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ノート:栗本慎一郎

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哲学者一覧について

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栗本慎一郎さんの著作物はけっこう読んでいたのですが、『意味と生命』だけが私には重要でした。 著書『意味と生命』だけで栗本慎一郎氏は立派な思想家あるいは哲学者である、と思います。ただ、この本の価値がなかなか理解されないのが悲しくて今回、思想家の一覧に付け加える決心をしました。--以上の署名のないコメントは、219.124.224.9会話/Whois)さんが 2004年1月12日 (月) 14:00~2004年1月13日 (火) 12:47 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ひごろの手入れについて

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勤務先(東京農業大学)のウェブサイト内の教員紹介のページ[1]によれば、栗本氏の肩書は「嘱託教授」となっているので訂正します。また、小泉純一郎議員は、「元」首相ではなく、「前」首相。「元」と「前」の使い分けについては、ひごろの手入れが必要。220.220.119.135 2006年10月3日 (火) 01:27 (UTC)[返信]

栗本氏の「意見」

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「栗本の意見は決してわかりやすいとは言えず~『パンツを脱いだサル』に書いてある。」は私論にしか見えません。著書において自身への批判があることに対し弁明しているのであれば「どのような批判があって」「どのような弁明をしているのか」という書き方に改めるべきでしょう。いったんコメントアウトしますので、必要があれば然るべき文章に修正を願います。テレビタックルの件は文脈的につながらないし文章もおかしいので削除しました。Spinningcat 2007年5月22日 (火) 15:51 (UTC)[返信]

真偽不明の記事を削除しました

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略歴・人物欄で「真偽については不明」の記事があったので削除しました。Wikipediaは真実であることが検証できない事柄は記事にしてはいけないルールがあります。本人を語る上で避けることができないエピソードであれば、文面を工夫して復活してください。巡回冗長検査エラー 2007年11月22日 (木) 09:16 (UTC)[返信]

独自研究?

