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ノート:桐生眞輔

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推薦文の掲載について

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記述追加と除去が繰り返されています。jawpは広告・宣伝用のサイトではないので、単に推薦文を載せるだけなのは不適切に思います。というか、一連の推薦文の掲載は著作権侵害のおそれがあるようにも思えるのですがどうなのでしょうか。--郊外生活会話2019年6月23日 (日) 18:08 (UTC)[返信]

著書の目次などの記載について

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IP利用者により加筆が繰り返されていますが、正直、目次の記載はWP:IINFOというか、目次を記載することがこの人物について理解するうえで有用なのかというと疑問があります。目次の分量が、目次を記載する前の分量とほぼ同じであり、現在の記事の半分が箇条書きで書かれた、著書の目次という状態です。ウィキペディアはデータベース一覧ではありませんし、それを載せるなら、同じ分野の専門家なり、実績のある評論家による、著書の書評などをもとに、どのような本なのかを説明していく方が、本について、ないしこの人物について理解するためには重要だと思ったりはしますが、どうなのでしょうか。--郊外生活会話2019年7月9日 (火) 06:44 (UTC)[返信]

目次は除去すべきと考えます。まず実際の本の目次は版元の公式ページで「目次」として掲載されている粒度のもので、小見出しの列挙は独自に抽出されたのではないかと思います。仮に本の記事であったとしてもこれだけの分量の記載を行うのは尋常なことではありませんし、まして本記事は人物の記事です。著書の詳細な目次を記載することが著者を理解することにつながっているとも思えません(私個人にとっては、つながってはいません)。郊外生活さんの言われるように本の内容であればまだしも、目次や紹介文を通して人物への理解を求めるというのは筋違いです。基本に立ち返って、百科事典なのですから人物について直接説明してはどうでしょうか。「作品・題字等」「掲載」などと箇条書きするのではなく、題字だというなら書家・書道家として解説した上で採用された作品を紹介するなり、本人ないしその活動について掲載されたというのであればその事実だけを挙げるのではなく、それを出典として文章として記述するなりといった改善を求めます。--Whatsfb会話2019年7月9日 (火) 10:28 (UTC)[返信]
  • 私も目次は除去すべきだと思います。著書『文身〜』の記事の中でならともかく、人物記事の著作節に目次を掲載するのはWP:IINFOに照らし合わせて必要以上に詳細な情報だと考えます。仮に著書の記事が立項されて記事中に目次のタイトルを記載するとしても、本文で本の内容に言及する際に関連する目次タイトルを書けば良いのであって、目次全体を一括で掲載する必要性は薄いでしょう。--Keruby会話2019年7月9日 (火) 18:55 (UTC)[返信]
    • 目次を記載し、また除去されるたびに差し戻していたのと同じIPアドレス180.145.192.31のユーザーにより2019年7月10日 (水) 08:18(UTC)の版で目次が除去されました。御本人が対話に臨まれないのが残念でありまた不安ですが、また記述されるようでなければ納得されたものとして本件はいったんクローズでよいと思います。--Whatsfb会話2019年7月10日 (水) 09:42 (UTC)[返信]
    • IPアドレス180.145.192.31のユーザーが「作品・題字・掲載の節を消滅し、著書の目次を再掲」と宣言し、くわえて冒頭部から独立して充実する過程にあった「人物」節もあわせて除去されました。これでは記事の破壊も同然であり、再び記事を保護したり、当該IPアドレスをブロックする必要もあるのではないかと考えます。また状況が一変したため前項を打ち消して撤回します。--Whatsfb会話2019年7月11日 (木) 05:46 (UTC)[返信]
  • 報告 IPアドレス180.145.192.31のユーザーを3RR違反で報告しました。--Whatsfb会話2019年7月12日 (金) 17:33 (UTC)[返信]
