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ノート:東北地方/過去ログ1

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「(特に仙台は日本でも有数の大都市であるにも関わらず)東北というとどこか垢抜けないイメージがあり」というくだりは、あまりにも主観的であり、また東北地方の説明と直接関係ないので削除しました。 あくまでも百科事典であることを忘れず、個人的な主観は控えていただきたいです。

記事全般について

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  • 非常に豊富な内容になっており、東北人として心を引かれるものがあるのは確かです。ただ、記事に定義をはっきりさせていない造語があるのは少々気になります。また、誰でも編集できるウィキペディアの性格上、どうしてもトリビア的内容により記事がふくらむのはやむを得ませんが、若干個人的主観ではないかと思われる部分もみられます。私は、能力の及ぶ範囲でこの記事を補強していきたいと思います。駄言 2006年5月24日 (水) 14:09 (UTC)

東北地方内区分について

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  • 文中で「政治勢力性」「商業勢力性」の定義がなされていません。「内陸国」「沿岸国」ならば比喩的表現として何となくわかるのですが。
  • 三陸や下北は、少なくとも地域住民(あるいは県民)の意識としては独自の圏域として認識されていることでしょうが、経済的、都市機能的(医療・行政など)には、盛岡・八戸・青森などに依存するところもあるでしょう。(以上、2箇条は駄言 2006年5月24日 (水) 14:37 (UTC)


  • 先程この記事「東北地方内区分について」を修正させて頂きましたが、疑問が御座いますのでこちらに御報告させて頂きます事を何卒ご了承下さい。

古代の東北地方において、(1)多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚や奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「商業勢力の地盤」の境界であった出羽山地による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。

こちらの引用文の「出羽山地」で御座いますが、奥羽山脈ではないかと判断し、修正させて頂きました。もし間違いでしたら大変申し訳御座いません。--Prometheus 2008年1月28日 (月) 18:02 (UTC)

歴史について

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  • 以下の記述について、疑問があります。

この時期、戊辰戦争の敗北によって収入(秩禄)を失った家臣団や、秩禄処分によって経済的に困窮した武士階級の北海道移住(経済難民)が進んだ。知識階級でもあった武士階級を大量に失った東北地方では、知識階級の層が薄くなり、後の経済発展の遅れを生んだ。知識階級の流出は、現在にも尾を引いており、東北と北陸東部(新潟県)の「大学進学率」や「高学歴住民の割合」は、他の地方に比べて低い。 (以上、近代の項目より)

 確かに、いわゆる佐幕派であった仙台藩や会津藩を擁する宮城県・福島県はこれにあてはまるかもしれません。しかし、途中から奥羽越列藩同盟を抜けて官軍に味方をした秋田藩・弘前藩を擁する秋田県・青森県でも知識階級の流出の問題は同様であり、大学進学率の低さはむしろこの両県でこそ目立ちます。  おそらく、武士の流出が知識階級の薄さに必ずしも直結していないのでしょう。  知識階級の薄さ、進学率の低さについて、どなたかご存じの方に修正をお願いしたいと思います。 駄言 2006年6月22日 (木) 03:42 (UTC)

進学率や学問・教養水準は、その地域の住民の知的レベルよりも所得水準に比例します。勝ち組みであるはずの秋田・津軽に対しても明治政府は東北として一括した振興策をとっており、他の同盟諸国と同様の衰退に陥ってしまったことが原因だと言えます。 逆に、東北諸地域からは明治以降、日本近代を担った大学者・大政治家など高名な人材が数多く現れます。いずれも戊辰戦争の敗北の屈辱をバネに努力された方々です。そういうことも明記しなければならないと思います。


ところで、古代の東北地方の抵抗についてですが、安倍氏の領域は奥六郡に限られたものではありません。奥州12年戦争の時には安倍氏側にも源氏側にも「奥六郡」と言う意識は全くありませんでした。根本資料の「陸奥話記」にも奥六郡の描写は全くありません。岩手大学の名誉教授高橋崇によれば「奥六郡」は安倍氏を矮小化するために後代に加筆されたものだそうです。おそらくそうでしょう。 「陸奥話記」でも朝廷の諸記録でも安倍氏の活動領域は下北半島から仙台平野にいたる広大な地域です。とても奥六郡に留まるものではありません。 東北地方における古代の抵抗、特に安倍氏の抵抗を記述する際に「奥六郡」を持ち出すことは誤解を招くので止めたほうが良いと思います。


