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ノート:植民地/過去ログ1

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条約名の間違いについて

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とてもわかりやすい文章で、忘れていた知識を呼び戻してくれました。ひとつ疑問に感じた点があるのですが、下記のロシア史に出てくるルネチンスク条約は”ネルチンスク条約”ではないでしょうか? 202.33.195.109

本文から移動しました。Izayohi 2004年12月9日 (木) 05:49 (UTC)

>本国と同等な政治権利を享有する「海外領土」と区別される。 とありますが現代において海外領土と称される地域が本国と同等な政治権利を享有しているとは思えないのですが。 大抵の場合本国の議会や政府に対する参政権を住民が持っていないのではないでしょうか。 植民地のソフトな言い換え、ないし一定の自治を享有する植民地として使われてるような気がします。 220.105.159.145 2005年4月2日 (土) 04:46 (UTC)


内地と外地の法律、制度の違いについて

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以下の部分がNPOV(中立的な観点)として2005年7月29日 (金) 15:13の版で削除されています。どの部分が誤っているのでしょうか。61.115.201.81 2005年7月29日 (金) 11:52 (UTC)

しかし大日本帝国においては、(1)内地(日本本国)と外地とでは法域が異なり別々の法律が施行されていたこと、(2)内地では帝国議会が法律を制定したのに対し、外地ではそのような議会は存在せず、総督や長官が政令や律令を制定していたこと、(3)関東州や南洋諸島の外地人には日本国籍が与えられずに帝国臣民としての権利も認められず、台湾人や朝鮮人には日本国籍は与えられたが、参政権や公務就任権、居住・移転の自由、戸籍移動の自由などの権利が制限され(ただし徴兵の義務などもなかった)、内地人と外地人との間に国籍付与の有無や国民の権利・義務について明確な差別が存在したことなどから、大日本帝国の海外領土は典型的な植民地であったと言える。

「台湾人や朝鮮人には日本国籍は与えられたが、参政権や公務就任権、居住・移転の自由、戸籍移動の自由などの権利が制限され、… 内地人と外地人との間に… 国民の権利・義務について明確な区別が存在した」というのは事実誤認(または誤解を招く表現)と思い、修正させてもらいました。内外地の差別は基本的に属地主義であり、属人主義はあまりないと思われます。属人主義による差別は、兵役の義務と義務教育など義務関係にみられますが、「参政権」や「公務就任権」「居住・移転の自由」「戸籍移動の自由」などの権利が属人主義により外地人だけ特に制限されたという事実はないと思います。もし私のほうに事実誤認がありましたらご教示くださいますようお願いします。俊平太郎 2006年3月7日 (火) 10:42 (UTC)
「植民地という表現を肯定するのは日本国内での一般論」「植民地を否定する勢力は、日本の極右勢力」という書き方はあからさまに中立性に問題があり、ウィキペディアに相応しくないと思われますので、削除しました。この手の色分けは別の場所でなさるのがよいかと思われます。俊平太郎 2006年3月7日 (火) 10:45 (UTC)
極右であるとか、ラオスやカンボジアなど国名を挙げて二つの議論があると加筆されたのは、利用者:210.251.7.29さんの2006-03-07 01:12:16の編集です。それまでは誰がこのような主張をしていたかは記されていませんでした。このとき「ノートに一言ぐらい書け。」と要約欄にありますが、 利用者:210.251.7.29さんの意見はノートに記されておりません。俊平太郎さんが極右などの文言を削除して国別の意見を残したということは、国別の意見には根拠があり、なおかつ日本国内での意見ははっきりしないという意味なのでしょうか。私としては俊平太郎さんご自身が編集された3月5日か3月6日の版に戻したいと考えております。----Redattore 2006年3月7日 (火) 13:51 (UTC)
極右云々のみを削除したのはこれが特に中立性の観点から問題だと思ったからであり、国別意見に根拠を認めているという意味ではありませんでした。俊平太郎 2006年3月8日 (水) 10:42 (UTC)

戸籍の移動については内外地間の転籍は双方とも原則不可能(養子縁組等の身分変動に伴う場合を除く)だったような気がします。外地人の公務就任権については陸軍士官学校から台湾人が排除されたり、海軍から外地人が原則排除されたりということはあったようです。また、文官の採用や大学入学についても台湾人に対してはかなり差別があったようですが。あと、朝鮮人が内地へ渡航することは制限されていたようです。--220.105.155.28 2006年3月7日 (火) 15:04 (UTC)

