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ノート:格闘技通信

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中立性・客観性に欠ける記述

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この編集から、客観的な事実というより執筆者個人の意見が書かれていますが、どうしましょうかねえ。

Wikipedia:ウィキペディアは何でないかには、「批評の場ではありません。あなたの個人的な感想を書く場ではありません。お気に入りの作品を宣伝したり気に入らない作品を非難したりしてはなりません」とあるのに触れます。「あなたの」意見でないというのであれば、信頼できる情報源に基づいてWikipedia:検証可能性を満たす、出典が必要です。でなければ、Wikipedia:独自の調査とみなされます。そうなると、消去するなり修正しないと。

ついでに言えば、Wikipediaのような百科事典と違って、格闘技雑誌に中立性や客観性がなければいけないと思い込んで批判するというのは、POVだと思いますけどね。例えば、紙プロなら「PRIDEの情報に強い」とか、かつてのゴングなら「長州力と密接な関係を築く」とか、淡々と事実だけ記して、それがいいとか悪いとか評価付けを入れなくていいでしょう。

--Wing09 2006年12月24日 (日) 10:42 (UTC)[返信]

まず格闘技通信の偏った編集の事実を記した上での客観的な評価なので、個人的な感想もクソもないです。

>格闘技雑誌に中立性や客観性がなければいけないと思い込んで

なんだ自分でわかってるじゃないですか。格闘技通信が中立でないから、「中立でない」という事実を、ウィキペディアで記してるだけです。批判というのは、あなたの価値観、個人的主観です。以上。Ryuji2006

「中立的でない」なら淡々と価値観を挿入せずに単に「中立的でない」と記せばいいと要ってるんですけど。あなた個人の読んだ感想や、百科事典とは異質の修辞的な表現を持ち込まないで下さいませんか? 一度本物の百科事典をお薦めします。
そして、問題とされた加筆部分が客観的な評価であって、あなた個人の評価ではないというなら、誰がどこで言っている評価なのか、信頼できる情報源を提示して下さい。出来なければ、除去の対象です。--Wing09 2006年12月24日 (日) 11:16 (UTC)[返信]

>価値観を挿入せずに(略)問題とされた加筆部分(略

例えばどの辺でしょうか。削除したい部分を、明確に挙げてください。今のままでは、あなたがどれについて、話されているのかわかりません。「編集者の魂胆」というのは、雑誌の編集は編集者の意向であり魂胆であり、日本語として間違っていません。百科事典を見た事がないのなら、百科事典とウィキペディアを比べてください。ウィキペディアでは、百科事典と違い、多少の価値観は黙認されています。また、情報源に対しても、あなたの手法は、ウィキペディアでは適用されていません。そもそも、評価は、格闘技通信に記されている記事(事実)を元に、評価をしているので、情報源の問題ではなく、第三者としての「評価」です。それが「評価」です。タレントなどの「評価」でも腐るほど適用されてるので、あなたは一度、ウィキペディアをきちんと見た方がいいかと。Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 11:42 (UTC)[返信]

ですから、第3者の評価とやらはどこにあるのですか? それが第3者の客観的な評価と言うなら、出典を出して下さいと何度も言ってるんですけど、まだ出せないんですか? 
もしも提示できないというなら、Wikipedia以外のどこにも言われていないことになり、それはあなたの意見とみなすのが妥当だと思うんですけどね。そしてあなたの意見なら、除去の対象です。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかにあるように意見は書いてはいけません。
それから、「ウィキペディアでは、百科事典と違い、多少の価値観は黙認されています」というのあなたの意見は誤り。駐車違反が横行して、摘発されていないから、駐車違反は黙認されていると正当化しているのと同じです。何らかの方針なり考慮すべきガイドラインに基づいて言ってるですか? 自分ルールの押しつけはおやめください。
ネットの匿名の人物の評価など、Wikipediaに記すほどの価値はありませんよ。さあ、客観的な評価というなら、どこで誰が言っているのか示して下さいな。--Wing09 2006年12月24日 (日) 11:56 (UTC)[返信]

