ノート:林道桑谷蒲郡線
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本記事について幾つかの疑問点があります。
[編集]まず現在の記事名は「林道桑谷蒲郡線」となっていますが、愛知県の鳥獣保護区に関する資料で「岡崎市桑谷町地内の県道生平幸田線と市道桑谷蒲郡線との交点を起点として」という記述が確認できます。
言うまでもなく「県道生平幸田線」というのは愛知県道324号生平幸田線のことであり、同じ自治体(この場合は岡崎市)において違う道路に同じ名称を付けることは無いので、桑谷町地内にある「桑谷蒲郡線」と言えば本記事が指している道路以外にあり得ません。すると先の資料にある「交点」というのは北側から愛知県道326号桑谷柱線が生平幸田線に接続している「桑谷町交差点」(北緯34度53分32.86秒 東経137度13分09.27秒 / 北緯34.8924611度 東経137.2192417度)で、ここが道路の起点と言うことになります。
もちろん、広義の林道であるのは間違いないにしても、本来の記事名は「市道桑谷蒲郡線」になるんじゃねーかと。あと、そうであるなら起点の記述は修正が必要になります。どうなんでしょその辺り?--KAMUI 2010年11月26日 (金) 11:02 (UTC)
ご質問ありがとうございます。
[編集]- 記事名についてですが、実は立ち上げるときにはあれこれ候補があってどれにしようかと考えました。
- 「岡崎市林道桑谷蒲郡線」
- 「桑谷蒲郡線」
- 「桑谷蒲郡線 (岡崎市)」
- 「桑谷蒲郡線 (愛知県)」
- 「桑谷蒲郡線 (林道)」
などがありました。 そこで「実際、現場はどうなのか。」正確を期すため確認に岡崎市桑谷町まで、田んぼと山しかない郊外まで繰り出しました。するとくどいほどに何箇所か「林道 桑谷蒲郡線」という文字が踊りだしました。ですので記事名「林道桑谷蒲郡線」とさせていただきました。
- 「起点」については実際に工区・改修年度ごとに異なって林道起点の銘板が林道各所にあり紛らわしいですが、実務上、ここから林道であるということが明確に分かる林道標識が起点となります。実際「林道桑谷蒲郡線開通記念碑」(平成3年3月2日建之)があるのはそれより50メートルくらい先の待避所がある場所です。
- これが全線です→桑谷蒲郡線 Googleマップ(始点・終点の写真あり)
- 林道は林道ですが、へたな県道よりもじゅうぶんに噛みごたえのある道です。林務としての役割は当然にあるのですが、桑谷蒲郡線はレクリエーション的特長が極めて強い路線です。周辺には桑谷キャンプ場や桑谷展望台、桑谷山荘などがあり桑谷山系遊歩道などが整備されていて、林道中には案内看板があってハイキングで通行しますし、思いのほか一般の自動車が通行します。沿道に椿を植えたりだと手が加えられていて、岡崎市の観光文化的にもこれは取り上げる価値がある、と思い記事にしました。
- 中部電力の路線名でいえば「幸田新三河線」の一部になります。
- 検索するとまず出てくるオンボードカメラの動画はまさに林道の最初から最後まで登りきる様子を映しています。
- 桑谷町交差点から南へ1.5キロ弱の区間の市道は道路標識や道路標示がしっかりあります。林道には入口と出口に「20以下」とアスファルト舗装の上に橙色のペイントがされてているだけで、あとはカーブミラーがあるだけです。道路法によらない道路です(日本の道路)。
- 鳥獣保護区域の指定は点と点を結んだ面を文字に表すとあのような記述になると思います。
- この時期、椿の花は咲いていませんが、紅葉の色合いが綺麗です。山間に見える黄色や紅色の景色に心ひかれます。どうしてもインターネット上の検索だけで解決しようとすると分からない部分がたくさんあると思います。実際に現地に足を運んで汗してみるといろいろなことが分かると思います。野辺地蔵由来だったり、道標だったり、林道の遵守事項だったり、採石場のことだったり、自然だったり、いろいろ。--60.40.47.174 2010年11月27日 (土) 19:51 (UTC)
- お返事ありがとうございます。ウィキペディアの記事としてはよほどの常識でない限りはWikipedia:検証可能性を満たす必要があると思いましたので質問致しました。道路の現状については現地確認も役に立ちますが(私も遺跡関係の記事を書く際には可能な限り現地に行きますし)、やはり資料に基づいた方が良いとは思います。また、道の歴史に関する以下の部分などについては何らかの資料に基づいた記述であることを提示すべきかと。
- 「古道を林道に転用~」
- 「徳川家康が~」
- その辺り、可能であればご検討ください。--KAMUI 2010年11月29日 (月) 12:48 (UTC)
- お返事ありがとうございます。ウィキペディアの記事としてはよほどの常識でない限りはWikipedia:検証可能性を満たす必要があると思いましたので質問致しました。道路の現状については現地確認も役に立ちますが(私も遺跡関係の記事を書く際には可能な限り現地に行きますし)、やはり資料に基づいた方が良いとは思います。また、道の歴史に関する以下の部分などについては何らかの資料に基づいた記述であることを提示すべきかと。
- 少し勇み足だったかもしれません。見聞してすでに知っている事柄、いわば蘊蓄のような部分が交錯しています。
- 家康のくだりは、上ノ郷城攻めで扇子山の陣を張る道程で桑谷村から山越えしていったという事柄です。ただ、気になったので時間の合間を縫って洗い出しをしました。郷土資料はあるものの、それを裏付ける決定的な資料その他の二次資料が見当たりませんでした(もっと捜索すればあるのかもしれません。残念。)。歴史という分野が関わっており断定調を避けるために「~といわれる」程度にしておきましたが、やはり記事内では誤解を避けるため「~と推定される」くらいにとどめてておき、一文をあとでコメントアウトしておきます。
- 古道のくだりについてですが、「古道」というと熊野古道のような壮大な印象を与えかねなかったのかもしれませんが、単に「古い道」のことで、「旧道」とでもいいましょうか、もとからある踏み固めた道という意味で大したことはありません。ここはあとで言い回しを替えておきます。実際、事業用に山の斜面を切り取ったり、岩盤を削岩したりして完全にイコールではありません。登山道のような険しい往還道を自動車が通行できる程度に改良。山間部の国道や県道などクネクネとした線形の道路などは多くは元林道で、のちに道路法の規格へ改良したものが多いと聞きます(知識)。その昔のはなし、桑谷はその名の通り「桑」があってお蚕さんの繭からつくる絹が産物で、山越えはするが隣町との交流があった(知識)。
- 少し勇み足だったかもしれません。見聞してすでに知っている事柄、いわば蘊蓄のような部分が交錯しています。
- あとは、この方面に詳しい方や関心を持っていただいた方の自由な編集に任せますので、ご容赦願います。--60.40.47.174 2010年12月6日 (月) 19:25 (UTC)