ノート:正倉院文書
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参考になりそうなページ(史料編纂所)
造石山寺所との関係
[編集]造石山寺所と写経所の関係がよくわからない。[3] -- 2007年11月10日 (土) 16:29 (UTC) --忠太 2007年11月11日 (日) 01:52 (UTC)--忠太 2007年11月11日 (日) 01:33 (UTC)
- (追記)現在の本文では造石山寺所と写経所の別当を(偶々?)兼任した人物がいたから、といった説明になってますが、もう少し深い関係があったかもしれません。(栄原永遠男論文「石山寺増改築工事の財政と銭貨」[4]P91を見ると、写経所と造石山寺所の会計は別になっていたが、写経所の資金を造営工事に流用することもあった) --忠太(会話) 2014年1月6日 (月) 14:26 (UTC) ※造石山寺司→造石山寺所に訂正--忠太(会話) 2014年11月27日 (木) 12:18 (UTC)
東寺文書
[編集]東寺文書の中にも奈良時代の古文書があるということで、その旨を少し加筆しました。石上英一「弘福寺文書の基礎的考察」(1987年)[5]によると、795年に弘福寺文書目録が作られていたそうで、リストに709-777年の文書11点があります(一部は東寺以外に流出)。 --忠太(会話) 2014年1月6日 (月) 14:26 (UTC)
要出典について
[編集]本文に「『続々群書類従』(明治20年ごろ)にも重要な文書が集録された」とありますが、『続々群書類従』第16(雑部)に収められているのは、延暦六年曝凉帳、東大寺勅封蔵目録記などであり、これらは写経所文書ではないと思います。 --忠太(会話) 2014年11月27日 (木) 12:18 (UTC)
- コメントアウトとしました。 --忠太(会話) 2014年12月25日 (木) 12:43 (UTC)
- コメントアウト部分を削除しました。 --忠太(会話) 2015年12月25日 (金) 14:13 (UTC)