>ですから、第3者の評価とやらはどこにあるのですか?(略)Wikipediaに記すほどの価値はありませんよ。(略

あなたがどの部分を挙げて出典を求めてるのか、説明してもらわないと話のしようがないとさっきから言ってるんですが。「編集者の魂胆」というのは、雑誌の編集は編集者の意向であり魂胆であり、日本語として間違っていません。百科事典を見た事がないのなら、百科事典とウィキペディアを比べてください。ウィキペディアでは、百科事典と違い、多少の価値観は黙認されています。また、情報源に対しても、あなたの手法は、ウィキペディアでは適用されていません。そもそも、評価は、格闘技通信に記されている記事(事実)を元に、評価をしているので、情報源の問題ではなく、第三者としての「評価」です。それが「評価」です。ウィキペディア内のタレントなどの「評価」でも腐るほど適用されてるので、あなたは一度、ウィキペディアをきちんと見た方がいいかと。二度手間。Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 12:03 (UTC)[返信]

例えばこれ。「インターネットが普及する以前は、格闘技観戦の貴重な情報源として「ゴング格闘技」とともに格闘技ファンから愛読された。」 この部分は、どこで誰が言っている評価なのでしょうか。これを許可して、他を否定する……あなたは雑誌の関係者ですか?Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 12:12 (UTC)[返信]


「格闘技通信に記されている記事(事実)を元に、評価をしているので」とのことですが、評価というのがどこで行なわれているのか提示して下さいよ。執筆者個人の評価も意見もWikipediaで書いてはいけないことが方針として掲げられていることは、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを示して、説明したはずなんですけど、まだ理解できていないのでしょうか?
出典を求めているのは、あなたが加筆した全ての評価なんですけど。それだけ百科事典の記述としては異様なんですよ。格闘技通信の20年の歴史を概観しての評価でなく、2006年の特定の記事の感想が突出したバランスの悪さ。感情的で百科事典としてふさわしくない表現のオンパレード。中立性にも欠けており、執筆者個人の意見である疑いが濃厚。出展があればともかく出典もないと来ている。そういうわけで、これが客観的な評価だと主張するなら、どこで誰が言っているのか示して下さいと言ってるんです。どこの情報を参照して記述したんですか? あなたの脳内、つまり自分の意見じゃないんでしょうか。とまあ、そういう疑いがあるんです。
誰が言っているのか、出典も示さなくても、「事実を記した上での客観的な評価」であり、「第三者として評価」というなら、
  • なんとか自分の主観を話題に出したい編集者の魂胆丸出しで、入場パフォーマンス部門という、不要を極めたような部門までも設立。
  • 他の格闘技雑誌では見られない「入場パフォーマンス部門」を設けるなど、オリジナリティの高い記事は格闘技通信の編集者の高い企画立案能力を示すものである。
と、書き換えるのもありになっちゃいますよ。あなたが自分の感想を「客観的な評価」と何の根拠も提示できずに言っているなら、これも「客観的な評価」です。根拠は提示しませんって言うことも出来ますよ。--Wing09 2006年12月24日 (日) 12:24 (UTC)(すみません。署名忘れました)[返信]

インターネットが普及する以前は、格闘技観戦の貴重な情報源として「ゴング格闘技」とともに格闘技ファンから愛読された

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これの何が問題ですか? 1987年というインターネット普及前から存在し、「ゴング格闘技」と並んで格闘技の情報源は、長い間この2誌しかなかったのは客観的事実です(空手や武道などやる側の雑誌は他にもありましたけど)。この時代、格闘技専門テレビはありません。パソコン通信はありましたが、ユーザー間の情報のやり取りであり、スポナビがバウレビのようなニュースサイトは皆無。この記述に問題があるとしたら、「貴重な」と「愛読」でしょうか。「貴重な」や「愛読」が過大な評価というなら、除去したり、単に「読まれた」とすればいいでしょう。事実を記したものであり、感想ではありませんけど。意見・感想と事実の区別をつけるようにしましょう。--Wing09 2006年12月24日 (日) 12:24 (UTC)[返信]

呆れてしまいま(略。そうした表現を許可しておいて、しかし他の事実は、許可しない。これが、あなたの根本的な問題なのです。だから、雑誌の関係者なのかなと思いました。(これについては否定されておらず)。ところで極力、よりシンプルに編集しました。これが、客観性の限界です。これ以上は、あなたの主観に合わせることはできません。Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 12:39 (UTC)[返信]

