ノート:永仁の壺事件
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小山富士夫の名は「富」でよいのでしょうか
[編集]三杉隆敏の著書では「冨」となっています[1]。ノート:下村富士男でも同様の例が見られます。また、富永恭次でも項目名と本文に齟齬が見られます(富永に関しては冨永表記の文献を読んだ記憶があります。一例として藤井非三四 『陸軍人事』を挙げておきます[2])。--Alexander Poskrebyshev(会話) 2016年11月6日 (日) 14:11 (UTC)
- ^ 三杉隆敏 『真贋ものがたり』 岩波新書 新赤版451 ISBN 4004304512、71p
- ^ 藤井非三四 『陸軍人事 その無策が日本を亡国の淵に追いつめた』 光人社NF文庫 [ふ-N-805] ISBN 978-4769828051、83p
加藤唐九郎の無形文化財取消について
[編集]松井覚進『永仁の壺』によれば、加藤唐九郎は1952年に「助成の措置を講ずべき無形文化財」に選定されていますが、この選定は1954年の文化財保護法改正施行で白紙にされており、以後、重要無形文化財(人間国宝)に認定されたことはありません(松井『永仁の壺』講談社文庫、76-77頁)。したがって、永仁の壺事件で無形文化財を取り消されたというのは誤りです。--Sorafumi(会話) 2020年4月6日 (月) 04:55 (UTC)