ノート:歴史教科書問題/過去ログ1
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誤報だったか否か?
何度も一方的な記述がされていますが、その結果前後の文脈もおかしくなっていますし中立性を著しく欠いています。ノートでの論議も経ずに中立性を欠いた記述に編集され内容が、NPOVに反していると思われている場合、即時revertもしくは削除する事がありますので、あらかじめご了承頂き度く。--222.14.141.183 2006年1月2日 (月) 06:31 (UTC)
「誤報」の意味は間違えて知らせること、つまり過去の記事が誤っていたということです。当初の書き換え報道の後に、他の書き換え事例があったことを持ち出して、誤報はなかったなどという主張の編集にしたいようですが、それは「書き換えの事例」があったというに過ぎず、「誤報」ではなかったということではありません。「産経以外は誤報と認めていない。」などという誤った記載も削除致しました。82年9月19日付朝日新聞は、社会部長名で誤報であったことを認め、読者に謝罪し、誤報に至った経緯を説明した上で、問題は文部省の検定姿勢にあるとする記事を出しています。中立性を害するという指摘があるようですが、「誤報」の意味を取り違えているのではないでしょうか?--[[糾問官]] 2006年1月21日(土)10:33(IP:210.147.66.41~IP:210.147.105.253~IP:210.147.66.110さん 2006年1月21日 (土) 01:36 (UTC))
誤報だとされたのが帝國書院ではなく実教出版の世界史であることを付加。7月28日~9月19日記事までを付加。また、9月以降の記述に8月の記述が入り込んでいる部分を8月に移動。侵略進出書き換えの改善意見のB検定を実教出版は拒否し帝国書院は受け入れ書き換えたことも付加。文芸春秋社の誤報報道の資料元が世界日報であったことも付加。侵略進出書き換えがあったか否かの論議が続いているかどうかの記述は毎日新聞が誤報を認めよとの投稿に反論し、読売新聞は未だに沈黙していること。国会での町村~遠山時代の議事録を確認のうえ論議継続中と判断して復活。 8月25日朝日新聞記事があまりに7月30日記事と酷似しているが、記事確認できなかったので再度掲載と表現。新聞各紙とも7月28日~30日には最初の報道が誤報であることを報道している。以上は産経新聞石川水穂論説委員の著作、公演資料による。(産経が変えた風)--222.7.231.215 2006年1月25日 (水) 04:50 (UTC)
『以後、教科書検定を巡る論戦は、一方は「侵略進出書き換えはなかった。明らかな誤報であり、左翼が気に食わない
教科書検定を攻撃したに過ぎない」と主張し、他方は「これは誤りだが侵略進出書き換えた教科書自体は実際にあっ
たし、書き換えの無かった教科書も文部省による改善意見はついていた。教科書検定への批判自体は正当だ。右翼は
あえて「華北」を略して全てが誤報であったと捏造している」と主張する事態となった。』
とありますが、国会での多少の議論を抜きにすると、このような主張の論戦はどこで行われたのでしょうか? また、教科書検定制度での「改善意見」等に問題があるとするという意見は、もはや当初の「誤報」についての問題とはいえず、別の項目での議論とした方がよいのではないでしょうか?--[[糾問官]] 2006年1月26日(土)12:49(IP:221.171.192.132さん 2006年1月26日 (木) 04:01 (UTC))
教科書検定の検定ってのは改善意見ですけど?その改善意見に従っての書き換えが検定による書き換えですから無関係ではないでしょう。何処で行われたかといえば当時は諸君!と朝日ジャーナル、近年では正論と週刊金曜日の間でですかね。引用させてもらった両方の意見は主に石川水穂が集会などで「○○は侵略進出を誤報ではないと主張しているが、あれは誤報である」とかいった感じで批判的に述べているものを参考にしました。また朝日新聞が誤報を認めているかどうかですが、これも石川水穂が「朝日は未だに誤報とは認めず反省もない」といった批判をしているのを参考にしました。--222.7.232.68 2006年1月26日 (木) 11:36 (UTC)
私が申し上げたのは、当初の「誤報」の問題から見ると議論が離れすぎているということです。この誤報問題は、教科書検定制度について様々な議論を呼んだのは事実ですが、「教科書検定」下での「書き換え」が問題というのであれば、それは「誤報」から切り離して別の項目を立てて議論すべき、あるいは表記すべきであって、「誤報だったか否か?」という題では、それは深く表記すべきではないと考えます。今現在の表記自体も、何故誤報が生じたのかや、その影響などについては触れていないといってよく、論題からの論旨が飛んでいることもあり、不適当だと思います。
何度も蒸し返すつもりはありませんが、『以後教科書を巡る論戦は~~~』の部分についても、削除すべき対象だと思います。--[[糾問官]] 2006年1月27日(金)18:40(IP:221.171.192.121さん 2006年1月27日 (金) 13:50 (UTC))
- 何故誤報が生じたのかは詳しく書いてあると思いますけどね。影響は本文のほうですし。教科書検定での書き換えが問題だなんて記述もありませんが?そして誤報の原因として教科書検定での「侵略進出」書き換え意見があることは当事者の藤村検定課長が言及しているのですからあって当然では?そして当時からの当事者である産経の石川水穂が集会等で未だ朝日は誤報とみとめていないと糾弾しているわけですし。あと日付表示がおかしいのは何でですか? --222.14.141.83 2006年1月27日 (金) 15:03 (UTC)
日テレの取材だけではなく、例えば朝日新聞社がどういった取材をした結果、誤報に至ったかなどについては、板倉由明氏の『本当はこうだった南京事件』(日本図書刊行会)に比較的詳しく書かれているところですが、それはともかくとして、懸命に書き換えがあった事実を書き加えておられますが、これは「書き換え」が「問題」であるということを言いたいが為に加えているのではありませんか?また、『以後、教科書検定を巡る論戦は、一方は~~~』の部位についても、諸君!朝日ジャーナル、正論、週刊金曜日がソースであるとしていますが、論争といえる程度のものが果たしてあったのかどうか、具体的に示されるべきでしょう。確認できなければ削除するべきです。無益な話し合いを続けるのは本望ではありませんので、これ以上「誤報」問題について表記したいのであれば、別項目を立てられるのが良いでしょう。--[[糾問官]] 2006年1月30日(月)20:44(IP:203.136.107.4さん 2006年1月30日 (月) 11:45 (UTC))
- 詳しく書いてあるなら加筆すればいいわけで、書き換えの有無は実際客観的事実として重要だと思いますが?また比較的とは何をもって比較的と書かれているのでしょう?例えば現在の記述のほとんどの参考は朝日が今も「華北」のみ誤報で書き換えは誤報ではないと主張しているのは当時、産経新聞でこの一連の誤報記事を担当した当事者たる石川水穂が今も朝日を糾弾し引用し多数の著作や講演で主張しているところですが。誤報であったかどうかは書き換えの有無が直結するのは当然の話ですし。話合いを無益として一方的に削除された場合は即リバートしますので。また、再度質問しますが、何故日付を改竄されるのですか?--222.15.169.52 2006年1月31日 (火) 03:43 (UTC)
- 222.15.169.52氏に賛成。誤報であるかどうかと書き換えがあったかどうかは表裏の関係ですから分けることは不可能でしょう。時系列的にもよくまとまっていると思いますよ。糾問官氏は朝日がどう誤報したか記述したければ書かれればよいと思います。--Miwa.S 2006年1月31日 (火) 09:52 (UTC)
まず、日付についてですが、別に改竄などしているつもりはなく、書き込んだ日本時間を記載したつもりでしたが、誤解があるようですので、以後表記しません。「比較的」もわりあいという意味で解してください。他意はありません。さて、222.15.169.52氏は石川という記者をどれだけ信用しているのかわかりませんが、これだけ引き合いに出すのですから、その石川記者の発言を根拠に、『以後、教科書検定を巡る論戦は~~~』と表記されたのでしょうが、私から言わせてもらえば、これだけでは全く根拠不十分であり、これこそ中立性を欠くものだと思います。削除されたら即座に戻す、ということですが、納得できる確実なソースなりなんなりを確認してから表記しても遅くはないのではないですか?222.15.169.52氏は色々とこの問題について調べられておられるようなので、容易に知ることが出来るのではないですか?また、それだけ調べられていて、どうして単独の項目を作らないのかも不思議なところです。--[[糾問官]](IP:210.147.105.215さん 2006年2月1日 (水) 01:46 (UTC))