    • Whatsfbの記述。最新の編集履歴が10版程度削除されていて、本来あったその経緯が、当事者以外、他の利用者から分からなくなっています。
記載されていた小見出しとの関係から本文でのコメント記述されていたものですが、Whatsfbの問題記述個所をノート上にて記載しても表記されないように規制されています(公平な態度ではありませんし、検証もできません)。かつてあった、記載内容、本文と小見出しとの関係にあった記載では、コメントに
「考古学での記述は土偶しかない・・」などとも述べています。
その見識はいかがでしょうか?。個人攻撃ではありません、自分の能力の範囲で理解できていない内容に対して問題のある編集行為を繰り返しています。記載のあった小見出しを拝見するに、「直弧文」などの用語、そこでの記述内容も考古学です、「各遺跡」の内容も考古学の関連で、『魏志倭人伝』ほか歴史学の史料について豊富な記述も行われています。またWhatsfbは
「ミネルヴァ書房から出された書籍を独自研究の範囲だ・・」
などとして理解を示し、「本文での出典として不可とすべき・・」など述べており、その編集に対しての見識、問題点を指摘され、差し戻しを受けているのに訂正する態度もみられません。出版社の編集を経ている時点で独自研究ではありません。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 04:06 (UTC)[返信]
  • >「最新の編集履歴が10版程度削除されていて、本来あったその経緯が、当事者以外、他の利用者から分からなくなっています。」訂正いたします。閲覧上履歴より確認できました。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 04:29 (UTC)[返信]
    • 訂正されるなら該当部分に打消し線でもつけられたらどうですか。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 04:34 (UTC)[返信]
      • 打消し線付しました。ご指摘ありがとうございます。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 05:13 (UTC)[返信]
      • 現時点での人物節、出典無効としている箇所は、合意、同意できませんので訂正いただければと思います。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 05:21 (UTC)[返信]
        • 合意について取り違えをされています。合意ができないのでしたら出典無効が張り付けられたままで、出典無効として合意ができたら問題とされる記述ごと除去されます。出典無効だけが撤去されるのは出典として妥当だという合意が形成された場合です。なお本節は目次の記載について議論する場ですので、違う話題を延々と続けるのは荒らし行為とみなされるおそれもありますのでご注意ください。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 06:11 (UTC)[返信]
          • 注釈2を『文身 デザインされた聖のかたち:表象の身体と表現の歴史』目次Ⅱ-2~Ⅱ-14 と変更し、注釈3を、同上書 目次Ⅰ-5「美の表象」 と変更していただくのがいいでしょう。注釈3に関しては、事実の記載であり出典無効を外すのが良いでしょう。あとは、編集者(ウィキペディアン)の見識レベルに合わしておけばよいので、出典無効・要出典を付しておきたい部分は、付しておけばよいでしょう。人物節(目次等の関連)箇所に関しては、概ね、この状態で合意できるのではないですか。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 07:05 (UTC)[返信]

「作品・題字等」「掲載」の両節の改善について

