ノート:柳龍拳
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
柳龍拳はペテン師であると断ずる記述を修正しました。一面的な価値判断は百科事典の記述にそぐわないものです。柳龍拳の発言内容の真偽は別に吟味されるべきでしょう。また、討論なき即時削除も短絡的すぎると思うのでテンプレを剥がしました。211.127.75.100 2006年12月6日 (水) 14:43 (UTC)
個人的な意見ですが
[編集]この人物に限らず、現在活動中のスポーツ選手やアーティストに関しては一定の冷却期間が必要だと思います。いろいろと詳細に記述されていますが、この人の場合『無謀な他流試合で救急車を呼ぶ羽目になった。』程度の数行で十分だと思います。あえて今「ペテン師」とは言いませんが、数年後、今と同様の活動が出来ているのかを見てからでも遅くないのではないかと思います。--Easyman 2006年12月28日 (木) 07:18 (UTC)
200戦無敗???
[編集]「ノールールの他流試合を行って200戦無敗」というのは、証明されているのでしょうか? 柳のHPの宣伝を検証もなくそのまま載せているというのであれば、百科事典として不適切だと思います。--以上の署名のないコメントは、218.231.249.24(会話/Whois)さんが 2007年3月3日 (土) 07:43(UTC) に投稿したものです。
- これは証明された事実ではなく、柳氏がそう主張していたという事実を記述したものです。Murayamashi 2007年3月16日 (金) 23:49 (UTC)
記述が無責任
[編集]「柳が手をくるくる回すと離れた相手(弟子・エキストラ)がその動きに巻き込まれたように悶絶し」 エキストラというのならば、ヤラセということ。 それを事実のように記述するのは、不適切では?
- このような現象が存在するのは事実です。ヤラセであるにしても、柳氏がこのような現象を宣伝していたという事実があるのです。Murayamashi 2007年3月16日 (金) 23:47 (UTC)
「柳に拠れば、大東流合気道は武田信玄の家臣であった大東久之助の直系武術であるという。」 この記述も柳自身が主張していること。それをそのまま掲載するのは、無責任だと思う。検証が必要だ。 --以上の署名のないコメントは、218.231.249.24(会話/Whois)さんが 2007年3月3日 (土) 07:58(UTC) に投稿したものです。
- これが本当かどうかは確かに検証が必要です。個人的には信憑性が低いと思います。しかし柳がそう主張していたということは事実です。Murayamashi 2007年3月16日 (金) 23:47 (UTC)
「現在の技の完成度は80%。90~95%台に向けて更なる努力をしている」 主観的な記述である。誰が判断しているのか? 百科事典として不適切。--以上の署名のないコメントは、218.231.249.24(会話/Whois)さんが 2007年3月3日 (土) 08:08(UTC) に投稿したものです。
- これも上記の通り、柳氏がそのように主観的に判断、主張していたという事実に基づいた記述です。上記には公式サイトという明確な出典がありますので、「要出典」は不適切であると思います。Murayamashi 2007年3月16日 (金) 23:47 (UTC)
「他流試合」項目のみをクローズアップしたがる、ヨーガ柔術氏の編集行為について
[編集]ヨーガ柔術氏は他流試合の項目のみ長く編集しようとします。 柳氏に関して避けては通れない項目かも知れませんが、試合後の事まで書きすぎるのは、辞書性を逸脱するのではないかと思います。 「他流試合先にありき」ではなく、この項目は「柳龍拳氏先にありき」なのですから。 またヨーガ柔術氏は、辞書性を考慮し各項目の長さをバランス良く編集する行為を、「事実を捻じ曲げる編集だ」と、冷静さを欠く言動をしています。 まずは辞書性とは何かを、冷静に話し合って頂ければと思います。--顔の無い人 2010年4月12日 (月) 23:07 (UTC)
- 利用者:顔の無い人氏は、著しく内容を短縮し辞書性が失われる編集だと思います。見かねた点は、その場で戦った柳龍拳氏に対して酷く不名誉な書き込み「顎が折れた、意識不明になった」と事実と反する事を記載し始め、自らの概念に基づく修正を繰り返しているので、このまま見過ごせば完全に現実にあった事柄が無くなるおそれがあります。
