿されるときに窓枠の下のほうにある注意書きをすでにご覧になっているかと存じますが、そこには
ウィキペディア (Wikipedia) に文書を投稿する場合はすべて、GNU Free Documentation License (GFDL) (非公式日本語訳)およびそのウィキペディアでの解釈に同意するものとみなされます。あなたの文章が他人によって自由に編集・配布されることを望まないならば、投稿を控えてください。(傍線はNovo)
とあり、投稿の際には「以上の記述を完全に理解し同意した上で投稿する」と書いてあるボタンを220.147.140.120さんも押されているはずですので、「著者による「表現の自由」に対する侵害行為」というご認識はそもそもあたらないものと考えます。
  • Novo氏による発言は、Wikipediaは、必ず被引用文献を要する百科辞典であり、そこには一切創作的記述が認められない保守的辞典であるものと解釈できます。」というご認識については、「保守的」ということばの意味がよくわからないことを除いては認めます。特に「創作的記述」の定義がことばづかいの独自性ではなく、記述の内容にわたるのであれば、そのように強く主張いたします。その上で、「時代や社会は常に変化するものであるため、かかる保守的解釈自体が全くナンセンスで、Wikipediaの制定趣旨に反するものといえます。」というご認識について、そのような「Wikipediaの制定趣旨」がどこにあるのか、220.147.140.120さんに出典の提示を求めます。

それなら、文句を付けるNOVOさん側に、挙証義務が生じるという、法律の基礎をお知らせしましょう。素人の百科事典であり、権威主義という壁を取り払ったWikipedhiaにつき、NOVOさん側が、「いや、権威主義的百科事典だ」と、反証するのであれば、その根拠を挙証願います。さもなければ、 全Wikipedhiaにおける、NOVO氏の編集は、しらみつぶしに削除させて頂きます。あなたの文章が他人によって自由に編集・配布されることを望まないならば、投稿を控えてください。(傍線はNovo氏へのあてつけ)


以上でお答えを終わります。つづいて私のほうから「沖縄病重症度セルフチェック」を執筆・投稿されたと認めておいでになる220.147.140.120さんにいくつか質問させていただきます。
  • ここに掲げられている各項目は必要条件か十分条件か。
  • 通例医学的な「セルフチェック」は、項目ごとに点数がつけられ、合計点で病気の重さが判定できるようになっているが、この各項目にはそのような点数はつけられているのか。あるとすればその根拠は何か。「創作」か。
  • 「毛深い(或いは日焼けした)自分が好きだ。」という条件と「沖縄病」とにいかなる因果関係があるのか。
  • 「又吉イエスは偉大だと思う。」という条件と「沖縄病」とにいかなる因果関係があるのか。
ご回答をいただければ幸甚に存じます。なお、今行われているのは私と220.147.140.120さんとの「個人的な争い」ではなく、220.147.140.120さんの記述に関する「一般参照者」の間の議論であることにご留意ください。ここをご覧になっている「一般参照者」の支持を得られるようなご回答を期待いたします。
なお、最後に私の個人的な、くそまじめな認識を申し上げれば、「沖縄病」という語が存在するのは事実であり、その語の定義と説明についてある程度の記述がなされるべきことは認めますが、人間の意識や行動を「病気」の比喩で説明することについては、やりすぎると人格の尊厳を侵す可能性があることに留意すべきであると思います。特に、2007年2月21日 (水) 00:38 (UTC)にこの編集をした222.146.35.82さんと同一人物であることを認められている220.147.140.120さんに申し上げたいのは、たとえ公人や受刑者であっても、当人が自認しているかどうかも検証されていない「病気」の「患者」として実名を一方的に摘示することへの強い違和感です。ひとことでいえば「冗談もほどほどに」ということです。
最後に、一般の参照者の方に対し、まったく建設的でない、「粘着」な長々しい記事を書いてお目汚しをしたことについてお詫び申し上げます。ご意見を頂戴できれば幸いです。--Novo 2007年2月25日 (日) 15:50 (UTC)[返信]

「沖縄病重症度セルフチェック」の取り扱いについて

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私の上記投稿後、IP:220.147.140.120からの投稿はありませんが、その後ノートへの回答がないままIP:222.146.35.82からの本文の編集が2回ありました。両者は同一人物によるものとの前提に立ち、ノートでの回答の意志がさしあたりないものと判断します。その上、問題の節は「創作」であるとの明快な回答がありました。あらためてここで全文の削除を提案します。ご意見をいただければ幸いです。ノートに特にご異議がよせられない場合、1週間から10日前後の余裕を見て削除を実行させていただきますので、よろしくお願いいたします。--Novo 2007年2月28日 (水) 02:52 (UTC)[返信]