- まず、日付うんぬんはウィキペディアの使い方の基本をちゃんと読まれてから記述されることをお薦めします。次に石川水穂は産経新聞の論説委員ですね。また既に1月25日に『以上は産経新聞石川水穂論説委員の著作、公演資料による。(産経が変えた風)』「産経が変えた風」を資料として示していますね。実際に教科書検定の集団取材に参加し以後何度も産経新聞、諸君!正論紙上や著作、講演で言及されている。石川水穂の証言は唯一の取材誤報の当事者の発言ですから最重要視されるのは当たり前では?逆にそれを否定されるのであれば石川水穂以外の取材及び報道記事執筆の当事者の証言の一次資料をご提示ください。二次資料よりも当事者の証言が優先されるのは当然ではないですか。--222.15.169.52 2006年2月1日 (水) 14:04 (UTC)
私が言っているのは『以後、教科書検定を巡る論戦は、一方は「侵略進出書き換えはなかった。明らかな誤報であり、左翼が気に食わない教科書検定を攻撃したに過ぎない」と主張し、他方は「これは誤りだが侵略進出書き換えた教科書自体は実際にあったし、書き換えの無かった教科書も文部省による改善意見はついていた。教科書検定への批判自体は正当だ。右翼はあえて「華北」を略して全てが誤報であったと捏造している」と主張する事態となった。』という部分は根拠が不十分であるということです。極端な話、あなたが言っているのは「石川記者一人がそう言っている」というだけの話で、これではまったく正確性に欠けます。以前も書いたとおり、例えば、あなたが言っている「朝日ジャーナル」何号と何号、「週刊金曜日」の何号と何号に誰々がこういった論稿を載せており、それに対して「諸君!」の何号と何号、「正論」の何号と何号に誰々がこういった反論を載せている等を記されれば、それはそれで説得力に富むと言えましょう。別に悪意があって申し上げているのではありませんが、何々が「あった」と主張するには、立証責任は原則、その主張者が負うべきもので、私にそのような論戦が「なかった」という資料を提示せよとは本末転倒な話ではありませんか?中立性を言うならば、確認が取れない記述にこだわる必要など無いではありませんか。--[[糾問官]](IP:210.147.66.99さん 2006年2月1日 (水) 15:30 (UTC))
- まず、貴方の書き方は大変読み辛いのでウィキペディアの文法に従ってノートに書き込んでください。最低限のマナーです。名乗るのであればアカウントを作成してください。次に石川水穂の「産経が変えた風」では不十分でしょうかね?当事者の一次証言に勝る資料は無いと思いますけど?しかもそれは産経新聞社が社の責任をもって出版しているものですよ。それを不十分と否定されるのであれば、他の当事者の証言なり資料なりを提示すべきなのは当たり前の話ですよ。--222.15.165.90 2006年2月2日 (木) 05:45 (UTC)
以下、論点についてのみ申し上げます。まず、私の疑問に対しての根拠が石川氏の『産経が変えた風』のたった1冊だけだとすれば、それは私の納得するものでは到底ありません。もちろん、私はまだ読んでいませんので、本来であれば何とも言えないところですが、仮に『産経が変えた風』が根拠になるとすれば、その本の中に根拠となるべきソース、つまり、「何という左派雑誌の何月号にこのような記事があり、それに対して右派雑誌の何何がこういう反論を載せている」というものが示されている場合です。石川記者は何を根拠にそのような「論戦」が行われているとしているのでしょうか?また、あなたはこの本を産経新聞社の責任に於いて出版している云々と述べていますけれども、この本を読む以前にあなた自身はこのような「論戦」が行われていることを知っていましたか?証言なり資料なりを提示せよということですが、そのような「論戦」がなかったとすれば、そのようなものは提示できるわけはありません。事実は「あった」という側が立証すべきものなのですから。私が現状で行えることは、「あった」とするあなたの根拠に合理的な疑問を提示するくらいのことです。--[[糾問官]](IP:221.171.192.122さん 2006年2月2日 (木) 06:32 (UTC))
根拠が示せない主観的な記載は削除致します。なんら合理的な根拠もないのに記載を復活させるなど、どういうつもりなのでしょうか?根拠があるのであれば、それを示してください。検討の上、わたくしもそれに従います。糾問官 2006年2月22日 (水) 13:21 (UTC)
わたくし自身はノートでの議論は終わったと考えています。何度も記載を復活させている方がいますが、理解に苦しみます。原則として、論拠が確認できない以上、記載しないというのが中立的な立場のはずです。糾問官 2006年2月23日 (木) 00:13 (UTC)
- 横槍すみません。記述自体の根拠は出ているようですね。同じ話を繰り返していれば、そりゃ議論は終わるでしょう。Iosif 2006年2月23日 (木) 09:22 (UTC)
- 結論から言えば、上記『産経が変えた風』に根拠は出ていません。従って、当該記述は削除致します。これ以上は議論の必要性は認められません。『産経が変えた風』をあなたが読んだかどうかは知りませんが、あなたが記載を復活させるのであれば、あなた自身の責任で論拠を示してください。同様のことは他のノートでもあなたに忠告しているはずです。糾問官 2006年2月23日 (木) 12:49 (UTC)
2月2日における私の書き込み以降、一ヶ月近く立ちますが、何ら根拠が示されません。これは明らかに対話の継続を拒否していることに他なりません。何度も何度も誤った記載を復活させ、宣伝活動を行うという非常識な行為にただ呆れるばかりです。何らの根拠も提示せず、また、なんらのコメントも発せずに宣伝活動にいそしむIosif氏の行為は極めて悪質なものと言わざるを得ません。「一方的な書き換え」などというコメントを出した方もいますが、これもまったく理解に苦しみます。根拠を提示せず、対話の意思がないにもかかわらずに記載を続けるというのは、「一方的な」ものではないでしょうか?また、根拠がない記載を復活し続けるのは「一方的な」ものではないのでしょうか?糾問官 2006年2月25日 (土) 03:28 (UTC)
- 「論戦」の有無についてのお訊ねですが、高嶋伸欣氏と高橋史朗氏の間でもやり取りがあったように思います。それ以前の基本的な問題として、Hermeneus氏はじめ幾人かのご指摘を頂いているように、これまでの教科書検定に絡んで幾度もくり返されてきた歴史教科書問題ついての記載と充実こそが必要のように思います。また、「誤報だったか否か?」の内容は現状ままでは本項より、報道のモラルの問題、あるいは近隣諸国条項が規定された経緯とそれへの反発問題として、何れかの記事への移動が相応しいようにも思います。--Tukasa ryo 2006年2月25日 (土) 03:51 (UTC)
さっそくの情報提供ありがとうございます。わたくしの主張は上記のとおり「以後~~~」の部分の記載を削除すべきということですので、その点のみ言及させて頂きます。この「論戦」については高嶋伸欣氏と高橋史朗氏との間で行われたということでありますけれども、そうしますと、このご両人は20年以上も前からこの誤報問題について論戦を戦わせていたということでしょうか?本文を読んで頂ければ分かると思いますが、「以後~~~」の以後というのは、文章上、「毎日新聞」9月10日付の話の後です。この9月10日というのは誤報があった年、即ち1982年の話です。ですから、単純に読めば、誤報があって、その2ヶ月少々でこの論戦が始まったということとなります。もちろん、近年、歴史教科書論争が再び持ち上がった際に、この両人が誤報問題についても発言していた事実はわたくしも承知していますが、いずれにしても、たった2人の「論戦」が本文表記のとおりに「以後、教科書検定を巡る論戦は~~~」と言えるものなのかどうか。また、その単純化しすぎた内容についても疑義があるところです。なお、高橋氏の誤報に関する見解が書かれたサイトがありましたので、参考まで。http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01254/contents/722.htm糾問官 2006年2月25日 (土) 05:33 (UTC)
- 投稿ブロック対象者とは交わす言葉を持ち得ない。複数アカウント利用荒しとして他の名前もブロック申請します。--以上の署名のないコメントは、222.15.164.119(会話/Whois)さんが 2006年2月26日 (日) 03:43 (UTC) に投稿したものです。
↑この方はわたくしに対しての発言なのでしょうか?念のため申し上げておきますが、現在、わたくしのアカウントは「糾問官」のみですので、あしからず。糾問官 2006年2月26日 (日) 13:23 (UTC)