- 柳龍拳氏の経歴が削除されすぎる問題もあり、この経歴は過去に出版されたで格闘雑誌や本人のHPが出展材料になっておりますから事実関係などを確認・考慮し様々な方が編集されてきましたと存じます。どうぞ冷静に事実関係を調べ吟味し改変して下さい
- なお、私と真剣勝負をした対戦相手の名誉や事実を守る為に最低限の事を注意したまでなので、これ以後も事実と反する改変を=利用者:顔の無い人氏=が改変を続けるならご自由にしてください。どのような改変をされましても二度と私は改変を加えませんし、この会話にも参加しません--ヨ~ガ柔術 2010年4月13日 (火) 08:55 (UTC)
「内容を短縮し」について。
以前の記事は「なぜ」「なぜか」といった繰り返し表現が多すぎて、また「言いがかり」などの感情的な、そのため不必要に思われる箇所が、少なくありませんでした。
長すぎる、短すぎる、で言えば、長すぎると判断せざるをえないのですが、いかがでしょう。
「顎が折れた、意識不明になった」について。
一部インターネットにそのような情報が見られたので、組み込みました。しかし事実と違うと主張なさるのなら、ムリには残しません。
「記載し始め」について。
し始めという事はそれに続く何かがあったという意味ですね。それは具体的には何になるのかを、詳しくお願い致します。
「自らの概念に基づく修正」について。
曖昧なので具体的にお願いします。ここはこうじゃなくてこう書いたほうが良いのでは、という風に、ハッキリ書かなければ会話になりません。
「経歴が削除されすぎる」について。
具体的にはどの箇所でしょうか?
たとえば気功の実験に関しては、詳細を書いていません。個々の治療や、除霊についてもです。
それは「個々の事柄を自分の書きたい箇所のみクローズアップしすぎても、主観の著しい記事しか出来上がらない」と判断したからです。
他流試合も上記様々な側面も、本来その人物の紹介にあたっては重さは等しいはず。
それを他流試合のみ顛末を長々とりあげたいとする編集行為は、偏りがありすぎるのです。
逸話等もとりあげすぎていて、逐一「見た者はいない」的に結ぶのなら、冗長を避けるため取り払ったほうが良いと思われました。
巧く組み込めるなら別ですが、あまり文章的にも巧いと感じなかったので、辞書性を損なわないよう、そうさせて頂きました。
「私と真剣勝負をした対戦相手」について。
私は貴方を存じません。当事者と主張なさるならかまいませんが、もしも当事者であれば尚更冷静に関わられたほうが良いのではないでしょうか。ヘタな編集をすれば、貴方ご自身の宣伝行為ともとられかねませんよ。
どうか頭を冷やされて、落ち着いた編集をお願い申し上げます。--顔の無い人 2010年4月13日 (火) 06:42 (UTC)
合気系のパフォーマンスに関して
[編集]「(※但しこの種の演武自体は植芝流にも散見され、いわば合気系の伝統でもあった事は、付記されるべきであろう)」の説明文ですが、これは付記するならば「合気道」のページで行うべきではないでしょうか。別段ここで「~であろう」等の憶測的な研究を付け加えるべきではないと思うのですが、如何でしょうか。古い動画が多くあろうが、それが客観的なものであるとは限りません。Wikipedia:特筆性を参考に考えていただければ幸いです。(柳生八兵衛 2010年4月19日 (月) 14:51 (UTC))
原文を書いた者です。
>「合気道」のページで行うべきではないでしょうか。
このページで、柳氏の現象が論及されてましたので、このページで説明書きを加えました。--無事本 2010年4月19日 (月) 17:14 (UTC)
- 現在の文の流れからであれば、合気道ページで議論してしかるべき内容が付記されているように見て取れます。「合気道は概ねパフォーマンス的な演武をする」と誤解を促す表現は回避すべきではないでしょうか。この意見に関する反論、もしくは「この種の演武自体は植芝流にも散見され、いわば合気系の伝統でもあった」という具体的な情報ソースの提示とリンクを御願い致します。(柳生八兵衛 2010年4月20日 (火) 06:09 (UTC))
>合気道は概ねパフォーマンス的な演武をする
