ノート:枢軸国
アルバニアはイタリアに併合されてただけですから、枢軸国とは違うのでは?222.144.107.127 2004年12月2日 (木) 15:03 (UTC)
枢軸国分類について
[編集]この版において、枢軸国として列挙されているのは以下の国ですが、ちょっと検討を加えてみたいと思います。
- タイ: 「タイは中立ではなかったか?」というのが私の疑問です。
- ブルガリア、ハンガリー: いくつか見た書物はみな「枢軸国」に分類しています。
- フィンランド: 「ソ芬戦争の結果ナチス・ドイツに接近した」ということですが、これは即、枢軸国陣営入りを意味していいのでしょうか? 対米英の関係はどうだったのでしょう?
- ルーマニア: いくつか見た書物はみな「枢軸国」に分類しています。
- ヴィシー政権: 「枢軸国の影響下で、連合国と戦ったが、今日では傀儡政権と見なされている」とあります。連合国と戦った、というのは事実でしょうか?
- 満州国: 「枢軸国の影響下で、連合国と戦ったが、今日では傀儡政権と見なされている」とあります。傀儡政権かどうかは別の議論に譲るとして、宣戦布告の事実はあるので問題なさそうです。
- 蒙疆連合自治政府: 「枢軸国の影響下で、連合国と戦ったが、今日では傀儡政権と見なされている」とあります。連合国と戦った、というのは事実でしょうか?
またこの列挙からは落ちていますが、
あと、
- 汪兆銘政権も対米英宣戦布告したのではなかったでしょうか?
長々と書きましたが、結局
- イタリアの扱い方はこれでいいか(私はいいと思っています)
- タイ(中立だろうというのが私見)
- フィンランド、ヴィシー政権、蒙疆連合自治政府、汪兆銘政権、クロアチア、スロバキアに関して宣戦の事実を確認したい
という3点について、皆様のご意見を伺いたい所存です。ちなみに1945年10月31日付GHQ/SCAP文書「『連合国』、『中立国』及『敵国』ノ定義ニ関スル覚書」という文書があるようなのですが、これの原文がオンラインであれば参考になりそうにも思っています。どなたかご存知なら教えてください。--にごう 2005年10月25日 (火) 07:20 (UTC)
タイ王国の扱いについて
[編集]タイ・ピブン政権は、1941年12月21日に日泰攻守同盟条約を結び、1942年1月25日に米英両国に対して宣戦布告しています。また、1944年の大東亜会議にも、代表団を派遣しています(代表はピブン首相ではなく、代理)。ところが1945年の終戦時、日本の圧力で無理やりだった、との訴えが米国に認められ、国連敵国条項からもはずされました。さて、「日本の圧力による協力」という点は、他の傀儡国家も同じですし、とりあえず枢軸国に入れて良いと思われますが・・・。
フィンランドの件
[編集]フィンランドを数字国と見るのが困難です。元々中立だったフィンランドがソ連に攻撃され、芬ソ戦争に巻き込まれた。開戦は1939年11月30日。終戦が1940年3月13日。敵国のソ連と中立国のスウェーデンと大国のナチス・ドイツの間に挟まったフィンランドだった。スウェーデンとの武装協力を軍備として敵視したソ連が、そういう事が分かればもう1度宣戦すると明らかにした。フィンランドの助けになれる国は唯1つ:ドイツ。1941年6月22日、ドイツ軍がフィンランドをへてソ連を攻撃したが、フィンランドは中立宣言。3日後のソ連のフィンランドの多数の町への空爆を機に、フィンランドが開戦した。芬独間の共同作戦が多かったものの、フィンランドが枢軸国に加わらなかった。フィンランドのレトリックで言うと、”同時に戦う国家”だった。このページに扱われる国の殆どと違って、フィンランドはドイツと同盟・連合等を公明・宣言等はしなかった。フィンランドとドイツが一緒にソ連と戦争したため、ソ連の連合国であった英国が対芬宣戦したのだが、宣戦は一方的で、連合内の平和を保護する政策として見ても悪くない。正式的に枢軸国にならなかったフィンランドをこのページに扱うのは難しくて、特別な扱いが必要だと存じます。--Idrougge 2007年1月7日 (日) 11:48 (UTC)
- 確か1945年には枢軸国として降伏文書に調印し、戦後も日本と同じ「旧敵国」として扱われていたと思います。ただ、全土の占領とか、戦犯裁判とかは無かったので、形式的なモノとも言えますが。--202.247.231.11 2007年1月15日 (月) 01:42 (UTC)
フィンランドの件についてへのコメント
[編集]枢軸国が数字国になっています。これは誤字です。気を付けて下さい。誤字の部分を直して下さい。--211.125.42.230 2008年10月27日 (月) 04:52 (UTC)
「大日本帝国」の一律書き換えについて
[編集]百科事典の単なる使用例を出典と称して、文脈を無視した「大日本帝国」を「日本」への一律書き換えが行なわれていますが、なんとか社の百科事典は単なる使用例に過ぎず、「大日本帝国」の表記を排除する根拠にはなっていません。もし出典とするならば、「大日本帝国と言う表記は使ってはいけない」ということが理由と共に示された資料であり、いくら百科事典や学術書を並べ立てても「使用例がない」とする根拠にはなりません。的外れな出典です。この記事で書き換えられたヶ所は他の国が全て国号なので日本も国号にしなければおかしいでしょう。文脈を無視した言葉狩りでしかありません。--uaa 2009年10月2日 (金) 19:40 (UTC)
今後この提案に関する意見は現在大きな合意を形成中であるWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で表明して下さい。 |
画像の解釈
[編集]この画像の解釈は「中立国」意外は全て参戦国ということであってますか?--126.116.128.37 2010年5月10日 (月) 14:00 (UTC)
翌12月9日、ドイツもアメリカに宣戦布告
[編集]「翌12月9日、ドイツもアメリカに宣戦布告し、他の条約参加国も追随した。」とありますが、ドイツがアメリカに対して宣戦布告を行ったのは12月11日ではないでしょうか?--以上の署名のないコメントは、116.67.225.192(会話/Whois)さんが 2012年1月11日 (水) 10:03 に投稿したものです(Hk19720904shine(会話)による付記)。