- 何度も指摘されているように糾問官氏は、まずWikipediaの使い方とルールを読んでから書くべきだと思いますよ。だから日付も今でも付加できないのだし。保護になり、みんなに迷惑をかけていることを自覚すべきです。ルールを守れないのなら使うべきでもない。--222.7.238.210 2006年2月27日 (月) 08:46 (UTC)
本題から離れて、論点を変えようとする↑の方には呆れてものがいえません。日付は付けた方がよいのでしょうが、絶対に付けなければならないものではないはずです。保護になっただとか、みんなに迷惑をかけているなどと、全てを私に帰責させようとするなど、どういうつもりでしょうか?1ヶ月立ちますが、何ら具体的な論拠らしいものは出てきていないのは、もはや誰の目にも明らかですね。論拠薄弱な部分の削除を条件に保護解除をそろそろ求めても良いかもしれませんね。糾問官 2006年3月25日 (土) 13:18 (UTC)
- Wikipediaの使い方が分かってない人は書かないほうがいいと思いますよ.貴方の行為が保護になった理由なのは明白ですから.文法くらい守ったらどうでしょうか? --61.202.109.65 2006年3月27日 (月) 22:54 (UTC)
朝日新聞4月4日社説において「検定で「侵略」という言葉を書き換えさせたことはまったくなかったと受けとめた人が多いのではないか。当時の政府は事実を調べもしないまま、官房長官談話を出して中国などに謝った。そう思った人もいるだろう。しかし、いずれも事実とは異なる。事実の一部だけを取り上げ、当時の政府判断を誤りと決めつけるような発言がそのまま独り歩きしては困る。これを機に、事実のおさらいをしておきたい。82年、高校教科書について検定結果が報道された。多くの新聞や放送が、「華北を侵略」という記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。ところが、その後、「華北に進出」という表現は検定前から書かれていたことがわかった。その限りでは、安倍氏の指摘した事実はある。当時のずさんな取材を率直に反省したい。では、「侵略」という言葉がすんなり検定を通るような状況だったかといえば、そうではない。中国との関係に限っても「侵略」の言葉を削られたり、「侵入」に変えさせられたりする変更があった。東南アジアについては「侵略」を「進出」に変えた例もあった。それ以前では、中国との関係で「侵略」を「進出」に書き換えさせられたこともあった。 82年の検定では、文部省幹部らが中国へ派遣され説明した。この後、宮沢喜一官房長官が検定のあり方を改める談話を出した。 これを受けて、検定基準に「近隣諸国条項」が加えられた。アジア諸国との歴史的な関係に配慮するというものだ。歴史への反省を踏まえた当時の官房長官談話を否定するかのような、現在の官房長官の発言は、政府の姿勢に疑念を抱かせかねない。テレビでの発言が意を尽くしていないのならば改めて言葉を補った方がよくはないか。(一部略)[1]朝日新聞は侵略進出書き換えはあったとの主張を全く変えていないことが明白となりましたので、現行のままでよろしいのでは?--以上の署名のないコメントは、222.15.172.161(会話/Whois)さんが 2006年4月4日 (火) 02:42 (UTC) に投稿したものです。
↑↑ 朝日は当初の謝罪記事のとおり、誤報があったって認めてるわけでしょう。どこをどう読めば、まったく変えていないというふうに読めるわけですか?--以上の署名のないコメントは、220.106.142.201(会話/Whois)さんが 2006年5月9日 (火) 09:15 (UTC) に投稿したものです。
ちなみに、私も最近ウィキペディアを始めたものですが、使い方についてはまだまだよくわかっていません。とはいえ、61.202.109.65氏のように、わからないのならば使うなという極論は、まったく理解できません。保護になったのは、別に年月日、文法だとかそういう話ではなく、編集合戦が行われているからでしょう。このスレは論点ずらしがひど過ぎますよ。--以上の署名のないコメントは、220.106.142.201(会話/Whois)さんが 2006年5月9日 (火) 09:21 (UTC) に投稿したものです。
- 当方も傍観者の一人でしたが、後藤文康『誤報』(岩波新書)から皆さんが参考すべき点をいくつか。ちなみに、後藤さんは、朝日新聞編集委員や朝日新聞紙面審議会委員を務め、現在はフェリス女学院大名誉教授(マスコミ論)。①「週刊文春」が出る前から、各新聞社では今回の報道は「誤報」ではないかという話が出ていた。②朝日新聞でもある論説委員は、「弱ったなあ」と声をひそめて話していた。一部からは「キチンと処理しないと、大変な問題になる」と声があがっていた。③朝日新聞の処理はまずかった。まず独立した形で「訂正」を出し、誤報の後始末をするのが先決だった。
などなど。本屋で該当部分は立ち読みだけでも十分読めますので、参考までに。--以上の署名のないコメントは、221.171.192.132(会話/Whois)さんが 2006年5月10日 (水) 00:59 (UTC) に投稿したものです。
以前の議論(ここ数年の事項に偏っているなど)
なんか最近のことばかりで、家永教科書はどこにいってしまったのでしょうか。ちょうど、最近とは逆の傾向があったはずですが。 --YuTanaka 2004年11月13日 (土) 15:51 (UTC)
あと、センター試験や模試は、教科書とは違う問題のような…。こういうものまで含むと「歴史教育問題」として扱うか、センター試験や模試と教科書との関連性(入試・受験勉強のシステムとか)を一通り説明する必要があると思います。--YuTanaka 2004年11月13日 (土) 16:21 (UTC)
家永教科書については、他のどなたか書いてくださるとありがたいです。センター試験等の問題は、内容が異なっている教科書を使っていた弊害みたいなことで書いてみました。少し、蛇足的なことですが、「歴史事実の内容の異なる教科書を使っている弊害、その実態がうきぼりとなった」と書いたほうがいいですかね?あと、新しい歴史教科書をつくる会と、家永の教科書については、問題点と分けたほうがわかりやすいかなと思ったので分けました。--矢刺幹人 2004年11月14日 (日) 07:28 (UTC)
- センター試験については微妙ですね。センター試験の基準や出題時に参考とされるものが何なのかを調べておいた方が良さそうです。学校の授業では、学習指導要領→教科書(教科用図書)→授業という法的な系統性がありますが、センター試験ってどうなっていましたっけ?あと、予備校の模試は、センター試験の方がしっかりしてくれば、センター試験に準じて問題が作られると説明すれば足りそうです。
- あと、教科書に記された事実に不正確な点があるというのは、歴史以外の教科・科目でもかなりありまして、教科書検定の効果・意味づけにおいて問題とされています。「歴史事実の内容の異なる教科書」等について説明する場合は、特に歴史ではどのような問題があるのか(例えば政治に影響するなど)を一応あげておいた方が分かりやすいのではないかと思われます。--YuTanaka 2004年11月15日 (月) 12:27 (UTC)
センター試験は学習指導要領にしたがって問題が作られています。[2]予備校もセンター試験も大学受験も、学習指導要領に全てしたがっていると思われます。東大や京大といった大学は別かも。もし、それに従って作られてなければ、多分答えられる生徒は少ないでしょうから。
歴史の場合、どのような問題があるかについてですが、「間違った歴史観を自国民に浸透させることは、将来の日本の国益にはつながらない。」「そもそも、間違った歴史を教える意味は無い。後からなって、その歴史を修正するにも途方も無い労力と時間がいる。」「教科書は国が許可してる。いわば、国の意思。他国の要求で、教科書を変えることは、自国の意思を曲げること。色んな政治的分野に発展する可能性が高い。そういう前例を作っていく必要は無い。いい例が中国。」こんなところでしょうか。他にももっといい例があると思いますが…--矢刺幹人 2004年11月15日 (月) 15:20 (UTC)
- まず、教科書と学習指導要領は(関連もあるにはありますが、基本的に)制度上別体系と思われます。具体的にいえば、学習指導要領のような「教科に関する事項」は学校教育法20条に、教科書(教科用図書)については学校教育法21条にあり(なお、これらは小学校関係の条文ですが高専・大学などを除いて準用規定があります)、下位の法令・告示でも区別して扱われています。、センター試験の出題については、大綱的な定めである学習指導要領には従うとしても、「教科書」についてはどうなんでしょう?教科書と全然違う出題ができるのかどうかが気になります。(噂では「教科書水準」ですが「教科書準拠」なのかどうか?)