いえいえ。
「柳氏はパフォーマンス的な演武をする」という本文へ対する、反証です。
>具体的な情報ソース
一例を挙げれば、合気ニュース社「植芝盛平と合気道」神技篇です。--無事本 2010年4月20日 (火) 06:59 (UTC)
- ここは辞典であり、反証・検証を行う場ではありません。Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないを参考にして頂き、具体的な事実だけを書き込まれるようにしてください。また、雑誌ソースの場合はテンプレートに従って書籍番号等のリンクと文章、文責の書き込みを御願い致します。
- 尚、ノートの書き方を自由に使われているようですが、無闇にノート枠を使用すると全体的に見辛くなりますので注意されてください。(柳生八兵衛 2010年4月20日 (火) 10:36 (UTC))
>ここは
>反証を行う場ではありません。
ここは辞典なので、一方的な意見のみを記述する場ではありません。
「柳氏は触れないで人を制するという特異なことをしているので、武術というよりは怪しいパフォーマンスである」という記述は一方的であり、 これは柳氏個人の特異な現象ではなく類例が伝統的に存在する、と併記して初めて公平な、辞書的な構成となります。
>具体的な事実だけを書き込まれるようにしてください。
上に挙げた通り、公刊の映像資料に所収された具体的な事実です。--無事本 2010年4月20日 (火) 17:35 (UTC)
- >ここは辞典なので、一方的な意見のみを記述する場ではありません。
- >上に挙げた通り、公刊の映像資料に所収された具体的な事実です。
- もう一度確認します。Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないを参考にして記事を書かれてください。ノートは兎も角、本文は意見やお互いの主張を記入しあう場所ではありません。後、ソースに関してもテンプレート通りに記入し、ソースへのリンク、文章や文責の抜き出し等を行ってください。それが為されない場合は第三者からの監督を促す必要がありますので、保護依頼等を行わなければならなくなります。(柳生八兵衛 2010年4月21日 (水) 09:03 (UTC))
>本文は意見 >を記入しあう場所ではありません。
確かに
>柳氏は >パフォーマンスである
との原文を書いた人の部分は、意見であると思われます。
私のはそれに対し、単なる事実です。
よければ実際に現物にあたり、ご確認ください。
>文章 >の抜き出しを行ってください。
確認用にもう一度書きますが、ここで挙げた一例は合気ニュース社発刊の映像資料(シリーズ巻五)です。
文章ではありません。
本文に組み込みたいのでしたら、ご自由にリンクをお願いします。--無事本 2010年4月21日 (水) 17:43 (UTC)
- ソースが通常的に確認できないもののようですので、そこを含む周辺の文章を削除しました。あと、ソースを記入するのは本文に引用した者が行うのが基本です。Wikipedia:レイアウトの指針に従うよう注意してください。(柳生八兵衛 2010年4月22日 (木) 01:56 (UTC))
>ソースが通常的に確認でき
るものであるとは思われますが、
それと書籍としても一例を挙げれば加来耕三「気の妙術」(新人物往来社)にて渡辺信之合気会本部師範の事例もとり上げられていますので、よければご確認ください。
ただし
>相手に触れることなく倒すという映像も公開している。
この書き方でしたら従来の批判臭も薄まり、よって個人研究の色合いも薄まると思われますので、このままで認可できます。--無事本 2010年4月22日 (木) 10:26 (UTC)
記載方法・形式について
[編集]ソースが外部リンクによるものでしたら、その旨を記載するかソースページへのリンクを行うのが好ましいです。存命中の人物に関しては特に注意して行わなければいけないというのが、ページ編集での約束事になっているのはご存じのとおりです。ノートページで提示した注意事項を今一度参考にして頂き、判り易く編集して頂ける事を期待します。今回はその点が配慮されずに単なる編集合戦になっているようですし、今回のノートでの議論がかみ合わない場合は一度ページ保護依頼をかけて議論を進めたいと思います。何故ホームページ由来を記入することを嫌がるのかが理解できませんが、出来るだけ実りあるページするためにも宜しくお願い致します。(柳生八兵衛 2010年4月27日 (火) 09:48 (UTC))
