コンテンツにスキップ

ノート:松本智津夫/判決以前ログ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

記事が書かれてから随分経過しているので今更かもしれませんが、一連の出来事について、まだ裁判の途上であるにもかかわらず、断定的に記述するのは問題があるのではないでしょうか? Hiruandon

同感です。ウィキペディアでは中立性の定義は、対立意見があるかどうかなので、これらの犯行が彼の手による/指示によるもの、という意見以外の意見がどの程度あるかにもよると思いますが。あと、この部分だけ読むと彼自らが人を殺したように感じるのは僕だけでしょうか。Tomos 04:53 2003年11月8日 (UTC)
ウィキペディアの中立性以前に道義的な問題があると思います。死後かなり経過した人物であれば、事実関係が明確であれば問題ないでしょうが、松本智津夫氏に限らず、ウィキペディアの記事への記載は、個人に対する名誉毀損を正当化するほどの公益性はないと思います。 Hiruandon
公益性がなく、かつ根拠もないとしたら道義的というよりは法的な問題のような気もしますが。。^^;) かなり素朴な疑問ですが、特定の容疑が証拠不十分とされてしまう可能性などはないのでしょうか? もしあるとすれば、ここに既に立証された事実であるかのように書いておくのはよくないでしょうね。 ただ、彼を擁護するなり、検察側の立てた議論に反論するような有力な議論があるのかどうか僕は知らないのですが、どうなのでしょうか。あればそれを紹介すればよいし、なければ「但し犯罪にまつわる以下の記述は検察側の主張によるもので、必ずしも立証されたものではない」とか何とかだけでも付け加えておくというのはどうでしょうか? Tomos 01:46 2003年11月12日 (UTC)

オウム信者必死だな

記事を検閲しても、犯した罪は消えはしない。

仰るとおり、記事を検閲しても罪は消えません。ただ、思い込みによって人は簡単に事実を誤認してしまいます。(私がオウム信者だと事実誤認している人がいるように...)