  • 転籍は内外人ともに制限されており、外地人だけ差別されていたものではありません。むしろ、兵籍の兵役の義務を終えてない内地人男子は養子縁組等民法上の理由であっても外地人の民籍に入ることができず、いわば内地人が差別されていた事例です。文武官への公務就任権については、事実上の差別はあったと思いますが、法的な差別ではないと思います。公務就任権は法的権利を指す言葉ですので、これを公務就任権の制限されていたという言い方は誤解を招くと思います。渡航制限についてはどのような法律(または制令)によるものでしょうか、お教えください。以上、実態として外地人差別が存在していたことは周知の事実ですが、私が問題としておりますのは法的な権利に関する差別ですので、この点ご承知ください。俊平太郎 2006年3月8日 (水) 10:42 (UTC)

専門的(法学の範疇か)なことはわかりませんが、法令に明文の根拠がなくとも制度的に不利益処分が行われていれば権利の制限と言えるのではないですか。渡航制限の根拠法令について調べましたが見つかりませんでした、そちらのほうがお詳しそうですが。--220.105.155.28 2006年3月8日 (水) 14:08 (UTC)

そもそも、内地の人間すら満足な権利を与えられていない場合、武力併合した地域の住民に内地と同等の権利を与えたところで、下手な植民地の住民より酷い状態になると思うのだが。こういうのは「植民地化」よりも悪質であり、脱植民地の世界の趨勢にも逆行している言えるんでないかい?具体的にどこの国がとは言わんが。--121.3.185.4 2009年5月30日 (土) 11:45 (UTC)

「植民地支配に対する評価」について

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18世紀以降に植民地化された地域では、現地人の人口が急激に増加する傾向にある。これは、植民地統治が左派勢力が言うほど悪くなかった証拠である。

この記述に関して、記述者あるいは資料をお持ちの方へ質問です。

  1. 「現地人の人口が急激に増加する傾向」とありますが、植民地化に伴い、人口のより正確な調査が行われた結果、人口が増加したように見えた、あるいは(英領アフリカ東岸諸国のインド系のように)、他の植民地からの単純労働者の流入をカウントしている、という可能性はありませんか?
  2. そうでなくて実際に人口増があったとしてもこれを科学的に意味のある記述とするには「その地域の人口が、類似する他地域に対して有意に増加率が高い」ことを示さなければなりません。基本的には世界のどの地域も、19世紀には人口微増なのですから。
  3. 更に「植民地統治が左派勢力が言うほど悪くなかった」と結論付けるためには、人口増は絶対的に善である、との前提か、あるいは、「搾取が存在しなかったので原住民が喜んで家族増加に励んだ」とする論証のどちらかが必要です。搾取への対抗として頭数(アタマカズ)としての大家族を欲した可能性も否定できないと考えますが。

--にごう 2005年9月15日 (木) 01:52 (UTC)

「植民地」とは呼ぶな!論について

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日本の植民地の節を改変しました→差分。すべて戻したわけではありませんが、戻した部分が大きいです。▼というのも、ノート:韓国併合でも尋ねてから長いのですが、「日本の場合は植民地と呼ぶのは不適切だ」という議論を提出している比較植民地史研究者や各植民地地域の近代史研究者(朝鮮史研究者や台湾史研究者)がいるのでしょうか? いるとしたら、それは批判されていないのでしょうか? 「植民地と呼ぶな」というような議論を見たのはWikipediaで初めてで、Wikipediaで「一体誰が言っているの?と尋ねてココで紹介されてネット上で少々見たくらいです。さらに1件紹介されて、専門外の時事評論家が述べていたというケースを少々見ただけでしょうか(あと、専門外の大学教員が述べる「オピニオン」という微妙なものもあり紹介いただきましたが、やはり自分の仕事として発表しようとしているふしはない)。「日本の植民地支配はどのような特徴を持っていたか。ある国(例えばイギリスとか)と比較するとどうだったか」というような研究は無数にありますが、あくまで「どのような植民地だったか」「他の植民地とどう違ったか」という内容です。少なくとも朝鮮に関するかぎり「植民地」という名称がもはや説明や把握や分析には概念として使い物にならないとする議論は見かけません(さすがに興味をもって自分でも調べはじめていますが、見かけない)。▼なお、参考文献・脚注等のレファレンスが精密につけてあって、それが複数研究者にチェックされている仕事を軸にしないと我々には議論しょうがありません。すでに在る解釈に、単なるオピニオンをぶつけても、我々にはどちらも検証する能力がない(というタテマエになっている)からです。また、すでに在る解釈に、対立するオピニオンをぶつけて足して二で割るような類のことで済まされる事柄ではありません。▼けっきょく、59.139.125.77 さんの編集は名称をめぐっての政治的主張ではないでしょうか? 政治的主張を紹介するべきでないとは思いませんが、政治的主張は政治的主張だとわかる形で、かつどこの誰が言っているのかわかるように書くべきだと思います。▼現に59.139.125.77 さんは「下記の地域を「植民地」と考える勢力は、先の戦争における動員(戦時動員)を「強制連行」と呼び、植民地ではないとした場合には、「内地」の日本人に対する赤紙召集と同様に徴用となる。」と書いていらっしゃいますが、そこまでわかりやすい二項対立など存在しませんし、「強制連行」という概念に異論を唱える人も多く「植民地」という語を使っています。「植民地」概念はこのような政治党派対立だけで使われたり使われなかったりするものではありません。これは、呼称としての「植民地」に異論を唱えること自体が政治的主張であることを、はからずも吐露しているのではないでしょうか。▼ただし、沖縄や北海道を「植民地」の語で把握することが説明のために有効かどうかという議論は確認しています。しかし、「沖縄を植民地と呼ばないように」という言葉だけで朝鮮と台湾も混ぜ込むのは論点が混在しているだけだと思います。文意がとりにくくなっただけだとさえ思うのですが。▼中華人民共和国の版図についてはこの項目の役割ではないと思います。▼最近の動きだけで言うと、このセクションは、一文一文(ときには要約欄も使い)、かなり対立的に議論を重ねながら(または単なる対立を経ながら)文章を探ってきたものです。説明なくすべてを書き換えるようなことはご遠慮ください。--Iosif 2006年4月21日 (金) 20:48 (UTC)--修正加える。--Iosif 2006年4月21日 (金) 21:00 (UTC)--修正加える。--Iosif 2006年4月22日 (土) 02:09 (UTC)

