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ノート:殉死

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組織・思想・宗教への後追い自殺は殉死と言わないのじゃろうか・・・?月臣くにひと 14:53 2004年2月10日 (UTC)

集団自殺? 殉教と殉職を混ぜて、殉死と思ってはるように見えますが、後追い自殺は近いけど最初に書いてあったのは違いまっせ。Johncapistrano 15:01 2004年2月10日 (UTC)

なるほど。殉教と殉死は違うと考えるのですか。なるほど。一考の余地ありだな。月臣くにひと 15:11 2004年2月10日 (UTC)

さすが。月臣くにひと 15:30 2004年2月10日 (UTC)

いや、あの、一寸検索してきたら分かることでっせ。Johncapistrano 15:34 2004年2月10日 (UTC)

言い出しっぺが物知りとは限りません(泣)月臣くにひと 15:39 2004年2月10日 (UTC)

泣かんでええけど調べてきて! と、多分読者は思います。Johncapistrano 15:42 2004年2月10日 (UTC)

めんぼくない。月臣くにひと 15:51 2004年2月10日 (UTC)

柔らかい書き方をされるのはいいと思います。緩いチャットのように此処を使うのも何なんで終わります。Johncapistrano 15:57 2004年2月10日 (UTC)

細川ガラシャの死の経緯をみると明らかに殉教ではないと思いますが・・・・。Gakuinryou 2004年9月17日 (金) 13:28 (UTC)[返信]

「人に殺させたので殉教ではない。」という見方も確かにありますが、司祭に相談したり、なぜ死んだのかというところで殉教と見るのも間違いとは言い切れないかと思います。参照近年で殉教者として扱うのはプロさんの方が多いようで残念ではありますが。johncapistrano 2004年9月17日 (金) 17:14 (UTC)[返信]
細川ガラシャは有名なキリシタンですが、自刃をしなかったという事実はともかく、人質を拒んだのであってキリスト教に「殉じた」のではないので、「殉教」の代表例とするのは相応しくありません。日本二十六聖人あたりが妥当でしょうか。キリスト教に限らずとももっと著名な人を挙げたいのですが、思いつきません。 けんち 2005年2月20日 (日) 07:54 (UTC)[返信]

細川ガラシャは殉死ではない。もし殉教なら殉教に書けばよい。 61.210.161.11 2005年10月30日 (日) 05:46 (UTC)[返信]

以下の部分は記載が齟齬している上に不全です。早急の書き換えが必要です。

「1663年(寛文3年)、4代将軍徳川家綱、5代綱吉の治世期に、幕政が武断政治から文治政治、すなわちカブキ者的武士から儒教要素の入った武士道(士道)へと移行。寛文3年5月(1665年)の武家諸法度の公布とともに殉死の禁が口頭伝達され、」--以上の署名のないコメントは、藪野直史会話投稿記録)さんが 2016年11月20日 (日) 04:54‎ (UTC) に投稿したものです。[返信]