- 間違いのある歴史が伝えられることの問題はおおむね理解できましたが「教科書は国が許可してる。いわば、国の意思。他国の要求で、教科書を変えることは、自国の意思を曲げること。色んな政治的分野に発展する可能性が高い。そういう前例を作っていく必要は無い。いい例が中国。」というのは、いささか過激かと。(^^;「教科書が国の意思」については、検定制度を残したまま基準を甘くするいう規制緩和がいつか起こる可能性もありますし、「他国の要求で、教科書を変える」については、近隣諸国条項に「他国の要求」を配慮すると書いてあるわけではありません。まあ、「教科書が検閲」だとか「近隣諸国条項があるから他国の意見を聞け」ということをいう国民もいるため、強い文章になってしまうのは分からなくもないのですが、なるべく現行の教科書制度について誤解を受けないような記述にしていただけるとありがたいです。--YuTanaka 2004年11月15日 (月) 16:37 (UTC)
水準も準拠も、同じように教科書に依拠しているんじゃないですかね。水準という言葉は、基礎的な事柄を発展的に扱うか否かということでしょ。でも、問題となったのはこの基礎的な事柄が史実に基づくのか否かの点だったと思います。確かに、センター試験は、教科書の基礎的なレベルの範囲がよく出題されています。
ちょっと表現が過激でしたかね。おおまかにまとめただけだったので、ちょっと改めます。「中国などは靖国問題を理由に、首相の訪中が実現できないなど、政治問題に発展している。それを考慮すると共通の歴史認識に迎合しない限り、またそれと分かるような結果を残さない限り、無関係な外交の交渉に影響が出る可能性がある。これが慣例化すると、外交をするためには必ず日本が譲歩しなければいけない図式が出来上がると懸念されている。」こんなところでしょうか?
でも、そもそもこれは国内の問題なので、中国や韓国を持ち出すのではなく(外交上の問題点に記述してるし)、「(諸外国との共通歴史認識を持つことは難しいが、←あえて書く必要があるかは不明)国内で、共通の歴史認識が必要で、あやふやな史実ならば再度検討する必要が露呈した。これではテストもままならなく可能性もあり、子供の育成の阻害にもなると懸念されている。」などと付け加えたほうがいいのかもしれません。
--矢刺幹人 2004年11月16日 (火) 10:47 (UTC)
- とりあえず、教科書を参考に試験問題が作られると過程した文章を加えるなどしておきました。ほかにも各教科書についても、とりあえず書いておきましたので、よろしければ加筆等願います。--YuTanaka 2004年11月18日 (木) 07:21 (UTC)
お疲れ様でした。すばらしいと思います。気になった点があれば加筆等させていただきます。その前にどなたかが編集すると思いますが。ところで、そろそろ「中立的な観点」と「スタブ書きかけ」を削除してもいいのではないかと思うのですが、どうでしょうか?--矢刺幹人 2004年11月19日 (金) 11:14 (UTC)
- 私は一回外しているのですが、利用者:Johncapistranoさんの編集で再度追加されています。もう少し、加筆した方が良さそうです。--YuTanaka 2004年11月19日 (金) 13:51 (UTC)
そうだったんですか?具体的に、どこが中立性に欠くのか利用者:Johncapistranoさんに聞いてみたいです。スタブについても、どこにどういう記述が足らないのかも。--矢刺幹人 2004年11月20日 (土) 05:08 (UTC)
私の頁に何度もリンク貼る必要ないと思いますが・・。編集見れば分かりませんか?johncapistrano 2004年11月20日 (土) 06:48 (UTC)
- 少し編集しました。履歴に残せなかったのでここに書きますが、問題点を各種の課題にして、節内の記載順序は、教育活動に直接関係するものを上に移しました。また、教育活動に直接関係するものの中では、より教科書に関連する…と思われるものを上に移しました。--YuTanaka 2004年11月20日 (土) 09:31 (UTC)
- 平成十六年一月実施の「大学入試センター試験」で、朝鮮人の強制連行があったことを正解にする問題が出題されたことは、思想・良心の自由などを侵害するとして、受験生七人が大学入試センターを相手に、計二百十万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁は二十五日、原告の請求を棄却されたことまで書かずに裁判おこしたことだけ書くのはいかがなものか? --222.7.238.144 2006年3月29日 (水) 14:58 (UTC)
正確性と観点について
まず、正確性の点で直さなければならいところがあると思います。
- レイアウトが悪いところ。共同歴史研究で、人名がずらずら並んでいるところなど、読みにくいですし、意味が伝わりにくいと思われます。
- 「チャイナスクールがある日本国外務省」など、問題をよく知らない人が意味をとるのが難しい記述。正直、私にも意味が分かりません。
次に観点についてですが、wikipedia:中立的な観点によれば、過剰な修飾(「大多数」など)や感情的な記述(「などと」など)は避けるべきとされています。相応の時間が必要となかと思いますが、議論を必要とする状況でしょう。--YuTanaka 2005年1月3日 (月) 17:28 (UTC)
「#レイアウトが悪いところ。共同歴史研究で、人名がずらずら並んでいるところなど、読みにくいですし、意味が伝わりにくいと思われます。」
そこに書いてある人名の意味ですか?人名は人名でしょう?