2006年9月21日 (木) 13:33の修正について 

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・何故歴史認識ではなく思想なのかといえば、たとえばある人の歴史認識が、その人が北海道を日本の領土だと思うか、それとも植民地だと思うかを決定するとは思えないからです。 それとも、ある「歴史認識」を持つ人が、必ず沖縄を植民地だと主張すると仰りたいのでしょうか? また、北海道を植民地と呼ぶ人は、ご存知の通り日本においてはごく少数ですので、少数という表現を外すべきだと主張されるのであれば、一般的に日本人が北海道を植民地だと思っているという根拠を示してください。少数という表現を外すと、「日本の最初の植民地は、日清戦争の結果、清より得た台湾である。」という前項とも矛盾します。

・また、日本では、戦前においても一般的に内地と外地で区分され、植民地と言う呼称は一般的ではありません。一部の公文書では植民地(殖民地)の語を併せて使用している。のは事実かもしれませんが、「公文書では植民地(殖民地)の語を併せて使用している」というのは一部の文献を持ち出して一般的に植民地と言う用語が使われているように読者を誤らせる書き方であり、事実に即していません。公文書では植民地(殖民地)の語を併せて使用しているものが存在する。という表現が適切でしょう。 なお、現在においても使用されていないので、使用されなかったではなく使用されていないが正しいと思います。

・(1)内地(日本本国)と外地とでは法域が異なり別々の法令が施行されていたこと、を削除することについては、前項「第二次世界大戦以前の日本の植民地とされていた地域については、いわゆる内地とは異なる内容・形式の法令が施行されていた点を重視し、一般的には、以下の5つの地域が日本の植民地として理解されている。」と、次項、「内地では帝国議会が法律を制定したのに対し、外地では行政庁である総督が制令(朝鮮)や律令(台湾)などを制定していたこと」と3回も同じ記述が重複しており、何度も同じ事を書くべきではありません。ちとせ 2006年9月21日 (木) 14:01 (UTC)