  • 以前の議論の蒸し返しかもしれませんが、東北地方からの知識階級の流出の問題は、実はある程度全国的な問題で、しかも、現代の問題であるかも知れません。たしかに、東北地方出身者のなかには高名な人材は各分野に少なくはありませんが、地元で活躍している人はどれだけでしょうか? おそらく、よりよい条件のポストを求めて、大都市圏に集中するのでしょう。そう考えると、知識人(「武士」)の流出を戊辰戦争にさかのぼる問題と考えるには無理がありような気がします。駄言 2007年9月26日 (水) 03:50 (UTC)
    • 該当部の本文が削除されても異論はないのですが、一応、戊辰戦争前後の仙台藩を例に取ると、戊辰戦争前が表高62万石で実高100万石、敗戦で28万石に減封と言われています。これだと実高からみて1/3程度の所得減少なのですが、「宮城県の歴史」(山川出版社)の統計では、戊辰戦争前の知行高が77.3万石で敗戦後の扶助米高が4.6万石となっており、6.01%まで桁違いに収入が減ったようです。特に一門・上士などの上位ほど減収幅が大きく、一門は13.9万石が643.5石と0.46%まで減少、上士は1.40%まで減少。一方の下士・卒族などの下級武士は各々9.80%、11.47%まで減少です。後の秩禄処分においては、官軍側の藩は江戸時代の旧禄高を用いたのに対し、奥羽越列藩同盟の場合は、この減封後の扶助米の支給高を以って旧禄高とされたため、官軍側の藩士の秩禄処分後の北海道移住とは切実さが異なると思います。また、東北地方の藩は幕末に陣屋を置くなりして蝦夷地警備をした経験があるため、新政府から北海道移住の通達もありました。仙台藩には明治2年8月に通達があり、仙台藩内の旧知行高が他藩の大名並みだった最上級の家格に属する重臣たちがその家臣団を連れて移住しました。知識階級は、一度失われたり減少したりすると回復が難しいので、少しは今の東北地方の状況に関係あるのかも知れません。でも、因果関係をはっきり証明するのは難しいので、Wikipedia的には削除が妥当かと思います。もね~るmoner 2007年9月28日 (金) 08:03 (UTC)
  • とりあえず、仙台藩で武士の大量流出があったことはわかりました。もちろん、途中で官軍側となった弘前藩でも財政難による知行借りあげ等で武士の困窮ぶりは程度の差こそあれ同様のようです。弘前藩の場合、北海道移住もあったようですが、領内の農村部への移住がありました。私としては、明治新政府が、権限と官職を中央に吸い上げたため、地方の武士たちが流出した、と考えていますが、はっきりした出典を示せませんので、当面、当該記述の完全削除は見合わせます。駄言 2007年9月29日 (土) 03:57 (UTC)

東北三法について

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東北開発株式会社法は昭和61年、北海道東北開発公庫は平成11年、東北開発促進法は平成17年にそれぞれ廃止されましたので、これに関する記述を削除したいのですが、あるいは「かつてこのような法律があった」と言う形にしたほうがよろしいのでしょうか?--Tuny 2007年2月19日 (月) 11:04 (UTC)

ご指摘に従って、法律の廃止年を書き込みました。これらの法律によって新潟県が東北地方に組み込まれる場合が生まれたので、記述を削除した場合、その経緯が分からなくなると思われます。新潟県が所属する地方が多様にされるようになった現状の理由を知るためにも、これらの法律があったことは記載しておくべきだと思われます。 もね~るmoner 2007年2月19日 (月) 22:56 (UTC)

現実、新潟県人は自分の県が東北地方とは思っていません。 また、日本中の人々が新潟県を東北地方だと思っているでしょうか? なぜ新潟県を東北に、ことさら強調して結び付けようとするのかは知りませんが、このスタンスを見ている限り新潟県をめぐる北陸論争を連想させられます。 それ程、新潟県と東北を結び付けたいなら、 「以前の法では東北に含まれていた(尚、東北三法は平成17年で全て廃止された)」とするのが現状及び経緯ともに正しく示しています。 新潟県の記述の「新潟県#新潟県の分類」の「法的には東北地方に含まれる」 の「法的に東北」と言う表現では、「現在も法的に東北」と言う意味になり事実に反する「虚偽」となります。2007年2月27日 (火) 23:17

東北地方#新潟県を東北地方に編入する場合」の「ただし、法的には新潟県が東北地方に区分される場合がある」

新潟市#新潟市の業務管轄地域」 の「所属する地方としては、中部地方(社会科・地理での分類)、北陸地方(五畿七道の分類)、関東甲信越(経済ブロックの分類)、東北地方(法的分類)」も新潟を「現行法的に東北」とする記述であり虚偽です。