「#「チャイナスクールがある日本国外務省」など、問題をよく知らない人が意味をとるのが難しい記述。正直、私にも意味が分かりません。」
その記述を省くと問題をよく知らない人の利益にならず、問題をよく知らない人のまま向上しないように するようなものです。「チャイナスクール」調べる気になるでしょう?--Peace 2005年1月3日 (月) 18:11 (UTC)
- では、人名については、私がレイアウトし直して構わないということでよろしいでしょうか。URLは外部リンクなどに移動するなどして。
- また、チャイナスクールについては、「調べる気になる」では百科事典を執筆するにあたって十分とはいえないと思いますが。てっきり、中国系のナショナル・スクールのことだと思ってしまいました。いずれにせよ、このような分かりにくい記述は不親切であり、今後の記述は、普通教育を受けていれば理解できる内容に近づけるよう努力が続けられるべきと考えます。とりあえず、当該部は括弧書きで付記をしたいと思います。--YuTanaka 2005年1月3日 (月) 18:30 (UTC)
その部分を削除したいのですか?それともいちいち語句の意味まで親切に詳細記述したいのですかな? 物事は「丁度いい加減な程度」に近づける努力をすべきですな。あなたは零か百かの極論に近い事を 言って読者を混乱させようとしている様に見えますがな。--Peace 2005年1月3日 (月) 18:48 (UTC)
- どちらでも構いません。ただ、今の記述は分かりにくいので変更したいというのが私の考えです。Peace様と思想・生き方等々の何が違うのかは分かりませんが、私にとっては、今の記述は「丁度いい加減な程度」とは違うように見受けます。--YuTanaka 2005年1月3日 (月) 18:58 (UTC)
「#「チャイナスクールがある日本国外務省」など、問題をよく知らない人が意味をとるのが難しい記述。正直、私にも意味が分かりません。」 意味がわからない方に「丁度いい加減な程度」の記述ができるのか疑問ですが、意味内容さえ改竄しなければ結構ですので変更案をここに提示してみてください。--Peace 2005年1月3日 (月) 20:08 (UTC)
- 検定意見の加筆に合わせて、少しアレンジしてみました。ご意見があればお願いします。--YuTanaka 2005年1月4日 (火) 09:35 (UTC)
意味内容不変で異存ございません。(示唆されている。)の表現だけ統一しておきましたがご意見があれば お願いします。--Peace 2005年1月5日 (水) 13:39 (UTC)
伊藤博文の殺害について「犯罪者が英雄、英雄が犯罪者扱いされる例~」で、「英雄が犯罪者扱い~」は 不適切と考え除外しました。中立性を意識するあまりに、民主主義社会において絶対的に否定すべき 殺人やテロ行為を英雄視する立場を併記する必要は無いと思われます。このような場合は「気に食わない奴、悪い奴を殺害する事は犯罪と言われている。」でなくきっぱりと「~犯罪である。」と言い切った 表現で良く、「中立的視点」とは相容れないものとわたしは考えますな。ご意見があればお願いします。--Peace 2005年1月6日 (木) 16:44 (UTC)
- 私は「犯罪」の用語の使用法がやや気になっています。というのも、犯罪の項目によれば、「犯罪とは、法によって禁じられた類型的行為を違法・有責に行うことを言う。犯罪を行った者は、犯罪者と呼ばれる。」とされており、今日で犯罪というと前提となる刑法などの法が介在する必要があると考えられます。この観点にのっとりますと、「犯罪者」というと、どの時点におけるどの場所の法に基づく犯罪者であるのかという議論を生んでしまいます。「犯罪者」という用語を歴史関連で使用するにあたっては、このような厄介な点が存在すると思われます。(例えば、法に殺人規定がない時点・場所での殺人の考察や、敵討ちが適法に行えた時代の考察などをするときに、安易に犯罪という用語を用いると混乱を生じないでしょうか。)
- 「人を殺すこと」そのものが非道徳的であることを文意に含ませたい場合ですと、あえていえば、「殺人」という用語が良いのではないかと私は思います。「殺人」は、(法理論とは独立して)行為そのものを表わすからです。(ただし、私は、歴史教育を専攻したわけではないので、「殺人」という用語で本当に良いのかどうかまでは分かりません。)とりあえずとして、「犯罪者」を「殺人者」にしてみるというのは、どうでしょうか? --YuTanaka 2005年1月7日 (金) 08:41 (UTC)
「~所変われば、殺人者が英雄になってしまうという例である。」この表現の場合は異存御座いません。--Peace 2005年1月7日 (金) 12:49 (UTC)
部分的に見ていた為追加になってしまいますが、 (例えば、伊藤博文を殺害した安重根は、大韓民国では英雄扱い、日本国では教科書によっては抗日運動家、あるいは単なる反動テロリストなどと双方によって捉え方が異なっている。所変われば、殺人者やテロリストが英雄になってしまうという例である。) で、いかがでしょうか?Peace
- 安重根テロリスト説があることに基づけば、「テロリスト」という表記もありなのかもしれませんが、テロリズム・テロリストというカタカナ語は、検定済教科書に実際どのくらい用いられているのでしょうか。この手の用語は、感情的かつ思想的な用語であるので、教育関係では注意して使うべきだという印象が個人的にあります。できれば、「極端な強硬派」「過激派」などの表現で代用できないでしょうか? --YuTanaka 2005年1月8日 (土) 09:15 (UTC)
なるほど、ではありのまま「暗殺した者」としておきました。 それと投稿ブロックを示唆されているNike氏は対話無しで独断編集されていますので慎んで頂くように 警告しておきます。--Peace 2005年1月8日 (土) 16:59 (UTC)
- お願いなのですが、Wikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いの3項目においては、記述の全体量を減らさないことについて言及され、ウィキペディアでは、各記事の情報量を増やすことを重んじています。したがいまして、記述を削るときには、できるだけノートに書いていただけないでしょうか。
- なお、私が行った修正のうち思想的な対立にかかわりそうなものについては、一応ここで詳細を説明いたします。
- 於ける: 現代の公用文などで漢字書きが見られないことから「おける」にしました。
- 近代国家発展のための基盤整備: これは技術者的な視点から、インフラがない近代国家の成立がありえ、インフラを国家発展だけに結びつけることの必要性がどの程度あるのか分からなかったので、国家に限定しない記述に修正しました。
- 自虐的に: 少なくとも日本国民・日本居住者等が記述したもの以外には成立しない観点ですので、コメントアウトしました。
- 内政干渉: これは国際法上の概念ですので、なにをもって内政干渉とするかは難しいので、とりあえず抗議としておいた方がいいかと。
- 自虐史観に基づく組織的不採択運動: とりあえず自虐史観を、極東国際軍事裁判史観にしました。組織的かどうかは不要な記述と考え、コメントアウトしました。(例えば、昔の学生運動について、組織的学生運動という記述は少ないですし。)また、「基づく」を「的な」に変えました。
- などという旨の選択肢: この場合の「など」は、このほかにも問題の選択肢があったという意味ではないので、コメントアウトするとともに、出題があった事実のみを指すように中立化を試みました。河合塾も同様にしています。
- 「偏向した国定教科書であるため、教育に新しい見解などが取り入れられる為の理解に時間がかかる」: これは、大韓民国の教員養成との関連性もありますが、教科書の内容によって新しい取り組みへの理解に影響が出るという趣旨だと、学校教育全般の話ということになり、別次元の話になってしまわないでしょうか。しかも、問題があるのが偏った内容なのか、国定であることなのかが不明瞭に感じます。おっしゃりたいことをもう少し分かりやすくしていただけないでしょうか。
- 日本の国定教科書ではない: 文部科学省著作教科書を国定教科書とはまず呼びません。以前の記述を復帰させますので、分かりにくい点があったらご指摘ください。
- (対象地域の)中国、韓国: 東アジアに限定した私がいけないのですが、日本が関係する東洋諸国を捉えるとすれば、もっと国の数は増えると思われます。対象地域を広げる修正を行いました。