▼「何を植民地と呼ぶか」は事実認定の争いよりも認識枠組みの問題だというのは同意いただけると思います。で、「ある『歴史認識』を持つ人が、必ず沖縄を植民地だと主張すると仰りたいのでしょうか?」という点について。ちょっと極端ですが、私=Iosifは事実認定と認識枠組みの両方を包括する語として用いていたので、沖縄を植民地と呼ぶか否かは歴史認識と密接にかかわるだろうと思っています。
▼しかし、これは私の勝手な用法かもしれません。ですから何かに差し替えることに反対しません。
▼では、私は「ただし、どの地域を植民地として捉えるべきか見解が分かれており」として「思想の違いにより」という語も「歴史認識の違いにより」という語も削除してはどうかと提案します。
▼「歴史認識」では違和感があるというのはいったん理解するとしても、しかし「思想」では今度は限定しなさすぎ、指しているものが広すぎだと思います。まして、「思想の違いにより(略)見解が分かれる」という記述の場合、「思想の違い」は単に党派的な立場・政治的な立場の対立を指してしまっていないでしょうか。そのような違いによって決められることでもないはずです。沖縄や北海道をより適切に説明できるか否かで適用概念が採用されたり放棄されたりするわけですから、こういった説明では細密な議論を無視して大雑把に分類してしまったという結果になると思います。
▼削除箇所のうち特に理由を述べられていない箇所だけ、復元します。議論の推移がわかりやすいようにコメントアウト内も同じく復元します。しかし、「思想の違いによって」というくだりは、いったん触らないでいます。当該部分の削除提案をご検討ください。--Iosif 2006年9月21日 (木) 19:07 (UTC)--追記。--Iosif 2006年9月21日 (木) 19:09 (UTC)
・"「何を植民地と呼ぶか」は事実認定の争いよりも認識枠組みの問題"というご質問に対しては、私は事実認定の問題だと思っています。もし認識枠組みの問題と主張されるのであれば”ただ事実のみを書く”というwikipediaのルールによって、「誰々は北海道を植民地だと主張している」という「意見を誰かが主張している」事実に変えた書き方にしなければなりません。Wikipedia:中立的な観点
・歴史認識と思想、どちらもあたらないので削除しようという提案には異議ありません。ご提案に感謝し賛同します。
・「世界的に植民地経営が商品の輸出よりも資本の輸出に転換されたという時代背景」は、購買能力すらない植民地を得た日本が、世界で最初に始めた苦肉の策だと個人的には思いますが。日本より先に植民地に資本の輸出を始めた帝国主義国家がありましたでしょうか?(個人的な考えなので適した主張が見つかるまで編集はしませんが)
なお、削除箇所のうち特に理由を述べられていないコメントアウト部等は、岸和田愚連隊様が削除した場所であって、私の行った削除ではありません。ちとせ 2006年9月22日 (金) 16:51 (UTC)
▼以下Iosif記:
>どちらもあたらないので削除しようという提案には異議ありません。(ちとせさん)
賛同いただきありがとうございます。そのように編集いたします。
>"「何を植民地と呼ぶか」は事実認定の争いよりも認識枠組みの問題"というご質問に対しては、私は事実認定の問題だと思っています。(ちとせさん)
記事本文の編集とはすぐに関係しないでしょうけれども、後学のためにはお考えを詳しくうかがえれば幸いです。「質問」と言われるとどの部分を質問と受け取られたのかが思い当たらないのですが、事実認定の問題であると断じていらっしゃる点を大変興味深く思っています。と申しますのも、事実認定の問題であると言うためには、「植民地」という語の定義が確定している必要があります。私は「植民地」史の比較論に詳しくありませんが、Wikipediaで「朝鮮は日本の植民地ではなかった」論を聞いてから探したかぎりでも朝鮮に適用するにあたって「植民地」の語について確定した定義に出会わないので、事実認定の問題に限定できないと理解していました。取り急ぎ。--Iosif 2006年10月1日 (日) 02:34 (UTC)

近世以降について?

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すばらしい記事拝見しました。複数の編集者が協力して記事を書ける Wikipedia のよさを実感しています。ところで現在の版の冒頭文にある「以下では近世以降について扱う。」の文面は、現時点では近世以外について記事中で触れられていないために記入されているものと思いますが、これは新しい編集者がこの記事について近世以前のことを執筆しようとした場合に障害になるかもしれません。本来この記事で時代を近世以降に限る理由はないと思いますので、この文を外したほうが冒頭文もすっきりし、「書きかけであることを隠す」(言葉が悪いですがご容赦を)にならず、記事がより加筆に対してオープンになると思います。(さらに大胆になるなら、あらかじめ == 近世以前 == の節を作っておいて、はじめから {{節stub}} を記入しておけば加筆が進むかもしれません。参考『Wikipedia:省略部分を明らかにせよ#常に未完成な部分を残すこと』 :過去のガイドラインですが精神は参考になりますす)

この記事『植民地』が近世以降についてはかなりの完成度になっており、逆に冒頭文で『近世以降について』と限定されてしまうのが残念な気がしたので、部外者ですがこうしてノートに書かせていだたきます。 ― TETRA 2006年9月22日 (金) 15:32 (UTC)

オランダの植民地に関して

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現在貼り付けてあるものとは別の世界地図があります(en:Dutch Empire)。四国ではなく長崎に緑色の点が移っている点でより正しいように思われますが(そもそも出島が果たして植民地と言えるのかという疑問はありますが)こちらに差し替えてよいものでしょうか?--Tuny 2006年12月2日 (土) 05:59 (UTC)