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「掲載」節及び関連して「作品・題字等」節の記載の基準が分かりませんので「正確性」を貼りました。『こんな日もあるさ』が桐生氏のしていた「文身プロジェクト」について書いているのを確認した上で、次項の写真掲載と同じ「掲載」扱いでは到底理解できることではないと判断し、コメントアウトしてむしろ本文に文章で詳述することをコメントで求めました。しかしIPアドレス180.145.192.31 のユーザーは「掲載で理解される内容です。該当する本の目次を確認してください。」と称してコメントごと差し戻しました。これは本文への詳述を拒むという宣言なのでしょうか。コメントにも記しました通り、私は目次どころか「文身」の章に目を通して内容を確認した上で編集しています。そもそも目次を見ても「文身」としかないので、理解できるはずもありません。本記事の対象は「桐生眞輔」であって「文身」ではありません。IPユーザー氏が対象を問わず桐生氏に関連する何事かが掲載されているならそれは「掲載」であると考えているなら、「作品・題字等」の『幽談』の題字(ですよね?)もまた「掲載」なのではないでしょうか。さらには両節の先頭の項目は実際には同じことが書いてあるのではないでしょうか。また同IPユーザーは削除審議中の著書の紹介文を記し、また前節で話題になっている著書の小見出し一覧を記してどちらも編集合戦にしていますが、読者にとって理解不能の項目は記したくても本文で詳述することは拒むというのでは、宣伝目的で何らかの誤認を誘う目的があるのではないかと疑わざるをえないこともつけくわえなければなりません。以上、あらためてこのノートで「作品・題字等」及び「掲載」の両節について何がどうだと言っているのか読者に分かるように改善すること、そして項目として列挙するのではなくそれを出典として本文に文章で詳述する姿勢を求めたいと思います。--Whatsfb会話2019年7月9日 (火) 15:27 (UTC)[返信]

  • 目次からは、項数、範囲が理解されるものと理解しましたが。掲載は、他著作での掲載文を主とするものと理解しましたが。対し、作品等については、この人物が関わることで成された造形物・表現と理解しました。理解できるように思いますが。理解の範囲、解釈の力は、個人の能力にお任せしたいと思います。人物の説明、その内容は発展、変化するものですから、現時点は最小の範囲でよいのでは?と思います。Whatsfbの思う理想のかたちが正しい編集であるとするのが、どこから来る自負か分かりません。--180.145.192.31以上のコメントは、180.145.192.31(会話/履歴/Whois IPv4IPv6)さんが[2019年7月9日 (火) 16:15 (UTC)]に投稿したものです(Keruby会話)による付記)。[返信]
御説明では『バリアフリーのその先へ』における(著者が「写真は桐生眞輔さんの作品」とツイートしているところの)写真作品については「作品」として「作品・題字等」に記載されるべきとしか思えず、やはり理解できません。既に述べた通り『幽談』が「掲載」ではなく「作品・題字等」であることを説明もできていません。より良い編集についてはIPユーザー氏が決めつけたところの自負などではなく、箇条書きよりも文章による記述を良しとするとWikipediaのガイドラインで定められており、現状で発展、変化はしておりません(Wikipedia:箇条書きを参照)。当該箇所は箇条書きどころか項目の列挙でしかなく、読者に何が「掲載」されているのかの情報を一切与えていない点で「最小の範囲」を下回っていました。どうして失礼な物言いまでして項目の列挙に固執されるのか(すなわち読者に情報を与えようとしないのか)不思議でなりません(Wikipedia:ノートページのガイドラインを参照)。Wikipediaのルール・ガイドラインを挙げてご説明願います。--Whatsfb会話2019年7月9日 (火) 17:36 (UTC)[返信]
  • 「作品・題字等」および「掲載」の節では、それぞれの本に対して「何を」「どこに」提供したのか分かりづらい(必要な情報が足りない)状態のため改善すべきだと思います。そして「掲載」の節は本の中で桐生眞輔について言及されたことを「掲載」と表しているのか、それとも桐生眞輔が提供した作品・文章等が「掲載」されたことを意味しているのか(現在の情報量では)伝わってきません。もし前者の場合それは「掲載」とは呼べないので本文中に別の形で組み込み直す必要がありますし、前者と後者が入り混じっているなら読者が混同せずに済むよう分けて書くべきでしょう。--Keruby会話2019年7月9日 (火) 18:55 (UTC)[返信]
    • 彼のポートフォリオ(私家版?配布)にて確認できます。 箇条書きで、両者の情報の違いについては理解できます。--以上の署名のないコメントは、111.239.187.101会話/Whois)さんが 2019年7月10日 (水) 02:38 (UTC) に投稿したものです(Keruby会話)による付記)。[返信]
