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ノート:池田知正

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荒木村重家臣、「荒木久左衛門」につきまして

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2014年現在、放映中のNHK大河ドラマ軍師官兵衛」の項、「摂津衆」(登場人物)の節におきまして、125.193.166.62様が「荒木久左衛門」を追加して下さった際に、さりげなく池田知正のページにリンクするようになっておりました。では、荒木久左衛門と池田知正は同一人物なのか、その後色々と調べてみましたところ、どうやらその可能性が濃厚であると判断し、作成されていなかった荒木久左衛門のページを池田知正のページにリダイレクトするように致しました。

その根拠と致しまして、

一つは、『戦国人名事典コンパクト版』(阿部猛、西村圭子、新人物往来社、1990年9月)に池田知正の通称として「久左衛門」と掲載されているということです。他ネット等でも確認できます。それまでこのWikipediaには「通称:九右衛門」と書かれておりましたが、むしろこちらが逆に確認できず(「要出典」の表示を入れました)、おそらく以前の編集者が誤ったものではないかと思われます。

二つ目に、息子についてです。「摂津名所図会」(寛政8年(1796年)~同10年(1798年)刊行)にも「荒木自然齋塚(あらきじねんさいのつか)」と絵付きで掲載されており(参考:[1])、実際兵庫県伊丹市内には「荒木自然塚」なる荒木自然の墓が見られます。そして、この自然は荒木久左衛門の息子とされております(参考:[2][3]、Wikipedia「有岡城の戦い#戦後の影響」内にも記述あり)。 一方、Wikipediaには池田知正の息子が池田自然として以前より掲載されておりました。これが以前の編集者が誤って掲載したものでなければ、前述の通り、知正=久左衛門が有力とみなせることから、「自然が久左衛門の息子」((荒木)久左衛門の息子=(荒木)自然、(池田)久左衛門の息子=(池田)自然)ということでは一致致します。また、「自然(じねん)」という幼名は大変珍しく、同名の人物が二人いたとは考えにくい、ということから、池田自然=荒木自然、池田知正=荒木久左衛門とみなせばごく自然になります。

また、ネット検索の結果になりますが、池田久左衛門(荒木久左衛門)や、荒木久左衛門(もと池田姓)とするページが複数見られることから、かなり有力なのではないかと思われます。こちらのページでも「池田久左衛門尉重成と荒木久左衛門尉、そして池田備後守知正は、同一人物だろう」としており、重成と知正を同一人物とするWikipedia本項と合致します。


しかしながら、ここまででお気づきと思いますが、以上の情報はほとんどがネット上で得られたものに過ぎず、また池田知正に関する史料や文献が少ないため、池田知正が「荒木姓」を名乗っていたとする史実が確認できておりません。実際、ネットも含めて「荒木知正」または「荒木重成」(重成は知正の別名)としているものがほとんどありません(わずかに1つ、こちらのページに掲載のあるのみ)。この点に関しては検討が必要と思われます(「要検証」の表示を入れました)。

もしも、池田知正が「荒木姓」を名乗っていたとする史実が文献等で確認できたならば、『戦国人名事典コンパクト版』での記述と総合して池田知正=荒木久左衛門と完全証明することができます。ご存知の方、いらっしゃいましたら加筆・編集をお願い致します。また、逆に池田知正=荒木久左衛門ではないと出典を掲げて断言できる方がいらっしゃれば、新設の「荒木久左衛門」の項をすべて書き換えていただければと思います。

--Pons7会話2014年6月6日 (金) 00:53 (UTC)[返信]

コメント 本項に関連する人物として、谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』(吉川弘文館、2010年)では池田知正と池田重成の2人の人物が立項され、谷口は池田重成を荒木久左衛門としています。これにより現在本項へのリダイレクトとなっている池田重成を池田知正と別の人物の記事にする手もありますが、中西裕樹『戦国摂津の下克上』(戎光祥出版、2019年)154頁に「池田重成(久左衛門。知正か)」と書かれるなど、同一人物とする見方もあります。そのため、本項に「池田重成」節を作り、池田知正と合わせて記述する形にしたいと思います。
準備が出来次第編集したいと思いますが、それにあたって現在の本文を全面的に改稿する形になるかと思います。その点ご了承ください。--YasuminB会話2024年5月6日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
報告 上記編集を行いました。今後、知正と重成が同一人物であると確かになれば、本項内で分けた両者の再統合を、別人であることが確実になれば知正と別の記事として池田重成の作成が行えるようになるかと思います。--YasuminB会話2024年5月8日 (水) 07:54 (UTC)[返信]
 追記 知正と荒木久左衛門(池田重成)を分離する編集を行ったばかりですが、荒木久左衛門=知正とする論文を見つけました。誉田航平「織田七右兵衛尉信重の基礎的研究」(『駒沢史学』101号、2023年)の174頁3行目にて、「城主荒木久左衛門(池田知正)」とあります。ただし池田氏や荒木氏が主題となる論文ではなく、名前が出るのもこの一カ所のみのため、本項執筆には使いにくいかと思われます。
谷口著書をベースに確実性を重視して上記編集を行いましたが、現状、こちらのサイトにあるように、池田知正は元は池田氏一族の重成で、池田長正の子で勝正の弟とする話は後から作られたのではないかなと思います。その際、知正(重成)とは別人で池田氏当主になった池田民部丞を同一人物として取り込み、久左衛門・備後守を名乗った知正が民部丞とも名乗ったとしたのではないかと。これを肯定するにしろ否定するにしろ、明らかにしてくれる論文や書籍が現れることを期待します。--YasuminB会話2024年5月11日 (土) 03:31 (UTC)[返信]