現在の画像と、新しい画像を比較しました。新しい画像では、四国が九州に変化している以外に、いくつか違いがあります。まず、マカオが外れていること、台湾とマレー半島の植民地の面積が小さくなっていること、ホルムズ海峡のイラン側とドイツ北西部の領域がなくなっていることです。マカオはオランダの攻撃を受けていますが、ポルトガル以外の植民地になったことはないはずです。したがって、台湾、マレー半島、ホルムズ海峡、ドイツの変更が正しければ、新しい地図の方が正確だと言えます。後ほどさらに調べてみます。---Redattore 2006年12月2日 (土) 12:07 (UTC)


ソ連の衛星国と日本の傀儡国家

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前者は植民地同然と断言されているのに後者は意見もある、なのは平衡を欠くのでは?--122.22.17.134 2007年3月31日 (土) 23:26 (UTC)

中国を非難する記述

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この編集で中国を非難するような記述が追加されましたが、主観的すぎるのでWikipediaにはふさわしくないと思います。--Punu 2009年6月2日 (火) 16:40 (UTC)

植民地化の要因

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植民地化の要因(植民地化の動機・要因)項目はいくらなんでも大胆な独自研究すぎると考えましたので一旦コメントアウトしておきました。常識的に考えてなぜ植民地化をする動機が生じたのかは消極的に考えても「わからない」とする以外に叙述のしようがないと考えます。もっとも他の著名なエッセイストや哲学者による叙述が発見できる場合は引用元を明示のうえ適切に引用してください(マルクス系の帝国主義論とかにありそうな予感はします)。--大和屋敷 2009年10月19日 (月) 09:14 (UTC)

日本の植民地と新植民地主義

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私の会話頁にあべこべな書込みを頂いておりますが、上でも議論されている通り日本の植民地支配に関する異論は信頼できる情報源による出典付きでやって頂きたいのと、新植民地主義については英語版でも別記事ですし、外部にも文献が無数にあるようなので別記事にした方がよいと思います。johncapistrano 2009年11月9日 (月) 16:17 (UTC)