      • ノートでは署名をお願いします(Wikipedia:署名を参照)。さて「彼のポートフォリオ」なるものが「私家版?配布」なのでしたらそれはWikipedia:検証可能性を満たしませんのでWikipediaでは「確認できない」とするほかありません。そして本記事において両者の情報の違いは現に理解できません。当該箇所の初出は2019年5月14日 (火) 15:14(UTC)の版ですが当時は「題字」と「掲載」でした。「掲載」には当時から『バリアフリーのその先へ』がありましたが、「題字」かそれ以外、という理解ができなくもありません。しかしその次の版で「題字」を「作品等」と改められ、それからは理解不能となっています。「彼のポートフォリオ」では「題字」とあるのか、それとも「作品等」なのか、はたまた「作品・題字等」なのか、どのように見出しを打ってあるのでしょう。ちなみに竹内万里子氏の記事のタイトルに疑義があるのですが、それも「彼のポートフォリオ」からの転記そのままだとしますと「彼のポートフォリオ」の信憑性にも疑問が生じます。検証可能性を欠き、信憑性に疑問もあるとなりますと他に検証可能性を満たす出典のあるもの以外は除去する必要もありそうです。--Whatsfb会話2019年7月10日 (水) 04:37 (UTC)[返信]
        • けいさい
【掲載】《名・ス他》新聞・雑誌などに文章などをのせること。
と、定義される概念がありますから、わかるんじゃないですかね。わからないとしたら個人の能力の問題ではないかと。題字と作品に関しては、「作品」はメタ概念での表記、説明じゃないですか。--111.239.187.101 2019年7月10日 (水) 05:33 (UTC)[返信]
  • 提案 「作品・題字等」の項目に全て「題字」と記されましたが、それでしたら見出しは「題字」と改める(戻す)ことを提案します。さて、「掲載」についてそれぞれ何がのせてあるのでしょうか? 個人の能力の問題ではなく、書かれていないことを読者が分かるはずもありません。どういう読者を想定していらっしゃるのでしょうか。『こんな日もあるさ』に何が書かれているかについての記述が理由の説明もなく消されていましたので復帰させました。「作品」が「メタ概念での表記、説明」なのであれば『バリアフリーのその先へ』の「写真は桐生眞輔さんの作品」もまた「作品」であるはずとの疑問にお答えになっていません。そもそも全ての項目が「題字」だというのですから「メタ概念での表記、説明」は不要だと思いますので、冒頭の通り提案します。--Whatsfb会話2019年7月10日 (水) 05:56 (UTC)[返信]
  • たまたまそこに記載されているのが、文字・書道の作品であって、これから諸々提示される可能性もあるので、項目としては良いのでは? 次に、掲載ですが、それぞれの著者の掲載文の延長として氏の写真作品が引用されているので、項目の性質、情報性の違いとして理解できると。氏が作品としてそこに提示しているのではなく、主題の元に、各々の筆者が引用した情報です。あと、何がどのように書かれているのかは、興味を持った利用者たちが付け加えていけばいいのではないかと。--111.239.187.101 2019年7月10日 (水) 06:15 (UTC)[返信]
  • 「掲載」の節が桐生眞輔によって作品提供されたのではなく、作品を引用した書籍のリストだということは分かりました。「掲載」の節に箇条書きされている著者名、書名、発行年、ページ番号といった情報が「各々の筆者が引用した」ことを示す書誌情報であるなら、現状は「本文に桐生眞輔と各々の筆者の関わりが何も書かれていない状態で出典のみが提示されている(言い換えれば脚注なしで参考文献だけが列挙されている状態)」わけなので、記事に残しておく意味はないでしょう。今後、それぞれの筆者が桐生眞輔の作品を引用した事実について本文中で記載された際に改めて出典として脚注で参照すれば良いので、それまでは「掲載」の節ごと除去しても問題ないと考えます。--Keruby会話2019年7月10日 (水) 06:40 (UTC)[返信]
  • 返信 (Whatsfbさん宛) 概ね賛成ですが、今後題字以外の作品が追加される可能性を考慮して
作品
題字
上記のようにサブセクションを作成しても良いかもしれません。--Keruby会話2019年7月10日 (水) 06:49 (UTC)[返信]