もちろん私の主観になど合わせる必要はないんですよ。ですが、他のWikipediaを閲覧するユーザーみんながあなたの主観に基づいた記述を読まされる義理もありません。
なお、インターネットの格闘技ニュースサイトが登場して格闘技雑誌の役割は大幅に低下したのですが、インターネット登場以前は「格闘技通信」「ゴング格闘技」の2誌に格闘技ファンは格闘技情報を頼っていました。こうした歴史的事実に基づいた記述と、「ド素人以前に思考力そのものが粗末な報道」とか「編集長の主観丸出しな表紙選考をした。」とか「わけのわからない誤魔化し」とか「編集者の魂胆丸出しを抜きにして語る事はできないものであった」「恐らく編集者の魂胆抜きにしては語れない」「なんとか自分の主観を話題に出したい編集者の魂胆丸出しで」とかと同列になさるのはいかがなものでしょうか。ご自分でも誤りだと判断したから編集で消したのでしょう?
「インターネットが普及する以前は、格闘技観戦の貴重な情報源として「ゴング格闘技」とともに格闘技ファンから愛読された」という事実に基づく記述をを単に「尚、報道には偏りが見受けられる。」と自分の意見に書き換えるというのはどういうことですかね? --Wing09 2006年12月24日 (日) 13:21 (UTC)[返信]

私の記述は主観でもなんでもなく、格闘技通信に書かれている記事という事実に対して、第三者としての客観的な評価をしていると最初から述べてるんですが。「インターネット登場以前は格闘技通信に頼っていた」ってどこが客観的事実なんですか?出典をお願いします(ここではあなたの辻褄の合ってない意見を、あなたに見せるためにあえて指摘させてもらいます)。あなたの意見の「出典をお願いします」。テレビや口コミは含まれず、格闘技通信に頼っていたという評価が記された「出展」をお願いします。 「ド素人以前に思考力そのものが粗末な報道」は、言葉の例えの仕方は他にもありますが、根本的な的は射ています。シウバとの短時間決着について「ミルコの実力」を編集者が考慮できていなかった、少なくとも記されていなかったのは、紛れもない事実です。 「インターネットが普及する以前は、格闘技観戦の貴重な情報源として「ゴング格闘技」とともに格闘技ファンから愛読された」について、あなたは自分で、「愛読」や「貴重」は直すべきだと語ったはずですが?なぜここで、再び自分の間違いを挙げてしまうのか。 そして、なぜ格闘技通信の報道が偏っていることを、自分で「雑誌は百科辞典ではないので、偏っていても問題はない」などと主観を述べておいて、今度は「報道が偏っている」という事実に対して、「個人的な意見」などと天邪鬼な意見を述べるんでしょうか。多分、自分自身の意見を把握してないかと思われます。ご自分の意見を読み返した後、きちんとご自分が過去に述べた意見と辻褄が合うように、意見を述べましょう。 ちなみに現在の編集には何か問題がありますか?「編集が偏っている」(これは事実だが)以外は、もうあなたが指摘している部分は変えていますが。なにか問題があるのでしょうか? ところで、あなたは雑誌の関係者ということで通ってしまってますが、それは否定しないんですね。Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 13:54 (UTC)[返信]