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  • どのへんがそうなのか、指摘してくれると有難いんだけど……。--ティカル・キング 2009年8月19日 (水) 07:59 (UTC)[返信]
    • こんにちわ。ティカル・キングさん。「カール・ポランニーは、互酬・再分配・市場交換の三つのトランザクション(交換様式)のうち、市場交換が肥大した社会を「市場社会」、それ以前を「非市場社会」と呼んだが、後者から前者への変化は、ヒトの生物進化である、というのが栗本の自説だ」という文以外の全てです。もっとも、その一文も含めて出典を明らかにしないと最終的には削除されても文句はいえないのが、ウィキのルールだと理解しております。宜しくご検討ください。--Nyurutan 2009年8月19日 (水) 13:56 (UTC)[返信]
  • お返事ありがとう。nyurutanさん。「その一文」が一番大事なので、まず、それについての話を緊急で。
  • 「その一文」=「カール・ポランニーは、互酬・再分配・市場交換の三つのトランザクション(交換様式)のうち、市場交換が肥大した社会を「市場社会」、それ以前を「非市場社会」と呼んだが、後者から前者への変化は、ヒトの生物進化である、というのが栗本の自説だ」の部分に関しての出典について↓
  • 「パンツを捨てるサル」のなかで、”前著で提起した「江戸時代の人口増問題」で進化論への伏線張ってたのに皆が見過ごしてた”、みたいなことを言ってるあたりですね。それと、「パン捨て」刊行のころに「現代思想」誌のインタビュー(たしか『自己組織化論特集』のときで、利根川進に対してなにかチクリと言ってた)でも、同様の発言をしてたな。まだ本文に反映させませんが、時間的余裕があったら、註を打っときます。
  • 追記:↑の『現代思想』誌とは、「通巻16-01号(1988年01月):生命のセマンティクス-自己組織化と意味-」ですね。たぶん
  • 「それ以外の全て」については、また後ほど。--ティカル・キング 2009年8月20日 (木) 07:52 (UTC)[返信]
  • 中村の「共通感覚」と吉本の「共同幻想」は結局同じだ、と、確か、「オルガン」(現代書館)の「プロメテウスの性」という小文で書いてたな。トフラーやドラッカーをあまり高く評価してなかった云々については、たとえば「ブダペスト物語」。ポランニーの弟分であるドラッカーについて、「俗受け狙い”ばかり”ではない」と書いている。ということは俗受け狙いという要素も多分にある、ということでしょう。トフラーについては「鉄の処女」、西部邁との対論本「立ち腐れる日本」などを参照。--ティカル・キング 2009年8月22日 (土) 02:52 (UTC)[返信]
    • ティカル・キングさん。こんにちわ。「中村の「共通感覚」と吉本の「共同幻想」は結局同じだ」の部分ですが、私は残念ならがその「オルガン」を持っていません。読みたいのはやまやまですが、「鉄の処女」では、中村と吉本がどう違うか書いてきたらゼミに入れてあげるとジョークを言っていたので、基本的には同じものと考えていたと思います。ただ、同書で、中村とは研究室もとなり同士で常に批判し合っているから特にこの本では批判はしないといい、吉本と栗本は理論的に対立しているのにそれが読めない馬鹿がいるとか書いてます。柄谷については、本来であれば、『日本近代文学の起源』の理論を詰めていくと中村や吉本と共通の土台設定に乗ってくるはずなのにそれをしないのは知的な生活保護をうけているのに等しいと言ってます。ので、中村、吉本、柄谷と栗本を並列的に書くのは、栗本の本を一冊も読んだことがない人が読む可能性のほうが高い百科事典ではミスリードではないかと思うのです。私は、百科事典としては本人の説だけを本人の書いた書籍を引用して書けばいいだけのことで、他の人との違いとか共通点を書くとその他の人の本だけしか読んだことのない人の誤解を生む原因なので避けたほうがいいのではないかと思っています。ただ、出典さえつけていただければ、その他人の人の本だけしか読んだことがない人でも出典を自分の目で確認すればいいだけなので、特に本文を修正する必要もなく、独自研究のタグも外していただくことに異存はありません。もっとも、上記の一番大事な一文は「層の理論」について説明しないとただおかしなことを言っている人としか読めないので、現時点で前後の脈絡なく書くのは時期尚早かなと思います。ティカル・キングさんがこの部分も含めて書いていただけるのであれば、一読者として期待して待っています。--Nyurutan 2009年8月26日 (水) 13:28 (UTC)[返信]
  • Nyurutanさん、こんにちわ。
  • >中村、吉本、柄谷と栗本を並列的に書くのは、栗本の本を一冊も読んだことがない人が読む可能性のほうが高い百科事典ではミスリードではないかと思うのです。
  • しかし、一方で、糸井重里との対談本『俺たちはノイズだ』や角川から出た『読書原論』あたりに収録された『これを読んだ人とだけ愛し合いたい本ベスト10』という企画で、柄谷の「日本近代文学の起源」、中村雄二郎『共通感覚論』、吉本の『共同幻想論』などをあげてるので、これらを評価しているのも明らかでしょう。しかも、「これを読んでおかないと、パンサルなどで書いた言葉も正確には届かないだろう」とまで『ノイズだ』のなかでは言っていた。つまり、必読書であり、そこに書かれているようなことは栗本氏の本を読む上で基本的な前提にしておいてほしい、ということだと思います。
  • 『鉄の処女』も物語批判の蓮實をトップバッターに挙げなければ、なんて書き出してるし、当時の栗本氏が、パラダイム(≒物語≒認識論的布置≒共通感覚≒共同幻想)論という観点から上記の著者たちの本を読んでいたのは一目瞭然と思うのです。確かに「一冊も読んでない人」に向けるのなら、そのへんのことを前置きとして書けばよかったのかな、とは思いますが。「本人の説を本人の書籍だけを引用して」とNyurutanさんはおっしゃるのですが、必読書としている他人の本はそれに準ずると思います。--ティカル・キング 2009年9月5日 (土) 02:58 (UTC)[返信]
    • ティカル・キングさん。こんにちわ。私は、中村、吉本、柄谷と栗本は似ているけど違うと考えており、これは「パラダイム(≒物語≒認識論的布置≒共通感覚≒共同幻想)論」とあるようにティカル・キングさんと同じ理解なのですね。私は「違う」という点に焦点を当てているので、「似てる」という点に焦点をあてるティカル・キングさんは「違う」ことを失念した独自研究ではないかと感じたのですが、そうではないようです。ノートにいろいろ出典はだしていただきましたが、できれば本文中に組み込んでいただければうれしいです。ありがとうございました。--Nyurutan 2009年9月6日 (日) 08:17 (UTC)[返信]
  • お返事ありがとう。--ティカル・キング 2009年9月9日 (水) 05:36 (UTC)[返信]
    • 久しぶりに読み返したら結構レベルの高い議論していたと気づきました。『意味と生命』で栗本が主張したのは、アインシュタインの相対性理論を言語論に応用したらどうなるかという話で、結論としては、どのレベルに焦点を当てるのかによって意味は全く異なるので絶対的な基準はないということだから、栗本の「層の理論」をそのまま議論をしていたことになる。ティカル・キングさんに感謝します。以上の議論を踏まえて「層の理論」についてちょと詳しく書いてみようという気持ちになってきました。--Nyurutan 2010年4月6日 (火) 17:20 (UTC)[返信]

経済学士?

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大学院まで進んでらっしゃるから、修士号か博士号は取ってるんじゃないですか?--扇子す込むニス会話2012年6月24日 (日) 13:01 (UTC)[返信]

博士課程修了か?退学か?

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官邸HP(http://www.kantei.go.jp/jp/daijinmeibo/9709jikan/19kurimotosinnitirou.html ) のような「公文書」には博士課程退学ではなく修了とあります。どちらかが虚偽であるということになりますよね?--扇子す込むニス会話2016年8月6日 (土) 06:14 (UTC)[返信]

弁護士登録有資格者?

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この編集について。「法学部で法学系の教授を一定の年数以上務めると(弁護士の)登録資格が得られ」た時期があるのは事実ですが、法学部の一般教養課程で経済学を教えていただけの人に弁護士登録資格が認められた時期はありません。--Szdr会話2019年7月18日 (木) 01:01 (UTC)[返信]