ノート:松前慶広
「デタラメを除去!改正三河後風土記に記述なし!」について
[編集]ご指摘ありがとうございます。当該部分を加筆した者です。180.197.161.165さんのご指摘に関して、現段階でのお返事を書いておきます。
- 加筆に用いた『郷土史事典 北海道』をもう一度確認してみます。
- 三河後風土記の記事によれば、『三河後風土記』と180.197.161.165さんが示した『改正三河後風土記』は、同一のものではありません。後者は前者を基に改編・校正をしたものとのことです。したがって『改正三河後風土記』には出ていなくても、『三河後風土記』には出ている、ということは有り得ることかなあと考えます。
- 180.197.161.165さんが示したリンクは、『改正三河後風土記』の「九戸再乱の事」という部分です。ざっと眺めた感じでは、確かにここには松前慶広やアイヌのことなど全く書いていないようです。しかし、これは『改正三河後風土記』の下巻502ページのほんの1,2ページに過ぎません。松前慶広やアイヌのことは別の場所に出てくるという可能性も当然あります。180.197.161.165さんは上下巻全ページを検証した上でおっしゃっているのでしょうか?
- とはいえ、ご指摘は興味深いところでありますので、もういちど『郷土史事典 北海道』、場合によってはそのほか周辺の文献もあたってみようと思います。
- もし仮に、『郷土史事典 北海道』には確かに『三河後風土記』に記載がある、と書かれていた場合には、何らかの注記をしつつ、記述を復帰することになると思います。この場合、もし反対されるのであれば、<『三河後風土記』にはそんな記載はない>という出典を示していただく必要があると思います。『改正三河後風土記』を直接示して書いてないだろうと言うには、上述のように全ページを検証する必要があると思いますが、それは「一次資料」に該当することになるだろうと思います。もちろん同時に、『郷土史事典 北海道』の信頼性も検討する必要があるでしょう。--零細系統保護協会(会話) 2014年1月1日 (水) 07:46 (UTC)
(追記)サッとググった結果で申し訳ないのですが、こんなものがありました。八雲町公式HP デジタル八雲町史の第4章松前藩の成立です。このように書いてあります。<“三河後風土記”によれば、「蝦夷人の発する矢は、敵に当たらざる事なく、縦(たと)ひ薄手の輩も死ざる者はなかりけり」として極めて注目をひいており>。
少なくとも、「デタラメ」ではないことはひとまずこれで示せるかなあと思います。八雲町の記述がどれだけ信頼性のあるものか、ということはまた別に評価される必要はあるのかもしれませんけども。--零細系統保護協会(会話) 2014年1月1日 (水) 07:54 (UTC)
(報告)三河後風土記に、当該の記述がありました。ただしここでは「毒矢」関連の話はあるものの、<この際に多数のアイヌを動員してきたことで、慶広がアイヌを束ねていると豊臣政権に印象づけた>という主旨は直接読み取ることはできません。この主旨は、『郷土史事典 北海道』の著者が『三河後風土記』などをベースに研究して見出した解釈なのかもしれません。その場合にには、あとは『郷土史事典 北海道』にこういう主旨のことが書いてあれば、当初の記述の妥当性が証明できると思います。
いずれにしろ、本文で示した『三河後風土記』とは異なる文献(『改正三河後風土記』)を示して「デタラメ」と決めつけるというのは極めて不適切であり、180.197.161.165さんには強く反省を求めます。--零細系統保護協会(会話) 2014年1月1日 (水) 09:24 (UTC)