現在の編集に問題はあります。百科事典ではエッセイの類ではないので、例えば、「なぜか」は百科事典に書く表現。あなたにとって「なぜか」と疑問に思うことでも、他の人には疑問のないことかも知れない。つまり「なぜか」は主観的表現。さらに冗長。「圧倒的な強さで制し」「無冠の帝王名を返上した」も不要で優勝したことが分かれば良い。「完膚なきKO」も単に「KO」で済む。Wikipediaでエッセイの類ではないのだから、修辞的な表現は不要。事実を淡々と書く。しかも3年ぶりの再戦であることを触れておらず、そのことを知らないWikipediaの読者に意味不明。問題点の「三年越しのハイキック」の説明がないから問題というのも、いちいちWikipediaに書くようなこと? 単に「格闘技通信」を読んで不満に思ったことでは。ミルコの実力を書かなかったことについても同様。この後の例示についても「中量級最強」とか「最も過酷で層の厚いトーナメント」とか過剰で百科事典にそぐわない表現のオンパレードなんですけど。
基本的に問題点として挙げられているのは、単にあなたが気に食わないと思ってるだけの「感想」を列挙しているのではないですか?
「私の記述は主観でもなんでもなく、格闘技通信に書かれている記事という事実に対して、第三者としての客観的な評価をしていると最初から述べてるんですが」とのことでしたら、客観的な評価でも何でもないですよ。格闘技通信が20年継続したことを「愛読」したと表現したのが、過大な評価なら単に「読まれた」でもいいでしょう。それはどっちでもいいですよ。読めば分かる楊に最初から、固執していませんが。「格闘技通信はゴング格闘技はインターネット普及以前から格闘技の情報源として格闘技ファンから読まれた」という客観的な記述と、「○○を表紙しなかった」と批判的に記述するあなたの主観的な記述を同列にしないでほしいんですけどね。前者は客観的です。「インターネット普及前から刊行されている」「継続しているのは格闘技通信とゴング格闘技」。これは客観的事実でしょう。格闘技ファンから読まれていなければ休刊になっていますので、「格闘技ファンから読まれた」というのも事実。しかし、「○○が表紙にならなかった」のは事実であっても、これを問題として批判的に記すのは客観的事実でなく、あなたの意見に他なりませんよ。あなたの他に誰がホーストや塚本を表紙にしなかったと言って問題にしてるんですか? 大道塾や空手に興味のある人ばかりとは限りませんよ。空手や大道塾の選手を大きく取り扱わないのは問題というのは、あなたの主観ではないですか。
それから、格闘技通信の編集に関することでしたら、いちいち私の会話ページに書き込まなくても結構です。ディスクスペースの無駄です。--Wing09 2006年12月24日 (日) 14:12 (UTC)[返信]

「2006年の内容についての評価」

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  • 「三年越しのハイキック」の意味を説明しなかった
  • ミルコがシウバに実力勝ちだと書かなかった
  • 三崎和雄が単独で表紙にならなかった
  • 塚本徳臣を単独で表紙にしなかった
  • ホーストを表紙にしなかった
  • 久原清幸の特集がなかった
  • 中量級1人、軽量級2人+1人の表紙にした
  • 「アーツがK-1」はミスターK-1扱いであり、ミスターK-1が2人
  • 川尻達也を選んだ
  • 日本格闘技大賞の選考基準
  • 日本格闘技大賞の日本人1位が魔娑斗である
  • 日本格闘技大賞の海外選手の1位がブアカーオである
  • ベストバウト部門にミルコvsシウバや塚本徳臣の試合がなかった

まとめるとこんなんですか。要するに一言で言うと、「自分の好きな編集方針でない」ことが「問題」はわけですか。で、誰がどこでこんなこと言ってるんですか? 出典はまだですか。Wikipediaでは意見を書いてはいけません。--Wing09 2006年12月24日 (日) 13:58 (UTC)[返信]

編集に関して、私個人の感想なんて一切述べてませんよ。日本語で書いてあるので、もう一度読み返しましょう。それでも個人的感想などというのなら、それは、あなたが個人的な感情です。なぜなら記されているのは「事実」だけだからです。ところで、現在の編集の何処が気に入らないのでしょうか?全て事実にも関わらず。それと、ノート議論を最初から読み直しましょう。二度手間になるような返事には一々答えません。以後頭にいれてください。Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 14:16 (UTC)[返信]


あなた個人の感想は一切述べていませんか。最初の頃の編集には「ド素人以下の粗末な報道」「わけのわからない誤魔化しタイトル」とか、あなたの主観丸出しの表現がふんだんに盛り込まれて、どういう意図で書いたか丸分かりでしたね。つまり批判の意図でもって書かれたわけです。
さて、露骨な表現は消えましたが、「なぜか」と疑問を付加したり、「~でもなく」「~でもなく」を連発して格闘技大賞の選考を否定的に表現したり、不満を述べているのはあいかわらずです。事実だけでいいなら、2006年の格闘技大賞は○○とだけ簡潔に書けばよいのです。また表紙については○○が選ばれなかったというのでなく、○○の表紙が何度あったと書くのが普通でしょう。アカデミー賞や芥川賞の記事で、○○年に受賞したのは「XX」でも「▲▲」でもなく「□□」であったなど書きますか? あなたの意図は一目瞭然です。
2006年の内容という節を設けるなら、そこに書かれる内容は外部の信頼できる情報源で話題にされたことにすべきですね。自分の主観を基準にしたのでもなく、否定的な意味で書いたのでないというなら、○○は表紙ではないとかどういう基準で書いたのでしょうか? 大道塾や空手に感心のない格闘技通信の読者にとっては、それらの記事や表紙などどうでもいいことです。あなたにとって重要なことでも、他の人にとって重要なこととは限りませんよ。--Wing09 2006年12月24日 (日) 14:35 (UTC)[返信]