出典は「柳によれば」「だとされる」「だと言う」「説明としている」という、通常あまり見られない(説明的)表現プラス、外部リンクで、キレイになせていると思います。
「ホームページによれば」にするなら上記カギカッコ内の表現を外さなければ、繰り返し性、冗長性が生まれ、公的文章としては読みにくくなります。
文章というのは何でもかんでも盛り込めば良いものではないんですよ。
どちらが文章的にキレイになるかは、「ホームページ」という繰り返し表現が避けられる、従来のかと思われます。
細かいかも知れませんが、百科事典にふさわしいよう、これまでも細かい表現に気を配った編集をしてきています。
兵衛氏は編集歴を拝見すると、「触れずに―――」の際などにその箇所をそっくり削ってしまい、その後に続く文章「この技を以って―――」のみ残して、前後のつながりをわけわからなくする等、あまり「文章の成立」を意識されてる様子がない、ともすれば無視されているようなので、まずは編集に関わる以前に、そのようなところを直されてからお願いします。--顔の無い人 2010年4月27日 (火) 16:34 (UTC)
- 意図的かどうかわかりませんが議題がずれているようですよ。このセクションで取り上げさせて頂いているのは「存命中の人物」における出典の明記であり、表現云々ではありません。「柳によれば」「だとされる」「だと言う」「説明としている」という書き方では出典を暈かしている印象を受けますし、その点を含めて再度上記にリンクしてあるwikipediaの編集方法についてのページを良く読んで頂ければと思います。表現方法についてはご指摘をありがたく頂戴し、次回から留意して行きたいと思います。もし上記のリンクページを踏襲した上で変更が適切ではないという事でしたら、一度保護依頼を出しますので管理人等第三者を含めて議論していきましょう。宜しくお願い致します。(柳生八兵衛 2010年4月28日 (水) 10:48 (UTC))
「議題がずれて――」おりません。
「出典を暈かしている印象を――」というのは、兵衛氏の極端な意見だと思います。
なぜなら文中繰り返し「ホームページによれば――」というような表現のとられている項目を、市販の百科事典は無論のこと、Wikipediaにも見かけないからです。
お解かりになっていないようですが、一つ一つ出典をふっていくなら「柳氏のホームページによれば気功師としての活動も――」「柳氏のホームページによれば霊能者としての活動も――」「柳氏のホームページによればこれまで他流試合を――」というように、きりがなくなり、可読性を著しく損なう表現になります。
だから最後に外部リンクとしてまとめられるものなのであり、存命中の人物に関しても、極端に「ホームページによれば――」という表現が繰り返されている編集を、市販の百科事典では無論のこと、Wikipediaにも見かけないのですが、いかがでしょう。
「とりあげているのは表現云々ではなく」と仰いますが、文章とはそもそも表現なのですから、原点を見失われないようにお願いします。
ではどうでしょう。最後を「外部リンク」とだけにしないで、「出典と外部リンク」というような表現に変え、きちんと挙げられていなかった書名も連ねて、より解かりやすいものにしてみては。
私のこれまでの編集を見て頂ければ、「、」が半角になっているのを修正したり、細かい箇所に気を配って編集してきています。長年あったこの項目自体も、きちんと目次が出るようにしたのも、私です。
なので雑な、たとえば文中の一箇所をそっくり削って、以後に続く文章とつながらなくしてしまうような編集姿勢は、きちんと編集してきた身からは、疑問に見えてならないです。
伺いたいのですが、以前そのような編集をなさってしまった理由は、何でしょうか。表現を無視する編集姿勢であるか否かが問われる問題なので、出来ればお返事をお願いしたく思います。
保護依頼も独断で出されずに、まずは雑でない、乱暴でない、編集姿勢と編集会議を、心がけて下さるよう、頭を冷やされお願いします。--顔の無い人 2010年4月28日 (水) 18:17 (UTC)