- 多数世論: 世論は教科書制作とは関係ない気がするのですが…(世間の関心もごく一部分にしか向きませんし)。すみません、とりあえずコメントアウトしておきます。
- 靖国問題やスポーツの場: これについては近隣諸国条項がなくなれば解決するといえるのであれば書く意義もありますが、そうでなければ誤解を招く記述ではないでしょうか。内閣官房長官談話に関係があるとしても、近隣諸国条項に直接関係があるのは一部なので、これはちょっと…。とりあえずコメントアウトしましたが、原因と結果がより明朗に分かる記述にしていただけないしょうか。
- 小泉首相はもちろんのこと: これは現時点に限定した話題であり、首相が替われば途端に古くなる記述です。古くなりうる表現はできるだけ避けるというウィキペディアの基本方針に反しているような…。とりあえずコメントアウトしますので、適切な表現にするか削っていただけないでしょうか。
- 過っての: なぜ誤っているかどうかを述べないと説明不足になると考えられます。加筆いただけないでしょうか。
- 日教組などの左翼団体や在日コリアン組織: 国会でも問題になった記述なので、このような限定はいかがなものかと。また、日本教職員組合は、本来、労働組合であるわけで、そのことに触れずに左翼団体と言い切ってしまうと誤解を生じさせないでしょうか。「左派的な○○」という形に修正しておきます。
- 数々の弊害が指摘されている: これまでの論調では、弊害は主に政治面・外交面ですので、そのように修正します。
- --YuTanaka 2005年1月8日 (土) 19:36 (UTC)
- (コメント)「自虐史観を、極東国際軍事裁判史観」にするということですが、どちらの表現にしても一方的な観点の提示となりますので、中立性に反するのではないでしょうか?また、この不採択運動は、広範な市民の支持を得ていたことから考えると、偏った歴史観に基づくものとは思えません。--Tobey 2005年1月9日 (日) 08:16 (UTC)
日本の個別の教科書をめぐって>『新しい歴史教科書』(扶桑社)「自虐史観派からは戦争責任の記述があいまいであるなどを理由に起きた組織的な不採択運動」という記述の中の「自虐史観派」という言葉は不適切です。
「自虐史観」という言葉は、ある観点を持つ者が、反対の観点を持つ者に対するレッテル貼りです。「自虐史観派」と呼ばれた人々には、自分の考えを「自虐」と評価しないでしょうから、「自虐史観派」と表現する場合は、一方的な観点の提示となり、中立性に反します。また、この言葉が侮蔑的な意味を含んだものであること明白です。
よって、削除することを提案します。--Tobey 2005年1月9日 (日) 08:16 (UTC)
反日造語の「三光作戦」の編集に必死のTobeyさん、開き直りのダブルスタンダードはやめましょうね。 それよりあなたが長期間保護解除の妨害している南京大虐殺論争で、あなたの間違った本文を早く訂正 するように改心してくださいね。
小泉首相が中韓の要求を内政干渉と明言していることについて、現時点に限定した話題として排除する事は、過去のある時期に限定した話題も同様に排除しなければならなくなりますね?小泉首相の明言が過去のものとなれば記述していいと言うおかしなルールですね。はっきり「小泉首相」と示しているんですから差し支えないと思われますが。YuTanakaさん。--World 2005年1月10日 (月) 19:21 (UTC)
- 申し訳ありません、説明が足りませんでした。時間が過ぎても価値を有する記述であれば、掲載が認められるべきと思われます。ただ、「小泉首相はもちろんのこと」という表現は、「現在、日本国の内閣総理大臣を務めている小泉純一郎はもちろんのこと」という意味に私には読め、Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないで避けることが望まれている表現に該当するように思えました。よって、コメントアウトするとともにご再考をお願いさせていただきました。
- 「現在の首相の発言」ということのほかにも意味がある場合は、早とちりをして申し訳ありませんでした。ただ、現在の記述のままでは分かりにくいので、より詳しい記述に書き換えていただけると助かります。 --YuTanaka 2005年1月11日 (火) 12:03 (UTC)
World氏2005年1月14日 (金) 20:23の編集について
ざっと読ませていただきましたが、テニオハに問題を感じますし、多くの修正部分で、ノートでの指摘されたことが無視されています。一度、リバートするのが手っ取り早いと思うのですがいかがでしょうか?--Tobey 2005年1月14日 (金) 13:42 (UTC)
- 作業負担からいえば、リバートの後、ノートで指摘されている事項に抵触しない部分及び抵触が微妙な部分について、World氏の加筆分を掲載するというのが妥当に思えます。本来ならば、編集を行ったWorld氏の説明が欲しいのですが…。あと、World氏やPeace氏と視点と異なりつつも右派的(というのでしょうか?)な方がもうお一人いらしてくれると議論をする上で助かるのですが、いらっしゃいませんかね。 --YuTanaka 2005年1月14日 (金) 15:35 (UTC)
- あと、Worldさんの加筆中には、整合性をあまり考慮せずにコメントアウトを解除している部分があります。「左派的な労働組合・在日コリアン団体などの諸団体や左派的な教員(日教組など)の左翼団体や在日コリアン組織などから」の部分など(ほかにもあります)です。在日コリアン~が2回あるなど、文法上・文構成上に間違いがあります。Worldさんには、文法的な誤りを残さないことにも注意を払っていただけると大変助かります。--YuTanaka 2005年1月14日 (金) 15:46 (UTC)
- 複数者による加筆が行われたので、今後は、リバートをせず加筆で対応するのが適切に感じました。--YuTanaka 2005年1月16日 (日) 17:41 (UTC)
- 今回は、World氏の見解を待っている間に、別の方の編集が続いたので、やむ得ないと思います。--Tobey 2005年1月16日 (日) 18:00 (UTC)
一度、リバートするのが手っ取り早いと思うのですがいかがでしょうか?などと言うTobey氏の行為がトラブルのもとですからその点YuTanaka氏を見習うべきですな。ただ私が右派とされるなら、ほとんどの中国人や韓国人などは極右に見える事でしょうな?国際的に見て私などは中か中のやや右、Yu氏で左派の中寄り、Tobey氏などは極左あるいは他国からは不可解な日本人として分類不能の類ではないでしょうか。 まあこのズレも極端な戦争トラウマの影響から来る自虐嗜好と言ってしまえばそれまでですがな。--Peace 2005年1月18日 (火) 00:35 (UTC)
- 右派的という表現に不快感を感じられたのであればお詫び申し上げます。国際的かどうかはともあれ、ステレオタイプ的な分類であり不適切な表現でした。--YuTanaka 2005年1月18日 (火) 14:29 (UTC)
いえいえ不快で投稿したわけではありません。日本では確かにわたしはそう言われますので。 ただ日本が世界的に見て特殊だと言いたかっただけですのでお気にされませんように。--Peace 2005年1月18日 (火) 17:01 (UTC)
中国で使われている歴史教科書の問題について
2005年の中国における反日活動により、中国で日本の歴史を歪曲化して更には日本人を差別しているとの報道が出てきました。中国のほうが歴史教科書問題を記載すべきかと思いますが、如何でしょうか?参考URL:http://cnn.co.jp/world/CNN200504180011.htmlking-wise 2005年4月22日 (金) 12:04 (UTC)
- 中立的ということですので、やはり中国の歴史教科書問題は必要だと思い載せておきます。(載せないとただ日本への批判ばかりとなりますから。)king-wise 2005年4月22日 (金) 15:01 (UTC)
- ドイツ教科書やその以外の国の情報もできれば欲しいのですが、韓国の教科書の情報もついでにありませんかね。タイムリーな話題だけだとすぐに記述が古くなってしまいますので。--YuTanaka 2005年4月22日 (金) 16:17 (UTC)
- 書籍でも批判する情報が多数存在しますのでご承知でなければ熟読願います。2005年4月23日に東京で起きた反中デモで台湾人などが中国の歴史教科書捏造問題について批判するプラカードなどを所持しておりました。king-wise 2005年4月22日 (金) 18:35 (UTC)