「2006年度の内容についての評価」って誰による評価ですか? 明らかにすべきでは? 明らかに出来なければ削除すべきと思います。----以上の署名のないコメントは、218.231.249.14会話/Whois)さんが 2007年1月10日 (水) 12:54 (UTC) に投稿したものです(MikeA2Tz0による付記)。[返信]

客観的な事実

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以下は格闘技通信の特徴(事実)。

  • 三崎、塚本、その他大勢、有名で規模の大きい大会で優勝。魔娑斗はアンディサワーを相手に準決勝で敗退。
  • ミルコとシウバとの短時間決着について、「ミルコの実力」は考慮されていなかった。
  • 雑誌の表紙や誌面は戦績や実績によって決まるものではない
  • しかし雑誌の表紙になる回数は、新設された日本格闘技大賞のMVPになぜか大きく影響する
  • 表紙の決定や誌面の枚数などは、編集者の意向によりどうにでも操作が可能
  • 川尻はPRIDEで一勝一敗。無名選手に一勝、五味隆則に完敗。PRIDEからは長期撤退している。
  • 女子選手の戦績は、日本格闘技大賞(格闘技通信オンリー)へのノミネートに全く関係していない。
  • 「アーツがK-1」はミスターK-1扱いであり、ミスターK-1が2人。
  • 久原清幸が前人未到の4連覇を達成。しかし個人の誌面特集は皆無。
  • まとめコメントページに廻す基準が不明。しかしこれも日本格闘技大賞に影響する。
  • PRIDEウェルター級GPは、最も過酷といわれたトーナメントである。(GP決勝前、格闘技通信もそう語っていた。)
  • ミルコvsシウバや、UFCで実績のあるリデルの試合はノミネートされず、「藤本vsキムミンス」をノミネート。(読者アンケートはしておらず、編集者の意向のみ)
  • 以上の理由だけでも、明らかに格闘技通信の「偏り」が確認できる。

これらは全部事実です。つまりこれに異論があるということは、それは「個人的な感情」に過ぎません。Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 14:42 (UTC)[返信]


ちなみに雑誌の内容が、客観的でなかったり、戦績や実績に関係ないことの証拠として、「○○でもなく△△を~」を載せる必要があるので、載せたまでです。Ryuji2006 2006年12月24日 (日) 14:50 (UTC)[返信]


  • 久原はほとんど無名であり、女子選手や三崎や塚本は地上波でほとんど露出していない。魔娑斗は全国区の知名度がありテレビの露出も多い。
  • 表紙の決定や誌面の枚数などは、売れ行きに影響するものであり、人気選手が登場するものである。編集部に決定権があるが、同時に読者の意向の反映でもある。
  • よって表紙は人気度を反映するものであり、新設された日本格闘技大賞には人気の要素が大きく反映される。
  • 川尻は修斗の顔であり人気がある選手である。
これらも事実ですけどね。こういう面を無視してあたかも不公平であることかのように書くのは中立性で問題があるんじゃないですか。歌番組や賞で、歌の上手さだけでなく人気が考慮されるのと同じです。売れなければ商売にならないのであり、これを方針というならまだしも偏りというのはPOVでしょう。別に格闘技通信の賞が偏っていようと、別にいいんですけど。
  • ミルコとシウバとの短時間決着について、「ミルコの実力」は考慮されていなかった。
単なる観戦記の1つであり、いちいち特筆する理由は? その記事ないようが事実としてそんなに重要なことでしょうか。ミルコの実力だかなんだか知りませんが、あなたが気に食わないことが理由ですか?
  • 「アーツがK-1」はミスターK-1扱いであり、ミスターK-1が2人。
そうなんですか。あなたがミスターK-1扱いしているだけでは。ミスターK-1が2人だと騒いでいる人がいるとは思えませんが、2006年の記事でこれも特筆すべき理由があるんですか? その他の記事にしてもWikipediaに掲載するだけの意味があるんでしょうか。百科事典はその事物を解説するためのもので、それを読んだことで格闘技通信の理解に繋がるものでなければならないでしょう。
あと、いちいち私の会話ページに同一文をコピペする必要はありませんよ。格闘技通信に関する話なら、ここでやるべきであって、会話ページでは返答しませんし、ディスクスペースの無駄です。2度言わないと、理解できませんか。
最後にあなたが2006年の内容として上げていることが話題になっているという出典を示して下さい。でなければ、あなた個人が主観で持って取り上げているとみなします。これらの事象が重要であるというあなた個人の意見は不要です。--Wing09 2006年12月24日 (日) 15:01 (UTC)[返信]