  • 題字以外の作品の掲載の可能性がどれほどあるのか疑問ですし、また実際にそうなってから対処すればよい話だと思うのですが、サブセクションであれば折衷案として許容できると思いますので異論がなければそうしましょう。次に「掲載」について、作品の掲載ではなく桐生氏に関わる何らかの記述があるのだということがようやく説明されましたが、総論はKerubyさんに同意です。既に定義部に「『文身』のシリーズ」なる追記が行われていますが、これが「文身プロジェクト」のことを言っているのでしたら『こんな日もあるさ』はその出典として、かつ『こんな日もあるさ』の記述を基により観念的ではない記述に改めるのがよいと思います。『バリアフリーのその先へ』は最悪でも国立国会図書館にありますからほとんどの人にとっては確認可能でしょうし、確認でき次第また考えましょう。残るは自費出版と洋書になりますが、確認に要する制約を考慮しますとあくまで内容を明かせないというのでしたら除去するほかないと思います。特筆性を確保しなければならない立場なのではという観点からは理解し難いのですが、しかたがないでしょう。--Whatsfb会話2019年7月10日 (水) 09:42 (UTC)[返信]
  • 結局、竹内万里子氏の記事も『バリアフリーのその先へ』も『こんな日もあるさ』と同じ「文身プロジェクト」なのでしょうか。「掲載」節から自費出版が除去されましたのでそうしますとこの節はもう「文身プロジェクト」の節になっていますし、冒頭にて無出典で書き記すのではなく、きちんと出典を添えて記述すればよいと思います。せっかく「掲載」節から自費出版を除去なさったのですから、いままた作品節で無駄な重複を新たに設けることもないでしょう。--Whatsfb会話2019年7月10日 (水) 12:54 (UTC)[返信]
    • 導入部で「掲載を参照」として参照されていた「掲載」節を脚注に置き換えました。ところで「作品・題字等」節ですが、こちらは「本や映画に対して桐生氏が新規に作品を提供したもの」と「第三者が執筆した本の中で桐生氏の作品が紹介されたもの」が一緒になったままだと思われます。導入部に書かれている内容から推測しておそらく『Infra-mince, N° 5』と『バリアフリーのその先へ』に関しては本の中で「文身」の作品が取り上げられたということなのでしょうが、この2冊は導入部で既に脚注として参照されているため重複しています。「作品・題字等」節に掲載するのは「桐生氏が新規に作品を提供したもの」だけに限定しておかないと、再び何が書かれている節なのか伝わらない状態になってしまうと思います。どの作品がどの本の何ページで取り上げられたかといった詳細まで、人物記事で漏れなく掲載する必要性は薄いのではないでしょうか。--Keruby会話2019年7月10日 (水) 18:16 (UTC)[返信]
  • >「再び何が書かれている節なのか伝わらない状態になってしまうと思います」そのようには思いませんが。この構成でわかりにくいようでしたら、再構成して、作品・題字・掲載の節を消滅し、著書の目次を再掲して説明としておくほうがよいのかと考え、そのように編集を進めていきます。--180.145.192.31 2019年7月11日 (木) 05:06 (UTC)[返信]
    • 180.145.192.31さん、何の合意も形成せずに「進めていきます」と一方的に宣言するのはおやめください。そもそも著書の目次を再掲したところで現在の「作品・題字等」「掲載」の両節のどの項目にも関係はありませんよね。目次の再掲は問題があるばかりで何ら改善にはなりません。「掲載」節の定義が「桐生氏について何か書かれている文献」だとしますとKerubyさんの書かれた通り、それを出典として本文を詳述するのがWikipediaとしての本来のあり方です。私としては「文身プロジェクト」について詳述する上での出典とするのがよいだろうと考えています。「掲載」節を残しておくのもKerubyさんの編集のように現時点でまとめて出典としてしまうのもどちらも暫定的な措置と考えていますが、目次の再掲は許容できません。目次は本節の議論には何の関わりもありませんので、再掲されたいのでしたら前節の議論に参加してください。--Whatsfb会話2019年7月11日 (木) 05:32 (UTC)[返信]
