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ノート:樺太庁

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ひとまずは、補填して形を整えたいと思います Faso 2004年9月16日 (木) 13:07 (UTC)[返信]

道路の記事名ですが、一目で道路についての記事とわかるように内地の国道・都道府県道の記事名の付け方に倣って「樺太庁道」と頭につけて「樺太庁道○○線」としたほうが良いかと思いますが。Utsuda 2004年9月25日 (土) 21:57 (UTC)[返信]

根拠になる法令はありますが、実際には庁道としての運用がなされなかった路線もあり、また庁道としての運用がなされていても 法的根拠が無いものもあり、その関係で記載しておりません。国道として認識されており、修繕費も国費が用いられていた路線もあり 詳細を確認し、他に合わせます Faso 2004年10月2日 (土) 12:53 (UTC)[返信]

旧外地の地方行政区分とありますが、南樺太は終戦当時内地だったのでは?

支庁の数

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1934年製の地図帳では樺太の支庁の数が六つあります。(元泊支庁などがあります)。 またこのサイト http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/karahuto/kara-sit.htm によれば樺太の支庁数が四つになったのは1942年のこととあります。

地図2点

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とりあえず自分で出来る限りのことは致しましたが、使用に足るかと言われれば厳しいかもしれません。加工してくださる方が居れば是非。加工ではなく全く新たに作ってくださっても結構です。よろしくお願いいたします。Faso 2004年10月19日 (火) 08:33 (UTC)[返信]

地理区分について

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編集合戦に至っている気もしますが、トマリ市と泊居町は同一の行政区分ではないですし、行政の連続性が無い状況です。 変換するのが良いとは思われません。Faso 2004年10月15日 (金) 13:41 (UTC)[返信]

放送局について

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樺太庁に存在したのは、NHK豊原放送局であり、また戦後のユジノサハリンスク放送局は同一の団体ではない状況ですので、樺太庁で言及するのは少々疑問が残ります。

歴史は現在につながるものであり、NHK豊原放送局の現在の状況を記すことは歴史を語る上でも意味のあることではないかと思います。Natunohi

現在の記述であれば連続性が分かると思います。当初の記述では、分かりませんでしたので、上記の意見を出させていただきました。

樺太庁の法的な地位について

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樺太庁を日本の都道府県と見なすのは疑問です。都道府県と見なし得る何らかの理由が存在するならばご教示下さい。また国家行政組織法により樺太庁が消滅したのは事実であり、解釈の問題ではありません。敢えて「とされる」と表現を修正される方がおられるのは何故でしょうか。非常に疑問です。なお日露和親条約、樺太島仮規則、樺太・千島交換条約が不平等条約であるか否かをこの項目で論じるのは不適切であると考えます。Sakhalin-man 2007年1月4日 (木) 07:52 (UTC)[返信]

  • 樺太内地編入に伴う法令の取扱に関する件をあげさせていただきます。都道府県とほぼ同一と考えてよいかと。それ以外は同意します。--Faso 2007年1月6日 (土) 02:30 (UTC)[返信]
有り難うございます。Faso様のご同意を頂き大変心強く思います。ところでご教示の資料は法令でしょうか?どういった種類の資料であるか、どの程度の分量の資料であるか、また刊行されている資料であるか等をご教示頂けますと、私のみならず後の読者がさらに調べるときの参考にもなるものと考えます。御一考下されば幸いです。Sakhalin-man 2007年1月8日 (月) 00:07 (UTC)[返信]
ご教示有り難うございます。Faso様の熱意には感服致しております。ところでご教示の資料は残念ながら国会図書館には存在しない様です。Faso様が総務省で閲覧された時期をご教示頂けますと資料の所在を捜索するときの参考になるものと考えます。ご一考下さい。また「樺太ノ地方費等ニ関スル資料として補されており」との表現は意味不明ですが「内務省官制」とされる以上は法令であると判断して宜しいでしょうか。資料の種類につきましても引き続きご教示をお願い致します。Sakhalin-man 2007年1月9日 (火) 09:53 (UTC)[返信]
  • 閲覧時期については個人に属する範囲ですのでお許しください。人まとまりの資料となっています。法令と見なして問題ないかと。根源的な問題としては北海道会法および北海道地方費法のように樺太内地編入ニ伴フ措置ノ件をもって地方自治体とみなすかですが、これは自体は問題ないと思います。但し現在の都道府県は1946年の第1次地方制度改革で府県制の改正により成り立っていますので、現在と同等ではなく当時の北海道に準ずる行政機関であったということになるかと思います。--Faso 2007年1月10日 (水) 02:43 (UTC)[返信]
ご教示有り難うございます。Faso様の私的な情報に関して云々する権利は当方にはありませんし、その様な意図もありません。ご安心下さい。さて、これまでご教示頂きました情報をまとめますと、当該資料は少なくともFaso様が閲覧された時点では総務省の管轄下にあり、法令ではないが法令と見なして良い内務省官制であるということになります。これは非常に特殊な資料であり、参照は極めて困難であることは明らかです。この様な資料を探し出し閲覧されたと言うFaso様の熱意には驚愕さえ覚えます。ところで最初にご教示頂きました資料には樺太庁を都道府県と同列の呼称とする旨の明白な条文又はそれに相当する部分は存在するのでしょうか?度々の質問にてお手数をお掛けいたしますがご教示頂けますと幸いです。Sakhalin-man 2007年2月21日 (水) 09:55 (UTC)[返信]

ご教示の資料に明白な条文又はそれに相当する根拠が存在しないとすれば、樺太庁を都道府県とするのはあくまでFaso様の推測又は解釈であると言う事でしょうか。私は今回の件に限らず様々な巻について常に根拠となる公文書を探しております。お気付きの点がありましたら今後ともご教示をお願い致します。Sakhalin-man

大泊の読みについて

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一つの節にするほどの内容ではありませんが、上の議論とは無関係ですので新設しました。 支庁などで登場する「大泊」の地名について、読みは「おおとまり」と表記されていますが、この出典を教えて頂けますか? 駅名を参考にして「おおどまり」に修正してしまったページが存在する為質問させていただきます。--黒坂ねう 2020年1月3日 (金) 13:25 (UTC)