現状の問題のまとめ

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まず、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかから、]]Wikipediaは自分の意見を書く場ではありません。 ここから、始まった編集を以下のように理解しています。

  1. 執筆者は、「格闘技通信は偏っている」と述べたい
  2. 「2006年度の内容についての評価」に書かれている内容は、「格闘技通信は偏っている」という主張を補強するものとなっている。
  3. 執筆者は、「2006年度の内容についての評価」」内容を「客観的事実」であると言う。
  4. しかし、客観的事実の選択に執筆者のバイアスが指摘される。(「格闘技通信」は人気のない女子格闘技や空手をK-1やPRIDEと同等に扱わなければならないという観点)
  5. また、執筆者の書いた「2006年度の内容についての評価」はどこで誰が言っているのか、話題になっているかすら定かではない。
  6. よって、「2006年度の内容についての評価」は全体をもって、執筆者オリジナルの研究に構成している可能性がある。誰が言っていることか出典を示さないため、「独自の研究」と判断できる。

1についは冒頭の部分で「報道には偏りが見受けられる」と執筆者が述べています。また初期の編集で批判的な主観丸出しの表現が盛り込まれたことから、意図は明らかです。4は別の観点もあるのに執筆者の観点の押し付け、「~でもなく」と他の選手を繰り返し取り上げて、あたかも「格闘技通信」の選択が不当であるかのような印象操作が指摘できます。5は執筆者の言う「客観的事実」がWikipediaに取り上げるに相当する特筆すべき事実かどうかの判断基準です。

「客観的事実を列挙しているだけだ」と執筆者は言うかも知れませんが、例えば、ハレー彗星が最接近した年に起こった事件だけを列挙して、ハレー彗星が接近すると凶事が起こるという印象づけることも可能でして、一つ一つの事象は客観的事実であっても、自分の主張に都合のいいような選択して、POVが入っていれば、独自の研究になってしまうのです。誰かの批評を紹介するのが客観的意見であり、誰の意見でもない批評は百科事典に不適切です。

その他、過剰とも言える修辞的表現で百科事典としてはふさわしくない部分も多々見られます。-- Wing09 2006年12月25日 (月) 15:16 (UTC)[返信]

第三者からの意見とまとめ

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「現状のまとめ」とはとても言いきれないと思います。というのも格闘技通信の最近の内容に偏りが見受けられるのは事実で上の「客観的な事実」に列挙されている通り明らかな偏りがあります。載せる内容を2006年に限る必要はないかもしれないけれど過剰な擁護もまた百科事典としてふさわしくない。----以上の署名のないコメントは、Lasangelyork会話投稿記録)さんが 2007年2月17日 (土) 13:39 (UTC) に投稿したものです(MikeA2Tz0による付記)。[返信]

何をもってして「偏向」とするのか? 「偏向」というのは、特定の価値観に基づいての評価であり、百科事典としては、不適切である。 また、「最近の内容」といっているが、編集長が代われば、昔も記事の取り上げる基準が偏向されているのではないか?----以上の署名のないコメントは、218.231.221.222会話/Whois)さんが 2007年2月24日 (土) 15:36 (UTC) に投稿したものです(MikeA2Tz0による付記)。[返信]

皆様、どうか署名して頂けますように。さて、問題とされていた箇所が218.231.249.14さんの2007年1月10日 (水) 12:59の編集ですでに削除されており、その後Ryuji2006さんからも物言いは付いておりませんので、記事から{{観点}}テンプレートを一旦削除いたします。--MikeA2Tz0 2007年3月30日 (金) 06:16 (UTC)[返信]