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ノート:殿山泰司

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利用者:113.32.241.178の編集の取り消し理由

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  • 現代国語において"破天荒"は「誰もしたことが無いことをする様子(三省堂新明解国語辞典・金田一京助他編集)」、あるいは「前代未聞」の意とされ、これは本項の編集部分において必ずしも誤っているとは言い難い。
  • 上記に対し、語源(成句の場合、非常に狭義である)を持ち出して誤りとする編集は、単なる個人の趣味の発表にすぎない。また、「百科事典として用法が不適切である」という編集理由も、誤った認識の根拠のない個人ルールにすぎない。

以上の様に利用者:113.32.241.178の編集には疑問があるため一旦取り消すものとする。--堀江教高 2011年12月10日 (土) 08:15 (UTC)

    • まず「誤っている」とは私はどこにも書いていません。「適切ではない」と言っているのであり、具体的には「誤解を招く表現である」となります。『間違いや誤解を招く記述を訂正する』ことはWikipediaの参加方法として当然であることは言うまでもありません。編集内容の要約欄は簡潔に書かなくてはなりませんし、一語の修正にいちいちノートを起こすのもやってはいられませんので、この点で言葉が足りなかったことはご容赦いただきたく思います。
    • 新明解が手元にありませんので確かではありませんが、そこに示されている例文をご覧いただきたいと思います。ここではネットで閲覧可能な大辞泉(小学館)、大辞林(三省堂)を引用します。
      • 大辞泉: [名・形動]前人のなしえなかったことを初めてすること。また、そのさま。前代未聞。未曽有(みぞう)。「―の試み」「―な大事業」
      • 大辞林: (名・形動)[文]ナリ 〔補説〕「北夢瑣言 4」「唐言 2」による。唐代に荊州から進士の合格者が出ず「天荒」(文明未開の荒地)と呼ばれたが、劉蛻が初めて合格して、天荒を破ったと称したことから今までだれもしたことのないことをする・こと(さま)。未曾有(みぞう)。前代未聞。 ―の大事業 ―な冒険譚 ―な試み
    • このように破天荒は肯定的、褒義的に用いるのが通例であり、中立的あるいは否定的、貶義的には使用しません。辞書を参照される場合は本文だけでなく、例文も参照されることをお勧めいたします。
    • さて殿山泰司氏ですが、俳優として、あるいは一個人として破天荒であったかは大いに疑問です。俳優として破天荒といえるのは例えば、森繁久彌とか高倉健、三國連太郎クラスの知名度と客観的業績が必要でしょう。個性派俳優として新たな芸風を切り開いたのであれば、それを受け継いでいく人たちが必要です。この点で殿山氏は「破天荒」というよりは「空前絶後」でしょう。
    • 一方、「破天荒」は大多数の人に「豪快で大胆な様子」と勘違いされています(平成20年文化庁調査[1])。オリジナルを執筆されたかたがこの意味で用いたのであれば明らかに誤用ですが、検証のしようがありません。(ただ殿山氏の生涯は豪快で大胆であったのは事実のようです。)
    • まとめると「破天荒」とは「前人のなしえなかったことを初めてすること。また、そのさま」であり、肯定的に用いる。これを否定的、中立的に用いるのは適切でない。「豪快で大胆な様子」とするのは誤り、となります。
    • 以上を踏まえ、オリジナルの意図を尊重した上で最低限の修正として「破天荒」を「型破り」としました。--113.32.241.178 2011年12月20日 (火) 02:13 (UTC)[返信]
  • オリジナルの「破天荒なその人生」を編集した者です。「破天荒」は「殿山泰司は俳優としても一個人としても従来の型を破って新しいタイプの脇役俳優像を作り上げた」つまり「型破り」の意で使ったのであって、別に豪快で大胆なさまを勘違いして使っているわけではありません。ですから「型破り」という訂正に対しては別に異論をはさみません。ただし、新藤兼人の映画『三文役者』(殿山泰司の伝記映画)でも、その意味で「破天荒」という言葉が使われていますので、「破天荒なその人生」という記述自体は誤りではなく、訂正の必要はないと思います。一方で、利用者:113.32.241.178氏は「破天荒」をエポック・メーキングの同義語であると狭義に解釈してしているように思われました。また、大辞林などのソースを読んだ限りでは「肯定的に用いる」から「中立的に用いるのは適切ではない」ことの論拠が見当たりません。否定的に用いるのは不適切というのはわかりますが。氏はお若いのか「殿山泰司は森繁や高倉健、三国連太郎クラスの知名度と客観的業績がない」とのお考えのような印象を受けましたが、ご自身があまり詳しくない「殿山氏の人生は(中略)事実のようです」と仮定でしか言うことの出来ない事柄に対して用語の適切不適切を指摘して改変を加えるのは客観性と正確さを欠いていると思います。「それを受け継いでいく人たちが必要」と仰られていますが、巨匠の映画から一般映画、テレビドラマ、ポルノ映画に至るまで脇役として出演した殿山泰司の仕事は、後に殿山役を演じた竹中直人や声優の麦人などに受け継がれ、またピンク映画の悪役からテレビドラマの準主役まで演じる大杉漣のように、俳優がジャンルを問わず映画に出演する先例を作っているのですから、殿山はどちらかといえば後継者に恵まれている方でしょう。氏の投稿記録を見ると本項目以外にも無数の項目で同様の修正を加えていますが、本ノートの氏の発言を拝読した限りでは、氏はどうも「執筆者は破天荒を豪快で大胆と勘違いしている」という思い込みで修正を加えているように見えます。ある用語が使われている理由を検証しない性急な修正がウィキペディアの利用ルール的に正しいかどうか、疑問に思います。--Gyokuran 2012年1月7日 (土) 08:25 (UTC)[返信]