  • さて、両節にかんしては、暫定的として、これで合意の方向へと進めていきたいのですが、いかがでしょうか。今後の修正は必要だとしても当初より纏まった気がしますが。あと、桐生氏の著書内容を確認すれば、記事本文の内容は整合性があるように思いますが(歴史学・考古学の観点からの件です)、専門性の至らない部分で、間違うのは特に恥ずかしいことでもありませんし。記事で述べられていることを確認して編集者として関わっていくのがよろしいと提言しておきます。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 05:03 (UTC)[返信]
    • ろくに議論もなさらず、一方的に宣言までされた方に「これで合意の方向へ進めていきたい」と言われても困ります。Wikipediaにはルールやガイドラインがありますのでそれに従ってください。記事が半保護となったことについてよくお考えいただきたいと思います。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 05:26 (UTC)[返信]
      • 半保護の経緯は、門外漢である学問分野内容に際し、Whatsfb氏が編集を加えている過程にありましたが。その点に関していかがでしょうか?(事実を述べているのであって攻撃ではないのであしからず)--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 05:34 (UTC)[返信]
        • 私は自動承認された利用者に該当しますので、半保護下にあっても編集が可能であり、私の行為に対する措置ではないことは明白です。だからこそよくお考え下さいと申しておりますが、無駄なようですね。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 05:50 (UTC)[返信]
          • 半保護になっているのは、編集者にふさわしくない人間と思われる編集者に対し、ふさわしくないと示したことです(事由の説明にて、攻撃ではありませんのであしからず)。見る者が見れば、Whatsfb氏の編集行為がどのような段階にあるのかは明白です。残念に思いますが。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 06:08 (UTC)[返信]
            • 私が半保護の対象になっていないことを示してもなお一方的に私の責任を追及する態度は明白に攻撃と受け取りました。御自身の反省はないのですね。どうしようもないようですので、管理者の裁定を待ちます。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
              • 補足しておきますが、Whatsfb氏の人間性や物腰については、評価しております。良いものも持っています。ただ、客観性に問題を有しているところもあります。耳を傾けるべきところは傾けるのがよいのでは。それは恥ではありません。Whatsfb氏の「理解の段階」が引き起こした問題について、自身でお考えになった方が良いでしょう。専門性の無いところまでは関与しないことをご提言しておきますが。この件に関しては、これ以上の発展は無さそうなので、これにて。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 06:32 (UTC)[返信]
                • 本人に反省が一切無いということがよく分かりました。無反省のまま終わるようですので新たに節を設けるのではなくここに記しますが、Wikipediaの編集に専門性は求められておらず、むしろ誰にでも分かる(検証して確認できる)ことが求められています。「歴史学・考古学」が過剰であり、「文化史」で十二分に網羅されているという考えに変わりはありません。この過剰は大言壮語や宣伝目的も疑われます。専門性が求められるのは情報源に対してであって、例えば歴史学者、考古学者から認められたことを出典とするというのでしたら分かりますが、著書を根拠にWikipediaの編集者が自分で「歴史学・考古学だ」と判断するというのはWikipediaの編集者が専門家であるとないとに関わらず独自研究となります。なお話を切り替えていないのにインデントを毎回中途半端に戻すのもどうかと思いますので修正しておきました。また、終わるのかと思ったら場違いな場所で主張を繰り返していますが、ともかくも無断で過去の投稿を修正する行為は改ざんにあたるため差し戻した上で打消し線と挿入で補いました。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 07:28 (UTC)[返信]
