ノート:東金御成街道
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この項目について
[編集]御成街道の内容をそのまま東金御成街道へ移動して、御成街道の項目は曖昧さを回避するためのページにしました。リンク元の修正も済ませました。 (Tak1701d)
- 東金御成街道というのは国土交通省POVで、徳川家康が造成した道としては御成街道が正しい記事名ではないでしょうか?、従って曖昧回避が必要なら、「御成街道 (千葉県)」のようにすべきだと思われます。
- なお、Tak1701d氏は、日光御成街道も御成街道だとしているのですが、小泉純一郎の名前を一郎だと強弁しているようなもので、日光御成街道は純一郎と同じく固有名詞であり、日光御成街道であって御成街道ではないでしょう。
- またこの記事の[初版は、御成街道の2007年1月30日の版のコピペのように見受けられるのですが、これも問題ではないでしょうか?--121.113.84.108 2013年10月3日 (木) 06:47 (UTC)
- 矛盾があるのは困りものだと思っただけで編集した内容にこだわるわけではなく、また八鶴湖に至る道路が一直線でないのは地図を見れば明らかであり出典を要することのようには思えないのですが、『角川日本地名大辞典 12 千葉県』に「千葉県蚕糸センターから八鶴湖へ至る経路は不明」との記載がありましたので、追記しました。また、東金市田間から山武市小松までの部分について『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』は「御成新道」と呼ばれるとしているのですが、同時に作られたとも書いてあり「新道」とすると後の造成と錯覚しますので、注記は付けたのですが「砂押街道」のままで良いと思います。なお、軍事国道特1号の下志津駐屯地から四街道方面が御成街道ではない、ということについても出典を要することのようも思えません。そうだったら一直線の道路とは言えないわけで、出典がどうのという前に矛盾があるのは感心できません。一直線かどうかは地図を見れば判るということです。その他、併せて書式も整えてみましたのでご検討ください。--121.113.84.108 2013年10月10日 (木) 03:39 (UTC)
- P.S 千葉国道事務所のホームページについては、あまり刺激しないほうがよさそうなのでコメントアウトしておきます。--121.113.84.108 2013年10月10日 (木) 03:42 (UTC)
- 折角調べた出典ですので、千葉県道124号緑海東金線に反映しておきます。--121.113.84.108 2013年10月13日 (日) 07:04 (UTC)
この項目の初版は御成街道に書かれていた記事です。改名提案はしましたが、移動の際にコピペをしてしまいました。 当時、ウィキペディアのルールを十分に理解していなかった私の不手際です。ノート:御成街道の消去の件も併せてお詫び申し上げます。 この問題を解消させるためにどうしたらよいでしょうか?--Tak1701d(会話) 2013年10月10日 (木) 08:48 (UTC)
- 変なことに巻き込んでしまって申し訳ありません。私はただ単に一直線の道路と書いてあるのに地図を見ると曲がりくねっているのでそれを問題としただけなのですが、そして要出典ということなので図書館に行って、『角川日本地名大辞典 12 千葉県』と『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』を調べて出典を付けてみたのですが、折角調べた出典ごとリバートされてしまい結局何のことかわかりません。最早Tak1701dさんや私の手に負えることではなさそうですので、ほっておくしかないのではないでしょうか。--121.113.84.108 2013年10月10日 (木) 22:22 (UTC)
- こんばんは。失礼します。利用者:Round watch(会話 / 投稿記録 / 記録)さんが2回リバートをされていますね。121.113.84.108さんの1回目の加筆は出典を明記されなかった点で落ち度があったかと思いますが、2回目の加筆に対して単純に差し戻すことは疑問を感じます。それと、一直線かどうかについては、個人的な主観の反映となってしまうため、第三者言及=出典に基づいて記述するほうが望ましいでしょう。Round watchさんのリバート後の編集(<br />の追加)は、WP:JPEに反しますので、むしろそちらの方が問題あると感じます。当該道路に対しては121.113.84.108さんの方がはるかに多くの知見をお持ちかと思いますので、私からは手を下さず静観させていただきますが、加筆は正当なものと考えますので、もう一度差し戻しの上編集なさることを支持いたします。--みちまん(会話) 2013年10月13日 (日) 14:02 (UTC)
- お申し出ありがとうございます。当初は深く考えたわけではなかったのですが、折角図書館に行って『角川日本地名大辞典 12 千葉県』と『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』を調べたものですから、お言葉に甘え再度書き直してみました。なお、『角川日本地名大辞典 12 千葉県』には「船橋市から千葉市東部を経て東金市に至るほぼ一直線の街道、延長約37ロメートル」と書いてありましたので、122.17.59.83さんの編集は活かしました。名前をどういうにしろ、実際に造成された一直線の道路は東金までの37キロメートルではなく、山武市小松まで(50キロメートルくらいあるかも知れません)であり、八街市滝台から東金への経路が不明だと言っているのですから矛盾しており、また、たかだか100年ちょっと前のことが不明というのは、同時に造成されたにも拘わらず「新道」と言うことと併せ不明朗なものを感じるのですが、事を荒立てない方が良さそうだということです。「出典の明記」のタグについての判断はお任せしますので、併せてよろしくお願いします。--121.113.84.108 2013年10月14日 (月) 03:54 (UTC)