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ノート:概念

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goo辞書とほぼ同じ

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goo辞書[1]のほぼコピペ。削除が妥当かと。--来 国俊 11:04 2004年2月10日 (UTC)

参考:「ノート:供給/削除」 --くっちゃめ 2010年1月17日 (日) 09:45 (UTC)[返信]

言葉へのリダイレクトについて

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概念の記事が死んでいる間に言葉の方で不充分ながら説明を記述していましたので、とりあえずリダイレクトさせました。本来、別記事とすべき内容と思いますので必要があれば解除して下さい。ご意見・修正等ありましたらよろしくお願いします。--CharBow 15:28 2004年2月28日 (UTC)

既に記事となりましたので、この件は終わりで〜す。--CharBow 12:53 2004年3月1日 (UTC)

英語版より訳出

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何も参照しないと書けないから。 プロポジションって何だ? --里ひろ 06:15 2004年3月1日 (UTC)

「命題」のことだね。「ソクラテスは死ぬ」みたいなやつ。--Mishika 06:40 2004年3月1日 (UTC)

人の名は概念か否か??

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ちょっと疑問なのですが、人の個々の名前は概念ではないのでしょうか。個人的には「CharBowはwikipediaに参加する一人の人を表す概念である」と言えないのかなぁ〜などと思っています。実体を示し、実体とは別の名前という存在は概念なのではないかとちょっと疑問なのです。実体に関わらず名前は一人歩きしますからね。どうでしょうか。--CharBow 14:19 2004年3月2日 (UTC)

  • ふつう名前つったら一つしか指しませんからねえ。固有名詞が固有であり続ける限り概念とは呼べない気が…。一人歩きをしているのであれ架空であれ「個々の事物」を指すものが概念では記事の定義上まずいと思いますが。「CharBow」が何かを一まとめにする意味を持てば話は別でしょうが、そうすると CharBow さん本人でないものも「CharBow」に含まれてくるでしょう。これは名前が一人歩きしているのとは少し違います。名前は、一人歩きをしていても、その名前の特定の人が指し示されています(「CharBow」がしたと思われていることは、CharBow がしたことでなくても CharBow さんに帰せられています)。ところが「CharBow」が概念化すれば、それはもはや CharBow を指し示すことはないでしょう。「CharBow」は「〜なもの、こと」と定義づけられ、「あのCharBow」「このCharBow」という形でしか個別的なものを示しません。これは、「14:19 2004年3月2日 (UTC)に書き込みをしたらしいのは CharBow だ」というのとは使い方が違ってるとおもいません? (Setomanko)以上のコメントは、Setomanko会話投稿記録)さんが[2004-03-02 14:54:07 (UTC)]に投稿したものです。
  • CharBowさんの考えていた意味とは違うかも知れないですが、個別具体的な事象を何かの同一性や共通性を指標として束ねる機能を持つものが概念だとしたら、CharBowという固有名詞も、昨日のCharBowさん、一ヶ月前のCharBowさんなど、それ自体として個別具体的だと言える事象を束ねる概念だと言えそうですね。 実際、「日本」、「アメリカ」、「ソニー」、など集団のアイデンティティーに関わる固有名詞やブランド名などは、そういう概念として機能していますし。
ただ、固有名詞には個別具体的な固体を指し示す働きがありますが、その固体がそれ以上分解不可能な個別具体的な事象だと考えると、固有名詞が概念の一種というのは変ですね。これがSetomankoさんの意見だと思うのですが。--Tomos 16:35 2004年3月2日 (UTC)
Setomankoさん、Tomosさん、ありがとうございます。どうも一概に概念とは言えないようですね。私も少し調べてみたのですが、「名前が一人歩きする」とは、一人の人の言動・業績・足跡等に基づいて形成される人物像・イメージ・評価等が実体・固有の人格と乖離している状態をいうようです。つまり、同じ名前を持つ人物像が実体と別に形成されて勝手に評価されているような状態の様です。もう少し検討してみたいと思っていますので、よろしくお願いします。--CharBow 16:06 2004年3月3日 (UTC)

「概念」と作品の「コンセプト」について

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いわゆる「概念」と「作品のコンセプト」は違う概念です。「作品のコンセプト」は作品の主題(テーマ)と言い換えられるし、普通「作品の概念」とは言わないよーな? コンセプトとか主題とかゆうページに移せないかなぁ。--HarpyHumming 16:34 2004年3月27日 (UTC)

HarpyHummingさんと同意見です。「作品のコンセプト」を指して「作品の概念」という言い方はしません。なので「作品の概念・コンセプト」の項には違和感を覚えます。ちなみに英語版はconceptへのリンクになっていますが、日本語の「作品のコンセプト」に該当する英語は、conceptではなく、thoughtとかideaとかthemeです。--MH 17:13 2004年3月27日 (UTC)
確かに違和感を感じる部分はあると思います。一応、「コンセプト」について考える上でのサンプル的意味合いを込めて記述してみたので私も同様に思います。そこで、概念とコンセプトが同義では無いとしてどういった違いがあるのか、コンセプトとアイディアやテーマの意味合いの違いがどのようになっているか判るといいなと思います。別の記事に分けることは問題ないでしょうが、本質的に同義の部分と異なる部分を明確にしておくほうが、相互の関連性を考える上で大事な部分になると思いますし、いずれ何等かの説明が必要になる部分だと思いますがいかがでしょうか。--CharBow 12:26 2004年3月28日 (UTC)

概念は「仮想的」?

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概念は抽象的、普遍的とあります。他に表現がないかと考えると「仮想的」が思いつきます。実在する事物の在り方はそれに対応する概念とは異なるので、概念は仮想的だということです。また、概念としては何らかのまったく実在しないものを考えることができます。といっても、実在が何かというのは場合によって異なって、例えば概念が実在だと考えれば物質界は仮想的になる…(イデア界とその影)。また、抽象化、普遍化のため結果として仮想的になったと考えると、概念にとって仮想的であることが本質ではないと言えそう。少くとも見方によっては仮想的なので書いたほうがよいかと思ってますが。それとも、仮想的に思えるのは、本来集合に対して考えるべき概念を、個々に事物と比較したために起こる混乱なのでしょうか。--HarpyHumming 13:29 2004年3月30日 (UTC)

コンセプトについて

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最初のところのコンセプトについて読みにくい部分や同じものの繰り返しなどがあったので 読みやすいよう編集しました。必要があれば修正してください --Amontrue 2006年4月25日 (火) 20:46 (UTC)[返信]