                  • 問題点がずれているようでようです。「文化史的研究」の内容が、歴史学・考古学の観点から書かれているのは、著書の内容から自明で、また歴史学・考古学の専門書を出しているミネルヴァ書房の編集、編集者を経ているものを、独自研究と定義づけしているのも見識の不足でしょう。松本清張が考古学の視点から本を書いている。←これ清張が学会で論文出していないと説明できないことですか?。誇大でも広告でもなく実際の通りです。土偶云々の記述内容だけしか考古学として扱われていない、とする、その解釈の範囲では議論を進められそうにないですが(攻撃ではありませんあしからず)。--180.145.192.31 2019年7月13日 (土) 08:15 (UTC)[返信]
                    • ここは「作品・題字等」及び「掲載」の両節に関して議論する場所です。場違いな所でいつまでも同じことを書き続けてノートページを荒らすのはおやめください。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 11:41 (UTC)[返信]
  • 報告 IP:180.145.192.31会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisは、『暴言または嫌がらせ』を理由に一週間のブロックとなりました。これでこのIPの主張(相手に対して『浅学だ、編集者としてふさわしくない』などといった言葉を繰り返しぶつける)が間違っていることははっきりとしたでしょう。個人攻撃にかんしては過去にすでに会話ページでも同じことが指摘されていて、改善が見られないので妥当な処置といえます。なお私は記事の保護の依頼者でもありますが、記事が半保護された際の理由には『IP利用者による問題投稿の繰り返し: 保護依頼による。出典不備の指摘の無視』とあり、IPの主張する『半保護になっているのは、編集者にふさわしくない人間と思われる編集者に対し、ふさわしくないと示したことです』は完全な出鱈目であることもハッキリしています。そもそもWhatsfbさん側も間違っているのであれば、全保護になっていないとおかしい事くらいすぐにわかるでしょう。『耳を傾けるべきところは傾けるのがよいのでは』とのことですので、今回のブロックで現実に目を向けて会話されるようおねがいします。今後もくりかえされるようですと、いつまでも納得しない利用者として(すでにそうなっているようにもおもえますが)、再度ブロックが科される可能性があります。Wikipedia:説明責任にかんしてもお読みください。もしすでにアカウントをおもちであればそれを提示されることをおすすめいたします。ここまで込み入った議論をされるのであれば説明責任のためにアカウントを取得すべきですし、すでにお持ちであればそれは履歴の分断になります。--Aiwokusai会話2019年7月13日 (土) 12:10 (UTC)[返信]
    • 元大学教員経験者の立場からの意見です。拝見しましたところ当該著書の内容は、100人の学識経験者がみれば100人とも、歴史学・考古学の観点から記述された内容と認めるものになるでしょう。IPユーザーと合意が得られなくても当然です。その通りですから。内容を見れば歴然としてることで、度を過ぎた出典の要求は、むしろ記事の内容を損なうもので利用者を益するものになりません。潜在的な荒らし行為、嫌がらせ、になっています。IP編集者の編集行為からしても、また著書内容の立場からしても、独自研究の範囲と独断しているのは間違いです。なお、当方、考古学を専門性に持っています。編集過程を拝見すると、「浅学を自任するなら編集作業を離れた方がいいかもしれません。・・」とあり、これは判断を決める態度ではありませんね。そして浅学だと自認していたのはWhatsfb氏ですよ。氏のコメントを見ると当該著書を確認していないようですし、また確認してそのように反応しているならやはり問題を感じさせます。Aiwokusai氏の報告する『浅学だ、編集者としてふさわしくない』とする表現も印象操作を伴うもので、潜在性の個人攻撃に当たります。正しく伝えていません。--Coluneo-under28会話2019年7月15日 (月) 04:03 (UTC)[返信]