 「沖縄病」重症患者を自認する私にとって、「沖縄『病』」の「病」をマイナスイメージに解釈する人が存在することは驚きです。「沖縄病」がいわゆる病理学的「病」でないことは、他のHPを参酌しても、社会通念上からも明らかであり、削除希望している方こそ「沖縄病」を正確に理解していないというか、感情的に難癖付けているように思われます。
 沖縄病を、ごく大雑把に定義をすれば「沖縄フリーク」とでも言うものであることは上述のように明らかであるにも拘らず、イチイチ難癖付けて来る方は、私と同様かなりのヒマ人ですが、「又吉イエス」との因果関係等、バカバカしい問答には呆れます。
 Wikipediaが、一般参加型辞典である以上、沖縄病患者本人が「沖縄病のイメージ理解」に役立つ記述をしているのに対し、これだけ執拗に反対されると、こちらも意地になりますよ。--以上の署名のないコメントは、220.147.140.120会話/Whois)さんが 2007年3月3日 (土) 06:24 (UTC) に投稿したものです。[返信]
(上投稿にインデント記号を加え、署名を追加しました)ご返答ありがとうございます。しかし私が全ての質問にお答えしたのに対し、220.147.140.120さんは「又吉イエス」との因果関係について「バカバカしい」とのひとことをくださっただけで、個別具体的なご回答はいただいておりません。「沖縄病」は病理学的な「病」ではない「フリーク」であって、記述もご自身「沖縄病患者」として書いたもので、つまり記事内容は自嘲的冗談だ、という趣旨の包括的なご回答をくださっただけです。残りの点について、ひきつづき逐条的、具体的なご回答をお待ちいたします。
私もすでに「比喩」ということばを本文に記入しており、「沖縄病」が冗談でいうことばであることも承知しております。冗談で使われることばとしてWikipediaに立項されることについてもすでに認めております。この点でまったく220.147.140.120さんのご理解に異議はございません。
私が申し上げているのは、くりかえしますが、「冗談もほどほどに」ということです。ちょっとした冗談やトリビアならたくさんのページに書かれておりますし、私も目くじらを立てたことはございません。しかし、沖縄病患者の例として「田代まさし - ネ申」云々と書き加えた222.146.35.82(=220.147.140.120)さんの投稿は、私個人にとってはすでに「冗談」の受忍限度を超えております。それと同じ方が、「セルフチェック」をさらに書き加えました。投稿内容もさることながら、投稿者が全体として何をお考えの上で投稿されているのかが理解できないので、一般参照者の一人として、こうして野暮を承知でお伺いを差し上げているわけです。
「冗談」というものは、発信者と受信者との間に一定の了解がある場合になりたつものです。不特定多数の人が見るマスメディアやネットのような場では、書き手にとって「冗談」のつもりであってもそれがどう受け取られるか、どのような形で人を傷つけるかはわかりませんし、どう受け取られても仕方ありません。つまり「記載の妥当性の判断は、一般参照者に委ねるべきものである」のです。幸いこのページには「ノート」というコミュニケーションと合意形成の場が設けられており、双方向のやり取りによる理解が可能です。そこでこうしてお伺いしているのです。
なお、「Wikipediaの制定趣旨」について差し上げた説明については特にお答えをいただいておりませんが、Wikipediaでは、「創作」の投稿ははっきり禁止されており、出典の提示を求められた場合には全ての投稿者に提示が義務付けられています。220.147.140.120さんが問題部分の真実性に自信があり、それをどうしても維持されたいのならば、同じことを書いてある出版物を探して、その書誌情報をここに提示されればいいだけです。ほんとうに「この記載が的外れ」でないならば、信頼できる出版物に同じことが必ず記載されているはずです。「一般参加型事典」であるからといってなんでも書いていいということはありません(私が申し上げる前に、すでに複数の方からご指摘があったと思います)。私は強制的手段は好まないので、あくまで議論による合意形成をめざします。
冷静なご回答をお待ちしております。なお議論が再開されましたので、終結するまで(終結したと判断できるまで)は削除はしないこととします。220.147.140.120(=222.146.35.82)さんも、そのほかの方も、合意形成前に問題部分を編集なさらないようお願いいたします。またほかの参照者の方々も、ぜひご意見をお寄せください。多くの方にご参加いただいたほうが、よりよい記述と結果をうむと思います。--Novo 2007年3月3日 (土) 17:56 (UTC)[返信]