現代の外交問題の観点に偏っているように思われます
現在の内容は(1)歴史教科書問題が今日まで続く中国・韓国との外交問題へと初めて発展した1982年の侵略/侵攻書き換え問題と近隣諸国条項、(2)新しい歴史教科書を巡る2005年の反日暴動、および半ばそれに対抗する形で言及されている(3)中国・韓国における教科書問題などがメインで、どうも現代日本の外交政策の観点に限定されすぎているように思われます。
歴史教科書問題は外国との関係以前に日本国内における一つの大きな社会問題でもあり、また教育の問題は政治の問題に全て還元されるものでもありません。本質的な教育の問題自体をとばしていきなり政治的、外交的な観点から解説するのもおかしいように思われます。もう少し、戦後の歴史教科用図書検定が生まれた経緯とその変遷や、検定制度設立以来これがもたらしてきた諸問題・論争(うれうべき教科書問題、F項パージ問題、家永裁判など)を時系列に紹介するような解説があってもいいように思われます(これなどを参考に)。Hermeneus (user / talk) 2006年1月7日 (土) 20:14 (UTC)
タイポ
この差し終さえを受けた教材の数点は日本に送りか「け」されたものの、
you may add zh:东亚三国的近现代史 「未来をひらく歴史」 in the external link / see also section. --Hello World! 2006年5月16日 (火) 01:53 (UTC)
日韓併合とハングル
『日韓併合』の項の日本側の言い分として
- 日本の植民地政策によって、インフラ整備や義務教育の普及、李氏朝鮮では禁止されていたハングルの採用など、朝鮮半島の近代化と文化振興が促進された点は否めない。
とありますが、『李氏朝鮮4代皇帝である世宗』が発明したハングルを、当の李氏朝鮮で『禁止していた』とは、到底考えにくいのですが?『ハングル』の項に
- ハングルがこれらの階層(当時の支配層)において正規の書記手段として受け入れられることはなく、その結果ハングルは大体において民衆の書記手段として広まることになる。
とあるので、そのことを指しているのでしょうか?ましてや皇民化教育を推し進めていた当時の日本政府が、ハングルの使用だけは認めたとは?当方の勉強不足なのでしょうが、ぜひ詳しい事情を教えていただきたいと存じます。--Yama-no-junin 2007年3月9日 (金) 16:12 (UTC)
- >李氏朝鮮では禁止されていたハングルの採用
- 表現を変えるべきでしょうね。
- >皇民化教育を推し進めていた当時の日本政府が、ハングルの使用だけは認めたとは?当方の勉強不足なのでしょう
- 皇民化教育化の朝鮮では、1938年まで朝鮮語が必修科目でしたよ(1938年後は必修から外された)。--経済準学士 2007年3月9日 (金) 16:49 (UTC)
- さっそくのお返事ありがとうございます。
- >李氏朝鮮では禁止されていたハングルの採用
- こんな感じでどうでしょう?
- 李氏朝鮮では公式には認められていなかったハングル
- >1938年まで朝鮮語が必修科目でしたよ(1938年後は必修から外された)
- それは知りませんでした。確かにいきなり日本語を押し付けたら、文字から何から違いすぎて猛反発を食らうのは当たり前ですものね。ナチス・ドイツがアルザス・ロレーヌ(もともとドイツ語圏だそうですから)に侵攻したときのようにはいきませんよね。--Yama-no-junin 2007年3月10日 (土) 13:32 (UTC)
関連項目追加
検閲が検閲と日本における検閲とに分割されましたので、関連項目の追加を管理者に依頼しようと思います。異論がなければ一週間後に依頼します。(2008年4月1日 (火) 14:39 にΑΩが投稿したものの署名忘れ)--ΑΩ 2008年4月7日 (月) 14:45 (UTC)
教科書誤報事件の項目について
別項で教科書誤報事件として立項されているのですが、実質的にはこの項目と内容が一緒ではないでしょうか?本来なら統合提案すべきでしょうが、内容が一方的な気がしますがどのように対処すべきでしょうか?--Carpkazu 2008年7月30日 (水) 13:40 (UTC)
保護解除の提案
この記事は2006年2月24日より、長期荒らしが加わった編集合戦により無期限保護されていますが、保護期間が2年半と長期に渡っていることにより、様子見での保護解除を提案します。また長期荒らしが来たら来たで対処、ということで。
特に異論がなければ、タイミングを見て保護解除を依頼します。--Tatsujin28 2008年8月30日 (土) 18:20 (UTC)
- 別の方が依頼を出され、解除されました。--Tatsujin28 2008年9月9日 (火) 13:02 (UTC)
全体的に出典を
争点の節を中心に「誰の意見か」等の出典を求めますので、おねがいします。--218.217.115.71 2009年7月14日 (火) 11:45 (UTC)
出典があまりにも示されていない。また、それゆえ、独自研究、編集者の個人的な(政治思想的な)見解とおぼしき記述も散見される。全般にわたって再構成したが、「中国の言い分」として長く記述されるドイツでの状況については、そもそも「中国のいい分」なのか?議論はここでお願いします。--西方 2011年10月17日 (月) 04:25 (UTC)
編入した際から長年なんら抗議せず日本国の領土として認めていたのにもかかわらず突如領有権の主張は矛盾している。
事実無根。歴史を勉強し直して来い。
日本の教科書について出典の提示が必要な理由
「日本側の記述にのみ要出典が張られる不自然な編集を差し戻す。」という御主張で巻き戻されましたが[3]、SLIMHANNYA さんの理解が誤解に基づくものであることも考えられますので、当方の意図をご説明します。
本文には日本と韓国の教科書の内容が対比されていますが、韓国と中国は国定教科書であり出典が厳格に示されていることになります。これに対して日本の場合数十の出版社が独自の教科書を発行し、内容的には種々様々であり、記述がどの教科書のものであるか査読者(この場合ウィキペディアの読者)が確認するためには出典を特定する便宜を供する必要があると思います。このため日本の教科書に限って要出典を貼らせていただきました。--Watson system(会話) 2013年11月9日 (土) 12:49 (UTC)
- 韓国の歴史教科書の国定教科書制は廃止され、現在は検定教科書制です。よってその論拠は通用しません。検定制にしたことによって、韓国で現在ニューライトをめぐって様々な議論があるのをご存じないのですか?--SLIMHANNYA(会話) 2013年11月9日 (土) 13:04 (UTC)
寡聞にも韓国の歴史教科書の国定教科書制は廃止されたことは存じませんでした。それならば日本と韓国両方の教科書の引用に出典が必要ということになりますね。合意いただければ両者に要出典を同じく張りたいと考えますが、いかがでしょうか。--Watson system(会話) 2013年11月9日 (土) 13:11 (UTC)
- もちろん引用があったほうがいいが、全ての文に下線部を引くやり方は可読性を失わせます。しかもwikipediaのルールを悪用する輩は、酷い場合だと検索すればすぐに出てくるような記述や、自明の情報の記述であっても、自分が気に入らない記述や記事に要出典をところかまわず張りつけ、しばらく出典が出ないと、ところかまわず記述を削除する暴挙に出ることもあります。当然全ての記事の文章に一言一句出典を添付することは労力的にも現実的に不可能ですから(毎日国会図書館に行くわけにも行かないなど面倒)、このようなルールの悪用が簡単に出来ます。そういう意味で、私は「要出典」を貼り付けまわるだけの編集者の行動を、仮に悪意がないとしても、苦々しく見ているのです。ですから、本記事で「要出典」が広範にわたるとお思いになるなら、この記事では記事冒頭に「要出典」のテンプレ文を張るだけで良いのではないでしょうか?。また先刻も申し上げたとおり、前述の理由から、是非、あなた様は「要出典」を貼り付けまわるだけの作業に邁進するより、記事の執筆を行ってはどうですか。--SLIMHANNYA(会話) 2013年11月9日 (土) 13:40 (UTC)
<<「可読性を失わせます」<<