johncapistranoさん。あなたはまず言葉遣いと姿勢を正してからお願い致します。「誰かさんの主張を冒頭に持ってくるなって」「あべこべな」など、とても綺麗な言葉遣いでは有りません。johncapistranoさんのノートの過去書き込みを見ても数多くの方々からかなり抗議を受けていらっしゃるようで、johncapistranoさんと意見の妥協が成立するのか判りませんが一応記述致します。
>信頼できる情報源による出典付きでやって頂きたい
これは最初に書き込んだ人に言われて訂正を求めてください。
>信頼できる情報源による出典付きでやって頂きたい
“日本の保守系の論壇誌やウェブサイト等における主張など、同年代に植民地と呼ばれた地域とはその当地の内実(欧米のそれが非人道的、非合法、収奪 的であるのに対し日本のそれは人道的、合法、恩恵的である、など)が異なる、あるいは領有に至る経緯(一般に植民地化は無主地先占の法理によって行われる ことが多かったが、日本の朝鮮や台湾は文明国間の条約による併合や割譲という法形式によって獲得された)が異なるという認識から日本の海外支配地域を植民地と呼ぶのは妥当ではないという意見もある。例えば多数の朝鮮人が日本の地方自治体や国会で議員として選挙で選ばれている点であり、世界の植民地の概念では植民地とされた出身者が宗主国で国政・地方ともに参政権を持っていたという例はなく、実際に朝鮮人立候補者が民族名のままで多数立候補し当選した者もいた。また1930年1月31日に内務省法令審議会は諺文字(ハングル)での投票用紙記述を有効とした。(舛添要一議員の父、舛添弥次郎は若松市議会に立候補した際、選挙ビラにカタカナおよびハングルで「マスソエヤジロウ」とルビを振っている。『現代』講談社2001年1月号所収)221〜223頁には、その時の内務省省議および新聞の報道が詳しく書かれている。)”
信頼出来る部分を書き足しました。『現代』云々のところは</ref>予定です。
大韓民国ですが「耕作可能面積250万ヘクタールの約半分に相当する130万ヘクタールもの広大な土地を99年間無料貸与」など世界のどこにも例がない事例です。英語版Neocolonialismにも韓国の例が詳しく書いてありますね(ちなみにcolonialismにもNeocolonialismの事が書いてあります)。現状、日本版では戦前戦後を併せた「植民地」という一つのカテゴリーしかないですから、そちらに書いたまでです。KoreanIsGesseki 2009年11月9日 (月) 19:29 (UTC)
朝鮮系日本人にも本土では選挙権があったという話で、朝鮮で選挙が行われたという話ではありませんね。この記事と直接関係はなさそうです。
後者については大宇が目立っているだけで日本の商社も似たようなことはしています。http://tsurumitext.seesaa.net/article/123647713.html http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091022-00000586-san-bus_all 何れにせよ新記事に移動させた方がいいでしょう。johncapistrano 2009年11月10日 (火) 01:15 (UTC)
植民地主義という記事はあるようですが、新植民地主義はまだないようです。--大和屋敷 2009年11月10日 (火) 02:25 (UTC)
johncapistranoさん。「誰かさんの主張を冒頭に持ってくるなって」「あべこべな」など、とても綺麗な言葉遣いでは無いことに対するお返事がございませんね。さて、日本の商社はきちんとお金を払っております。タダでその国の約半分を99年間借り受ける契約、挙げ句にクーデターで政権崩壊など21世紀になってから韓国以外の国が植民地に対しそのような事を行った事例はございません。「似たようなこと」と混同させるのは不適切です。ですので英語版でも韓国の事例が特記されているわけです。また、世界の列強、宗主国といわれた国の議会に、植民地の側の人間が立候補し、選挙権を持っていた事例などございません。ですので植民地ではなく併合です。大和屋敷さんもノートの方に、かなり辛辣な意見が書き込まれているようですね。KoreanIsGesseki 2009年11月10日 (火) 04:18 (UTC)
信頼できる情報源をご覧下さい。ソースがないとしながら私の会話頁に私の側に問題があるような書込みをするのは当然にあべこべでしょう。あなたの主張でなくてそう書かれている出典をお願いします。johncapistrano 2009年11月10日 (火) 05:09 (UTC)
KoreanIsGessekiさん。わたしが巻き込まれているトラブルとこのページの編集方針は関係ないと思いますが。気分がわるいので対人論証は止めませんか?--大和屋敷 2009年11月10日 (火) 08:48 (UTC)johncapistranoさんも私もKoreanIsGessekiさんに対して人格上の説明や釈明を強要されるWikipedia上の必然性がありません。Wikipedia編集上の調整や整理、編集方針上の合意が適切に得られることだけが重要です。意図的かどうか理解できかねますが詭弁じみた論点のすり替えはお控えいただきたいところです。さて「現代の韓国における新植民主義」についてですが、新植民地主義という記事がまだ立項されておりませんので、現状では当記事(植民地)に採録しておくことを拒否する必要はないと思います。--大和屋敷 2009年11月10日 (火) 08:56 (UTC)
johncapistranoさん。相変わらず「誰かさんの主張を冒頭に持ってくるなって」「あべこべな」など、とても綺麗な言葉遣いでは無いことに対するお返事がございませんね。そもそも日本に対しては植民地と呼ぶには世界史的に見て特異な状況であることをきちんと説明した文章を最初に持ってくるべきです。植民地である場所も有るし、植民地ではなく併合である場所もある。信頼できる情報源と言われるなら、私が加筆する前の段階で『日本の海外支配地域を植民地とすることへの異論』の部分は情報源無しの、書き込んだ個人の思いの羅列でしか無かったわけですが、それについては批評無しなのでしょうか? 「信頼できる情報源」と言われるのなら私が加筆する前段階で消せば宜しかったのではないですか。ですのでノートに最初から「>信頼できる情報源による出典付きでやって頂きたい←これは最初に書き込んだ人に言われて訂正を求めてください。」と言っておりますが、どうにもその辺りはjohncapistranoさんは「誰かさんの主張を冒頭に持ってくるなって」発言同様、スルーされるようです。植民地とは言えない事実を幾ら挙げても、johncapistranoさんは、朝鮮半島や台湾は植民地である、という持論は変えないようです。また、FAOがネオ・コロニアルと言ったからと言って韓国の例を「新植民地主義」と、大企業による農地買収という一例に収めてしまう婉曲な表現のカテゴリーに入れてしまうのも不適切です。99年間、タダで使わせる、などと言う例は世界のどこにもありません。ニュースを元にしたブログをソースとして提示されるなら、マダガスカルの人々の声も提示しましょう。マダガスカル: 韓国企業による土地契約、議論呼ぶ このようなものもあります。ネオ・コロニアルと言ったのはFAOであって、他のマスコミにしても現地の人々にしても、これは植民地政策を施行しようとした何ものでもないという見方です。何々と言う例は世界の他に見当たらない、と事実を書いているのですが、信頼できる情報源と言われるのなら、世界の他でもあったと言う例を出してください。「新植民地主義」は、多くの場合、大企業による農地買収という例にあてられるものですが、99年間、タダで使わせろというのは私企業を隠れ蓑とした国策であり、東インド会社による支配のような植民地政策です。KoreanIsGesseki 2009年11月10日 (火) 18:31 (UTC)
大和屋敷さんはこのような対応を自身のノートでされていますね。
>「フタリメキタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!! --大和屋敷 2009年11月10日 (火) 19:58 (UTC)[1]
>「おはようございま-すι(^o^υ)--大和屋敷 2009年11月10日 (火) 20:35 (UTC)」
大和屋敷さんの姿勢と発言は極めて真摯さに欠けると言わざるをえません。KoreanIsGesseki 2009年11月10日 (火) 21:33 (UTC)
上の節で既に議論済みなんで加えることはないんですが、例えば(ウィキペディアではおかしな文章に書換えられていますが、)東洋拓殖でも字引ですら植民地経営の国策会社と書かれていますし[2]マイペディア、資料もあり[3]、黒瀬郁二『東洋拓殖会社 日本帝国主義とアジア・太平洋戦争』、その論文審査、書評その文献でも朝鮮の植民地経営の実態はどうであったかと論じられている訳です。翻って大宇は新植民地主義である(と言われている)ことには違いないですが、マダガスカルが韓国の植民地ですか? 研究者で誰かそんなこと言ってる奴がおるんですかね?
慇懃無礼って分かりますよね。表面的に丁寧でも百科事典的な信頼できる記述を目指さない方は参加を控えて頂くよりないんですよ。会話頁のコピペや他の編集者への罵倒は要らんので出典お願いします。johncapistrano 2009年11月11日 (水) 03:02 (UTC)
えーっと。結局あなたはコノ記事(植民地)のどの部分をどうしたいんだったっけ?整理してくれないか?いつも長文すぎるんで理解できないよ。--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 04:03 (UTC)
同じことしか書いてないんですけど^^;、新植民地主義(批判)はクワメ・ンクルマがアフリカの脱植民地化の実態を批判したものに始まるのだから、それ以降の新植民地主義批判に値する出来事は新植民地主義の方で記述すべきでしょう。大宇とかが新植民地主義だという批判も概ねこの流れに沿ったものです。
朝鮮は植民地でなかっただとかいう主張は確かに少数派としては存在するようですが、編集者の主張ではなく、信頼できる情報源によるべきです。johncapistrano 2009年11月11日 (水) 05:47 (UTC)
「新植民地主義」でciniiった結果[4]、結構文献情報的にはありそうでした。しかし無料でWeb閲覧できるPDFは古いもの(1960年代、1970年代)の「ポストコロニアル」に関するもので「ネオコロニアル」とは微妙に違いそうでした。ちなみに「ネオコロニアル」という用語は今ひとつ定着していない感じ[5]でした。いずれにせよ有料PDFしか無いんで、他のボランティアの方を待ちたい所であります^^^^;;;;--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 07:00 (UTC)