確かに以前「田代まさし-ネ申」と加えたいたずらは・・・お詫びします。これは弁明の余地もない唯の悪ふざけです。なお、仕事柄、私は辞書としてWikipediaを有効活用させて頂いておりますが、趣味の分野(主に比較文化学)では、私の投稿がヒンシュクをかうことは余り無いようです。ここの沖縄病については、当初は我ながら冗長記載として見るに耐えない内容でしたね。当時は沖縄移住してドハマッて本土に逃げ帰って間もない時期で、脳天クレイジーでした。「記事内容は自嘲的冗談だ、という趣旨の包括的なご回答」と指摘されると「自嘲的冗談」を除き首肯します。身の回りの沖縄病連中と自分とを照らし合わせても、「チェックリスト」に列挙した例示は、「・・・確かに・・・」という内容でしょう。沖縄病のイメージが、例示内容に示すものなのです。「又吉イエス」につき、真面目に回答しましょう。個人的には彼は唯の変人と思います。それでも、他の地域出身の変人とは異なり、彼についての報道や記事を見ると、つい熟読してしまうのです。「日本文化は変人に冷たいが、沖縄だからこそ彼は伸び伸びと成長できたのかなぁ」等と空想が膨らんでしまうのです。そして我に返ると、偉大か否かはともかく「又吉イエス」に捉われている自分が沖縄病と実感するのです。--以上の署名のないコメントは、220.147.140.120会話/Whois)さんが 2007年3月4日 (日) 00:08 (UTC) に投稿したものです。[返信]

冷静かつ真摯なご回答をいただき、ありがとうございます。又吉イエス氏についての220.147.140.120さん個人のイメージについても了解いたしました。その上でお願いがひとつと質問がひとつございます。
お願いは、すでに申し上げておりますが、今こうして議論しているわけですから、その間に当の問題部分に新しい編集を加えるのは控えていただきたいということです。私は全文削除をおはかりしていますが、本文の編集は議論が始まった時点の版に戻すにとどめています。それは議論の際に何が問題になっているかをほかの一般参加者が参照できるようにするためであり、またノートでの議論中にはまず議論に集中し、意見の相違のある本文をいじらないというWikipediaのルールにしたがうためでもあります。新しい書き込みや削除をされると、議論の前提となる文章がかわってしまい、円滑な議論の進行を損ないます。ぜひご協力いただきますようお願いいたします。
ご質問したいことは、すでに上でご説明し、お伺い申し上げたことですが、「220.147.140.120さんがたとえ主観的に「そうだ」「真実だ」とお考えになっていても、そのような個人的なイメージや「空想」をこのページに書くことはWikipediaの編集ルールにのっとっていない」ということをお認めになるのかということです。220.147.140.120さん及びその周りの「沖縄病患者」の全てが仮に「セルフチェック」各項にあてはまるとしても、それは一部にすぎず、「患者」全体に当てはまるかの検証は出来ていませんし、それはほぼ不可能です。そのような場合に「出典のない記述は除去されても文句は言えません」というルールがあることもすでに申し上げました。また「もしこの記述に真実性があるなら、出典は探せばあるはずだ」とも申し上げました。ぜひともお答えをいただきますようお願いいたします。--Novo 2007年3月5日 (月) 09:59 (UTC)[返信]

編集用資料

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天空企画の沖縄本(参考資料も充実)を使えばもう少しカルチャー寄りになるんじゃないかと。ふざけまくりの編集も個人的には大好きですけどね。--220.150.136.208 2008年2月11日 (月) 10:18 (UTC) 確かにWikipediaは、正確性を求められるものの、「沖縄病」というものに対して、根拠データやら引用文献を求めることは、その属性から不可能です。自分は沖縄にハマり、移住したものの本土に舞い戻った体験があります。身の回りの沖縄病患者を多数見てきて、それをもとに、沖縄病を分析し、まとめる技量には自信があります。もともと私は工学博士でもあります。しかし、「根拠データやら引用文献を画一的に求める」考えは、単なる権威主義的思考パターンであり、正確性には程遠くなるものです。やや厳しい言い方をすれば、「沖縄病体験も無い輩が余計な口出しするな」と、若干イラついております。特に、NOVO氏による自分勝手な編集は、Wikipediaの私物化といえるものでしょう。[返信]