正しくは(旧・法的分類)と記述するべきでしょう。2007年2月27日 (火) 23:35

国土形成計画法に基づく国土形成計画では国土形成計画法に基づく広域地方計画区域がつくられ、廃止された東北開発促進法などの旧・東北三法を踏襲して東北6県と新潟県の「東北7県」で地方ブロックの「東北圏」が決められました。この「東北圏」は、国土形成計画法施行令により、2007年4月1日から施行されます。そのため、現在、「東北7県」を「東北地方」とする法律には少なくとも地方行政連絡会議法があり、4月1日からは「東北7県」を「東北圏」とする政令が加わります。
政令施行前だったため、旧法の記述を越えてこの度の政令についての書き込みはしてませんでしたが、『新潟を「現行法的に東北」とする記述であり虚偽です』のように批判されるとなると、政令施行前ではありますが、記述内容を考慮しなくてはならないかも知れません。
なお、これ以下は飽くまで個人的な意見ですが...
『現実、新潟県人は自分の県が東北地方とは思っていません。 また、日本中の人々が新潟県を東北地方だと思っているでしょうか?』と貴殿が書かれているように、新潟県民が東北地方を蔑視していることは重々承知してますし、「法的に新潟県は東北地方」との言葉に烈火の如く怒る新潟県民を何人も見ています。また、国の経済政策に基づいた「東北7県」の枠組みでは新潟県を特別待遇してあげないといちいち文句が出るし、新潟大学の内部資料に見られるように覇権主義的態度をとるし、東北電力が新潟スタジアム命名権に億単位の額を払っているのに「新潟は東北じゃない」とケチ付けるし、と、新潟県民の態度には辟易しているため、この度の政令では新潟県を除いた「東北6県」で「東北圏」にして欲しかったと個人的には思っています。もね~るmoner 2007年2月28日 (水) 02:25 (UTC)
 義務教育をきちんと受けた方なら誰でも、社会科の時間に「新潟県は中部地方である」と教わってきていることでしょう。(少なくとも私が)新潟県を東北扱いされる事に違和感を感じるのは、単にこれを素朴に受け入れているためであり、新潟県民が「東北地方を蔑視している」、「覇権主義的態度を」とっているといったもね~るmonerさんの発言は誹謗中傷であると言わざるをえません。確かに「違和感」を通り越して「嫌悪感」を露にしている人々は何人も存在しますが、彼らが240万県民の代表であるかのような認識を持たれるのはまったくもって心外です。
 それはさておき、新潟県を東北地方とする法律が確かにあるわけですから東北地方新潟市における記述は虚偽ではないと私は考えます。しかし、新潟県における「法的には東北地方に含まれる」と言う表現は「(新潟県は)あらゆる法律において東北地方とされている」かのような印象をもたらすと思われます。果たして上記の法律・政令はそれほどの影響力を持つものなのでしょうか?(もしその通りなのでしたら、これも修正する必要はないと考えます)
 本来はリンク先の各項目のノートに書き込むべきなのでしょうが、行きがかり上こちらに書かせていただくことに致しました。ご無礼のほど、お許しください。また、2月27日の発言者さんのリンクの記述を簡潔にさせていただきました(リンク先は変わっていないはずです)。あわせてご容赦ください。--Tuny 2007年2月28日 (水) 12:49 (UTC)


しかし、やたら「法的」表現が目に付きますが「全総」等の法律の実質的効力はどの位のレベルなのでしょうか?国土開発に関わる整備局として北陸地方整備局がこれらの法律等に反して実在するのは何故でしょうか?そして道州制案で新潟県が東北に分類されていない現実は何故なのでしょうか?国土整備の効率性を考えると国土形成計画法も実在する地方整備局管轄と合わせるのが本筋です。 もしかして、国土交通省内に新潟県を北陸に入れようとする勢力と、北陸から排除しようとする勢力が同時に存在していると言うのでしょうか?

それと、「法的」と言う単語を「新潟県、新潟市」関係のページで頻繁に使われますが、やめた方がいいですよ。 「法的」表現は北陸、信州、関東、東北と幅広く関係を持つ新潟県を東北地方のみに特別に強く結び付けるニュアンスがあります。 これは新潟県民の反発を招きます。 「法的」と言うならそれこそ、国政の根幹に関わる選挙で新潟県は「衆議院比例代表北陸信越ブロック」に属している事実もあります。 法律を作る国会で働く国会議員の選挙区もまた国が正式に定めた「法」と言えます。 新潟県が将来どの様な行政地域区分に属すのかはわかりませんが、「法的東北強調式」インターネットエンサイクロペディアはやはり不自然で変ですよ。2007年3月1日 (木) 1:14

出典の明記のお願い

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私はこの東北地方の記事を数回編集しましたが、独自研究と思われるものや出典がないものが多くあります。とりあえず要出典を張っておきました。私も出典探しをできるだけしますが、他の利用者の方々も出典の明記の協力をお願いいたします。--Wikiemon 2011年9月17日 (土) 12:30 (UTC)

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

東北地方」上の5個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月7日 (土) 18:42 (UTC)