johncapistranoさん。「誰かさんの主張を冒頭に持ってくるなって」「あべこべな」など、とても綺麗な言葉遣いでは無いことに対するお返事が全然ございませんね。それとjohncapistranoさんと大和屋敷さんが似たような時間に書き込まれるのはなぜでしょうか?多重アカウントではないことを期待したいですが。持論をいろいろ書かれていますが、再度言いますが私が加筆する前の段階で『日本の海外支配地域を植民地とすることへの異論』の部分は情報源無しの、書き込んだ個人の思いの羅列でしか無かったわけですが、それについては批評無しなのでしょうか? 「信頼できる情報源」と言われるのなら私が加筆する前段階で消せば宜しかったのではないですか。ですのでノートに最初から「>信頼できる情報源による出典付きでやって頂きたい←これは最初に書き込んだ人に言われて訂正を求めてください。」と言っておりますが、どうにもその辺りはjohncapistranoさんは「誰かさんの主張を冒頭に持ってくるなって」発言同様、スルーされるようです。日本が朝鮮を植民地にしたと力説されているなら、なぜ、私が加筆する前に、この部分になにも手を加えてないのでしょうか?johncapistranoさんは随分前から、この項目に参加されているようですが何故でしょうか。また「世界の他でもあったと言う例」が一つも提示されませんね。なぜでしょうか。スルーせずに答えてください。私はその個人の思いの羅列でしかなかった部分を加筆修正したまでです。大和屋敷さんの姿勢と発言は話になりませんね。wikipediaから自主的に退去された方が宜しいです。KoreanIsGesseki 2009年11月11日 (水) 19:52 (UTC)