お気持ちは分かりますが、ウィキペディアは不特定多数の人間が記述に関わっている以上、性悪説に基づいて対処する以外ないのです。ゆえに記述が正確であることを証明するために出典を記す必要があります。この点御理解ください。Wikipedia:信頼できる情報源、Wikipedia:独自研究は載せないとWikipedia:検証可能性をご確認ください。
日本語版についてはあまりにもその原則がないがしろにされてきたきらいがあります。教科書の記述については一定期間出典が示されない場合は一旦すべて削除もやむを得ないと考えております。--Watson system(会話) 2013年11月9日 (土) 14:00 (UTC)
- 私はあなた様が提示した上記の方針は百も承知です。その上で私からはWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説を提示させていただきます。極端に「要出典」を張り付け廻る行為は、前述のように、問題のない正当な記述である場合でも、あらゆる記事の破壊も可能にします。私はwikipediaの方針を悪用してきた人物を何人も見てきましたので、杓子定規に方針を振りかざした意見には抵抗があります。ただし存命中の人物は、名誉毀損や安全問題などに係るためルールを厳格に適用すべきでしょうね。--SLIMHANNYA(会話) 2013年11月9日 (土) 14:19 (UTC)
SLIMHANNYAさん、あなたが良心的な執筆者であると信じていますが、以下のことは御理解ください。
管理者は内容の正確性や虚偽性までは判断してくれません。内容については読者がお互いに確かめ合うしかないのです。そしてその判断は杓子定規と思われるかもしれませんが出典主義によるしかないのです。
したがいましてウィキペディアにおいては「問題のない正当な記述である」かどうかの判断は、出典の信頼性に頼るしかありません。そしてその方法は個々に要出典を出し合って、疑念を招く記述を一つ一つ確認し、確認できないならば削除していくしかないのです。
これはウィキペディアの限界かもしれませんが、これ以外の方法がないのも現実だということをどうかご理解ください。
--Watson system(会話) 2013年11月9日 (土) 14:36 (UTC)
- 私がWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説を提示した理由が理解されていないようで残念です。私もあなた様が良心的な「執筆者」であると信じたいですが、記事の建設的発展のための本文執筆を行わず、自らは何の労もせずにテンプレだけ張って廻る(しかも、テンプレがかなり的外れだったりすることもある)あなた様から「良心的な執筆者や記事」についての評価について言及されるのは大変な違和感があります。例えば、あなた様は、掲示されている出典を見ればすぐに誰と加筆できるか、前後の文脈から誰かが明白なのに、東アジアカップ2013の記述に「誰」テンプレの添付を連続投稿しました。このような見境ないテンプレ添付の編集が繰り返されることについても危惧しています。敢えて厳しい言い方をして申し訳ないですが、前言したとおり、あなた様も是非、ご自身で記事を執筆して、ご自身の言葉に説得力をつけてください--SLIMHANNYA(会話) 2013年11月9日 (土) 16:46 (UTC)
東アジアカップ2013#試合会場における政治的メッセージ掲揚問題には明確な主語が示されていないということにお気づきではないようですね。これらのメッセージを掲げたのが、どのような人々であるか記述が必要でしょう。文章として非常に読みにくく違和感を感じます。こういった基本的な構文の未熟さが日本語の記事には間々散見されます。5W2Hがあらゆる言語の基本です。こういった小さな問題を放置せず一つ一つ誰かが指摘して修正を促すことが、日本語の記事全体のレベルの向上につながると信じています。--Watson system(会話) 2013年11月9日 (土) 17:25 (UTC)
- 主語がなかったことなんか元から気づいています。「日本人妻の添削」でノートに執筆している日本語能力が不足するあなたには理解・加筆できなくても、普通の日本人なら、出典を見ればすぐに主語が誰かわかる内容だし、不足すると感じるなら、出典を確認してあなたが主語を書けばいいだけです。そのために日本語の勉強をもっとしてください。加筆はすぐに出来る作業でしたから、現に私は主語を追加しました。また、文脈上主語が分かる文についても「誰」が張られていたのはおかしかったです。日本語能力が不足していて簡単な記述も加筆できないあなたが、テンプレだけを見境なく過剰に張りまくるのは、非建設的な行為です。--SLIMHANNYA(会話) 2013年11月9日 (土) 18:32 (UTC)
大変失礼ない物言いになりますが、あなたの日本語は到底日本人の成人のレベルに達していないと判断せざるを得ません。まず口語と文語の使い分けが出来ず、小学生レベルです(もしあなたが小学生ならばお詫びしますが)。まず文章そのものの客観性を担保していませんし、また当然成人ならばわきまえていなければならない礼儀や常識に欠けております。「普通の日本人なら、出典を見ればすぐに主語が誰かわかる内容だし」といった前提は、自分本位の思い込みと独断であるとお気づきになられませんでしょうか。不特定多数の日本語を解せる能力のある対象に理解できる構文にする必要があります。そのためには5W2Hの記載が記述者に求められるのです。人に日本語の勉強を勧める以前に、まずご自分が小学校1年生の国語の教科書から勉強し直してみてはいかがでしょうか。--Watson system(会話) 2013年11月10日 (日) 01:21 (UTC)
- このようなビジネスなどではない畏まっていない場での、特に対話方式の日本語のやり取りでは、口語と文語の明確な使い分けは厳密に求められていません。日本人妻の添削を受けなければ日本語の文章を書けないあなたが、私の日本語能力を判断するのは片腹痛いです。私の礼儀に関して指摘していますが、ノート:在日特権でも既に見受けられるように、日本語能力が不足するがゆえにこちらの言うことを理解できず、本文も執筆できないあなたと堂々巡りのやり取りが繰り返されていれば、直接的な物言いになってしまうのは仕方ないことではありませんか。意味が伝わるかどうか不安ですが、あなたがそれほど不愉快に感じたなら、もっと非直接的な書き方に努めましょう。また、あなたが「誰」のテンプレを張る前に出典を読まなかった、若しくは、読んでも自身で加筆しようとしなかったか、読む能力がなかったことは、良く理解できました。--SLIMHANNYA(会話) 2013年11月10日 (日) 03:18 (UTC)
コメント 失礼します。参考文献を貼りに参りましたらこのような議論がなされていることに気づきました。
- Watson systemさん。「出典主義によるしかない」2013年11月9日 (土) 14:36 (UTC) は全く同感ですが、「ウィキペディアは不特定多数の人間が記述に関わっている以上、性悪説に基づいて対処する以外ない」2013年11月9日 (土) 14:00 (UTC)、には賛同致しかねます。失礼を承知で申し上げれば、「性悪説に基づいて対処する以外ない」というご自身の経験則を得るに至ったのは、ひとえに、記事の充実と推敲を旨とし、他人を巻き込んでより良い記事にしてきた経験に乏しく、有効な議論の術を知らずに来てしまった、と推測せざるを得ません。
- SLIMHANNYAさん。記事を汚されたくないお気持ちはよくわかります。しかし、{{要出典範囲}} {{要検証範囲}} {{疑問点範囲}}など下線を伴うタグを貼って読者に注意を促し、ウィキペディアンに改良を促す行為は正当な行為です。「全ての文に下線部を引くやり方は可読性を失わせます」2013年11月9日 (土) 13:40 (UTC)というのは、やや筋違いかと存じます。可読性を失う、というのは、大切な記述が過剰な記述に埋もれることや、現行版から編集除去される、といったことではないでしょうか。下線があっても文章が理解できなくなるということはないと思います。読者は「より注意して読む」ようになる、という効果が期待できると私は思います。
提案 自分でも高次出典を探してみようという気がないものについては、最大限相手の意向を尊重し、(この件で言えば)下線を伴わないタグで済ませる。タグの貼り逃げはしない。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年1月5日 (月) 01:42 (UTC)