コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:気賀宿

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

表の差し替え

[編集]

宝永地震による気賀と新居の被害の比較内の数値は、論文によりデータが異なるため、元々の表に、それぞれのデータに出典を付けていたものとなります。参考となるものの一つに秀逸な記事である宝永地震津波の中にある表の表記に倣うものです。したがって、出典が失われている表とは差し替え、出典のある元々の下の表と差し替えを行います。

宝永地震による気賀と新居の被害の比較
地名 死者 家屋倒壊 震度 津波 その他
気賀 全壊100[1] 6[2] 1〜2m[3] 船舶240流失[4]
津波により田畑沈没、1,700余石荒地となる[5]
新居 溺死者24[6] 850のうち全壊348、半壊502、流出241[7] 6-7[8] 3〜5m[9] 船舶90流出、船199破損[10]
今切湊は関所が潰れ、3度の津波のため4-5日の渡航ができなかった[11]

出典

  1. ^ 飯田(1982)、148頁。
  2. ^ 飯田(1982)、146頁。
  3. ^ 飯田(1982)、152頁。
  4. ^ 飯田(1982)、148頁。
  5. ^ 飯田(1982)、152頁。
  6. ^ 飯田(1982)、152頁。
  7. ^ 飯田(1982)、152頁。
  8. ^ 羽鳥(2014)、35頁。
  9. ^ 羽鳥(2014)、35頁。
  10. ^ 飯田(1982)、152頁。
  11. ^ 飯田(1982)、152頁。

参考文献

  • 飯田汲事「歴史地震の研究 (5) 宝永 4 年 10 月 4 日(1707 年 10 月 28 日)の地震及び津波災害について」『愛知工業大学研究報告. B, 専門関係論文集』17、愛知工業大学、1982年、143-157頁。
  • 羽鳥徳太郎 「第2章 宝永地震による被害とその後、第3節 津波災害の概観」、『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書  1707 宝永地震 』、内閣府(防災担当)、2014年、28-38頁。

以上です。--湖紫陽会話2016年12月10日 (土) 12:34 (UTC)[返信]

表は、飯田(1982)と羽鳥(2014)を参照して内容をチェックしましたが、羽鳥(2014)p.35の数字は採用してないですよね。脚注ミスってないか、確認してみてください。飯田(1982)を追ってみた感じでは、表末注だけで事足りる(どこから数字を拾っているか追える)と思います。独自研究っぽくはありますが。--宇井木辺出夫会話2016年12月11日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
宇井木辺出夫さん、確認ありがとうございます。再度確認したところ、羽鳥(2014)としていたところは、飯田(1982)のデータに入れており間違えております。確認についてのお礼と誤りに関する謝意を示したいと思います。--湖紫陽会話2016年12月11日 (日) 16:57 (UTC)[返信]