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ノート:水谷孝

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「ローテーションの谷間」?

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2007年12月12日03:49(UTC)の版で「梶本隆夫米田哲也足立光宏石井茂雄大石清大石弥太郎戸田善紀山田久志白石静生今井雄太郎山口高志佐藤義則といった好投手が揃っていたため、主に中継ぎや敗戦処理、ローテーションの谷間での先発といった登板が多かった」という記述が登場していますが、(リアルタイムでは知らないのですが)記録にそぐわないように思います。

活躍、というか登板自体が1968年・1969年・1973年・1974年の4年間に集中しており、リリーフが多かったのは事実にしても、先発試合数も1968年は米田・梶本・石井、1969年は米田・石井・梶本、1974年は足立・竹村一義・米田に次ぎチーム4位、1973年は山田・米田に次ぎチーム3位(戸田とタイ)です。今より主戦投手の先発試合数が多かった時代にしても、年間20試合近い先発を「ローテーションの谷間」と表現するのは違和感を感じます。もっとも、当時の感覚ではその程度だったのかもしれませんが(というか、当時先発ローテーションという概念がどの程度浸透していたのかも分かりませんが)。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2012年3月7日 (水) 16:14 (UTC)[返信]