いつも長文お疲れ様です。申し訳ありませんが、貴殿はコノ記事のどの箇所をどのようにカイゼンすべきだとお考えなのか、そろそろご提示いただけませんでしょうか?もしすでにご提示いただいているとしましたら、長文すぎまして拙の理解が及ばない愚を恥じながら、なるべく簡潔に再提示いただきたいのですがw。wについてはwww参照--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 20:42 (UTC)
大和屋敷さんのノート大和屋敷さんが以降書き込まれた部分を掲載致します。
>「2ちゃんねる大量アクセス規制発動中なのでひまですわな。--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 12:30 (UTC)
>「いいかげん帰れよ。--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 17:54 (UTC)
>「おおおはよう。--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 20:04 (UTC)
大和屋敷さんの姿勢と発言は極めて真摯さに欠けます。wikipediaから自主的に退去された方が宜しいです。KoreanIsGesseki 2009年11月11日 (水) 20:49 (UTC)
いつも編集活動お疲れ様です。申し訳ありませんが、貴殿はコノ記事のどの箇所をどのようにカイゼンすべきだとお考えなのか、そろそろご提示いただけませんでしょうか?もしすでにご提示いただいているとしましたら、長文すぎまして拙の理解が及ばない愚を恥じながら、なるべく簡潔に再提示いただきたいのですがw。wについてはwww参照--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 20:42 (UTC)あーっとすみません。いつものように読み落としていましたが、【大和屋敷さんの姿勢と発言は話になりませんね。wikipediaから自主的に退去された方が宜しいです。】と頂きましたが、この発言はWikipediaのどのルールにもとづいて投稿いただいているのかご説明いただけますでしょうか?なお同様の内容について貴殿のページにも投稿いたしますが、回答はこのページノートにご回答頂ければ幸いです。またこれは提案ですが、当方のノートページにもしばしばご投稿頂いているようですが、できましたら議論の箇所を集約したいと考えております。当該記事植民地についての議論を貴殿もご希望だと考えますので当ノートに一本化したいのですがご納得頂けませんでしょうか(提案です)--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 20:51 (UTC)
文字列の記述方法について貴殿に十分に真意が伝わっていないと仮定すれば、それは当方の真意ではありません。当方の投稿している文字列により当方の真意の一端が貴殿に伝わることを仮定したうえで、記事植民地について貴殿がどのような編集をご希望なさっており、他の編集者を含めた投稿内容を問題と考えていらっしゃるかを表明いただければと考えます。なおそれでもなお当方が読解できない文字列により貴殿のご回答が繰り返されるようでしたら、残念ですが当記事(植民地)に関して当方、貴殿とも「検証可能な」「信頼できる引用元から」「中立的に」文字列が引用されているかどうか、というWikipedia編集の原則に戻り編集作業を行うことに嬰退するのが宜しいかと考えます。・・・この文字列で対話が成立しているのかな、不安ですが…--大和屋敷 2009年11月11日 (水) 20:59 (UTC)
別に全部消してもいいし、要出典などを付けてもいいんですが、ニューライト系の主張を詳しくは知らないので探せばそういうのもあるだろうというだけです。出典を付けるのは書いた者であるべきなんで、私が探す義理はありません。利用者間で出典のある事柄に関してどう纏めるかという議論はいいでしょうが、記事の内容そのものに結論を出すのは独自研究に当たります。それこそ誰かさんの「Blogではありません」から。コピペや同じ書込みを繰返すだけで自分の主張の出典を出さないのではいい加減無駄ですね。
多重垢の疑いについて、大和屋敷氏と私とでは主張内容が異なりますし(他所ではそういった偽装を平気でする方もいるようですが)、同じような時間にと書かれても知らないですね。議論撹乱しているとかいうのであれば根拠を示して下さい。johncapistrano 2009年11月12日 (木) 02:22 (UTC)
こんどは急に書き込み時間がずれましたね。ふしぎだ。johncapistranoさん。「誰かさんの主張を冒頭に持ってくるなって」「あべこべな」など、とても綺麗な言葉遣いでは無いことに対するお返事が全然ございませんね。過去ログ見ると、個人の思いの羅列でしかなかった部分は、あなた御本人が書かれたのでは?KoreanIsGesseki 2009年11月12日 (木) 16:04 (UTC)
ご自身のノートページになされた他の投稿者のコメントを勝手に削除なさるのはWikipediaの編集ルール違反ですよ?復帰いたしましたが、ルール違反を繰り返されるようでしたらWikipedia:投稿ブロックの方針2.2.5.8.2項により投稿ブロックの申請をすることになりますのでご注意ください。--大和屋敷 2009年11月12日 (木) 16:35 (UTC)
何か湧いてるんですか? 私はこの記事はスタイルぐらいしか弄ってませんが? johncapistrano 2009年11月12日 (木) 16:59 (UTC)
承拝。記事スタイルの編集だけでここまで人身攻撃をふっかけてこなきゃならんもんかね・・。--大和屋敷 2009年11月12日 (木) 17:21 (UTC)じょあん(ほあん?)さんの投稿履歴[6]と私の投稿履歴[7]みるだけでも全然別人だと推定できないんすかねえ。見方さえ知らなかったのかなもしかして。--大和屋敷 2009年11月12日 (木) 17:26 (UTC)