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ノート:正戦論

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政治哲学の領域から

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  • いつもお世話になっております初版執筆者の方には大変申し訳ありませんが(汗)…「正戦論」は政治哲学・公共哲学の領域においても論じられるものであります(寧ろ私の知る限り、こちらの領域で議論が活発であり、多くのキリスト教関係者もこの領域に参加しています)…。キリスト教関係に偏った記述を大幅整理させて頂こうと思います。あしからず御了承下さい。
  • なお、私もこの領域については本を何冊か大学の授業を通して読んだ程度ですので、私にも偏りがあるでしょう(大学の授業にも当然偏向はあります)。今すぐに見つかる、書棚にある参考文献も2冊だけです(押入れのダンボールには入っているでしょうけれど…)。しかも加筆しようとしている私ですが、参考文献の結論にどちらかと言えば否定的です(蛇足ですが…)。ただ、参考文献に挙げられた事実記述をみると、それほど大きく「常道」から外れた話の取捨選択はないと判断しました(西欧への偏りはありますが)。従いまして、参考文献に記されている学説を、あくまで一例として挙げるような編集に努めようと思います。御異議・さらなる加筆編集の必要があれば是非お願いします。必要に応じて議論しましょう。--Kinno Angel 2010年1月20日 (水) 09:51 (UTC)[返信]
ヨシュア関係とヘブライ語Cheremの訳語の一つである聖絶についての記述があまりにも偏っているので改善に着手し、その関連項目として作成した項目です。私の手元にある本では不十分であると思いましたが、発展の余地のある項目であろうと考えて作成しました。早速の加筆訂正ありがとうございます。--Evangelical 2010年1月20日 (水) 13:22 (UTC)[返信]
大幅な修正・加筆に対して寛容なお返事を頂き、ありがとうございます。聖絶についてはそもそも出典に乏しく、どうしたものかと私も思案していたところでした。ただ、私は全く暗い領域のため、具体的には協力出来ないかもしれません。いずれにせよ、このような項目の質の底上げ・中立的観点の配慮が、今後必要になって来るかと思います。--Kinno Angel 2010年1月20日 (水) 15:14 (UTC)[返信]

2010-01-23 15:45:19 (UTC)の編集について

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上記日付での編集について説明します。主として文献参照の仕方と、参考文献の文献列挙・書誌事項での不備を修正したものですが、1点だけ注を除去しました。2010-01-22 15:46:49 (UTC)までの版で言うと、5という番号が割り当てられているもので、「参考文献には「法王」と記載されているが、ウィキペディアにおける記事名合意の経緯を尊重してここでは「教皇」とした」とあるものです。

文献の引用において一字一句変えずに引用するいわゆる引用(citation)であれば、引用箇所で使われている語句を改変することはできませんので、上記のような注意書きは必要となりえません。上記の注が付されている箇所はcitationではなく、文献の該当箇所を要約して引用する要約引用(quotation)です。要約引用(quotation)であれば、前後の議論の文脈上、必ずしも参照先の文献の言葉遣いを100パーセントなぞるとは限りませんし、なぞらなければならないわけでは必ずしもありません。その意味では不要で冗長な注意書きです。さらに「ウィキペディアにおける記事名合意の経緯を尊重して」ともあるわけですが、このようないわば「舞台裏」の事情を読者に示してもたいしてうれしい事は無いと思われます。

以上、除去の理由の報告とします。--ikedat76 2010年1月23日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

ikedat76さん、成る程、仰る通りだと思います。修正に感謝申し上げますとともに、注の付け方の勉強になりました。今後の編集の参考にさせて頂きます。ありがとうございました。--Kinno Angel 2010年1月24日 (日) 16:22 (UTC)[返信]

こちらこそご理解いただけて何よりでした。せっかくの機会ですので、注9・13の孫引用状態の解消もされてはいかがでしょうか。余計なおせっかいと思いつつご提案いたします。ご検討ください。--ikedat76 2010年1月24日 (日) 16:36 (UTC)[返信]