      • 前項のアカウントは既に多重アカウントの不適切な使用として無期限ブロックされたとのことですので問題のIPユーザー氏と同様に場違いな所へ記述を続ける荒らし行為や、私へのものを含む個人攻撃についてこれ以上言葉を重ねることはしませんが、Wikipediaの編集に必要なのは出典であって、経験者を自称する者による更なる独自研究に意味はありません。無出典なのですから「度を過ぎた」と形容される要素は皆無であって、最小限のことができていません。--Whatsfb会話2019年7月15日 (月) 10:24 (UTC)[返信]

「人物」節の抜本的改善について

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何度注意してもIPユーザーによる問題行動がやみませんので新たな節を起こします。現在の「人物」節は記述のつながりがおかしく、宣伝目的も疑われるため抜本的に改善すべきと考えます。まず時系列から言っても桐生氏は書道家として活動していますのでこれを先頭に記します。『こんな日もあるさ』ないしその初出である「正論」誌上の『くよくよするなよ』では書道家として紹介されていますのでそれを出典とし、現状通り京極夏彦氏の本の題字について触れるのもよいでしょう。その上でやはり『こんな日もあるさ』等を出典として「文身プロジェクト」について桐生氏が書いた字をイレズミにさせるものであることをきちんと記して書道家としての活動との関連を読者が分かるようにします。そうした活動からイレズミについて博士論文、そして著書を著したとつなげるのが適切と考えます。もちろん歴史学・考古学のような大言壮語や茂木健一郎氏に関する出典のない記述や宣伝行為は除きます。なお『バリアフリーのその先へ』について私は手配中でまだ確認できていませんので、それを待つつもりでいます。また他方で、問題行動を続けるIPユーザーやそれと同じ行動をすることがある2つのアカウントについてその姿勢に改善が見られない限り本記事の健全な発展は不可能であり、特筆性のないこと、宣伝目的を除去できないことを理由に削除されるべきとも思っています。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 11:41 (UTC)[返信]

  • さて、著書の内容からWikipediaの編集者が「歴史学だ、考古学だ」と書くのは独自研究にほかなりません。「文化史的研究」で十分です。歴史学・考古学の専門書を出している出版社から出た本だから歴史学・考古学なのだという主張に至ってはデタラメでしかありません。松本清張だろうが誰だろうがWikipedia:検証可能性を満たすWikipedia:信頼できる情報源で第三者が「考古学の視点から本を書いている」としているのを出典とするのでなければやはり独自研究です。--Whatsfb会話2019年7月13日 (土) 11:41 (UTC)[返信]
  • コメント 既にお気づきかもしれませんが、上の報告にあるようIPは1週間のブロックとなっています。この利用者が各種方針を理解していないことは明白であり、いつまでも納得しない、コミュニティを疲弊させるユーザーといえます(長期のブロックが難しい非ログイン利用者なので見逃されている部分がある)。上の節で頻繁にコメントをしだしたのも今日の13時前に半保護になったことで記事を物理的に弄ることが不可能になり単に編集強行ができなくなった故のものであり、その主張内容はこれまで要約欄に書かれていたこととほぼ同じでしょう。編集者としてふさわしくないと繰り返すなど会話ページで注意されたことが改善されておらず、対話は困難なものとおもわれます。ブロック解除後、方針をきちんと理解したコメントがなされないのであれば、残念ながら荒らしとして対処するしかなさそうです。IPだから長期ブロックにならないのを良いことにコミュニティを疲弊させるのは、ルールの悪用と同じでしょう。--Aiwokusai会話2019年7月13日 (土) 12:19 (UTC)[返信]
  • 『バリアフリーのその先へ』を確認できましたが、桐生氏や「文身プロジェクト」については十数行程度でさほど記述されているわけではありませんでした。『こんな日もあるさ』にはない点(桐生氏を芸術家としていること、ヌード写真もプロジェクトの作品であること)の出典とし、その他は前述の通り「人物」節を改稿しました。なお「(文化)人類学(者)」についてよい出典が見つからず、著書の版元でジャンルに「文化人類学」とあることを引こうかともしましたが、著書の分類でその分野の学者であるとするというのもおかしな話だと考え直しました。やはり著書の書評が待たれると思います。--Whatsfb会話2019年7月22日 (月) 15:17 (UTC)[返信]