ノート:武士道
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明治武士道って菅野覚明が使ってるようだけど、一般的な用語なのかな? --忠太 2005年3月12日 (土) 17:06 (UTC)
赤穂浪士がカブキ者?それはいくらなんでも違うんでは。「テロリスト」ではあると思いますが。Tan--202.214.30.9 2005年11月30日 (水) 06:04 (UTC)
「武士道」のはじめて
[編集]出典を失念してしまったのですが、「武士道」という言葉は新渡戸の造語という話を聞いたことがあります。この真偽を確認の上加筆しようと思うのですが、確たる証拠に行き当たりません。メモして置けばよかったのにね。この辺りのことご存知の方がおられたら加筆お願いします。あるいは新渡戸の『武士道』出版以前に武士道という言葉が使われていた事例をご存知でしたらご教示いただければ幸いです。219.97.105.61 2006年12月22日 (金) 23:24 (UTC)
- 新渡戸の造語ではありません。武士道という言葉は江戸期からあります。211.127.9.106 2007年3月11日 (日) 05:57 (UTC)
- 山岡鉄舟の『武士道』について追記した者ですが、同書は万延元年に著されているので新渡戸の『武士道』出版以前の事例にあたると思います。210.143.35.15 2007年3月14日 (水) 01:07 (UTC)
- 単純に書名というのであれば、小笠原昨雲『当流軍法功者書』の別名で『武士道功者書』(元和期) というのや、菱川師宣の「古今武士道絵つくし」(1684)などがあります(国文学研究資料館のデータベースあたりを参照してください)。倫理の次元での用法としては、「世上に武士道と申習し申候一筋、古之書に之れ有り候。君子の道にもかなひ、人を治むる道にも成り申すべきやの由、御尋ね候。」(荻生徂徠『徂来先生答問書』1725序、句読点・表記を改めました)とあるのがわかりやすい例でしょう。--122.132.64.218 2008年2月26日 (火) 22:24 (UTC)
新渡戸の分化
[編集]新渡戸の著書は単独化すべきでしょう。とりあえずやってみます。--Unpinsmith(会話) 2018年3月21日 (水) 15:25 (UTC)
山岡鉄舟自身が武士道に係わる記録を何時残したかについての質問です。
[編集]--桑原英眞(会話) 2018年8月30日 (木) 10:54 (UTC)「山岡鉄舟口述、勝海舟評論、安部正人編『武士道』、光融館、1902年」という資料はあるようですが、鉄舟本人が記載したものは見当たらないようです。 ”万延元年(1860年)、山岡鉄舟が『武士道』を著した”、とありますがこの年は鉄舟25歳です。具体的な出典が分りましたらお教え下さい。