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ノート:東京地下鉄道1000形電車

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東京地下鉄道東京高速鉄道の車両の記事名について

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営団1000形電車1200形電車100形電車はいずれも東京地下鉄道、東京高速鉄道時代にデビューしたため、「東京地下鉄道○○形電車」「東京高速鉄道○○形電車」という形に改題したいと思います。 --61.24.145.3 2008年1月14日 (月) 11:21 (UTC)[返信]

  • (賛成)提案そのものは理に叶っているので賛成です。ただ、提案の際は1200形・100形の冒頭は{{改名提案|東京××鉄道○○形電車|t=ノート:営団1000形電車}}で貼ってくだされば二重に告知・移動する手間も省けます。またWikipedia:改名提案への告知を行っていただければ、と思います(テンプレの貼り替え、改名提案告知は当方にて行わせていただきました)。
    また、IPユーザーは項目の移動ができないので、提案者の方は合意が形成されたと判断しましたら、このノートにて移動を提起の告知をされるか、移動依頼をお願いします。--七之輔/e56-129 2008年1月14日 (月) 16:39 (UTC)[返信]
  • (賛成)各形式とも特に異存ございません。--HATARA KEI 2008年1月15日 (火) 01:16 (UTC)[返信]
  • (賛成)東京地下鉄と営団車両の整合関係を考慮すれば、異存はありません。--Shinkansen 2008年1月23日 (水) 14:14 (UTC)[返信]
私の賛成票に先立ち、賛成で概ね合議がついていましたので、移動を実施しました。--Shinkansen 2008年1月25日 (金) 14:58 (UTC)[返信]

釣り合い梁式台車採用について

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「釣り合い梁式台車は釣り合い梁の線路からの高さが常にほぼ一定しており、第三軌条集電に用いる集電靴の取り付けに好適であったために採用されたものである。」という記述がありますが、この当時の私鉄向きの台車が釣り合い梁式であったことを考えると、それほど積極的な理由になっていたか疑問があります。 また、これが理由であれば、集電靴はイコライザに取付けるはずですが、1000形の古い写真を見ると、イコライザではなく、台車枠側に固定されているように見えます。

増備の1100形以降、当時の私鉄電車では例の少ない軸バネ式台車に変更していること、1000形自身も戦後に同様の台車に交換していることから、むしろ、釣り合い梁式台車は好まれなかったのではないかとも思います。--rs1421 2008年4月23日 (水) 13:47 (UTC)[返信]

1100形で台車が変更され、1000形でも軸ばね式台車への変更が戦後行われたことについては、1000形の日車D18・汽車3H共に組み立て式で保守上弛みが発生しないよう常時監視を要したことが最大の理由であったように思います。その論拠は以下の通り。
1.日本で2番目の地下鉄となった大阪市電気局は1933年の1号線開業までに東京地下鉄道についてもニューヨーク市地下鉄と共にかなり詳細な調査を行い、東京地下鉄が1930年の増備車で軸ばね式台車に変更した経緯も十分承知していたはずだが、それでも同局は保守の容易性を重視して一体鋳鋼製とした釣り合い梁式台車(当時ようやく製造可能となったもの)を選択している。このことからすると、この時点で東京地下鉄が保守の容易な鋳鋼製台車とするために、1100形で無理を押して製造の容易な軸ばね式台車を採用した疑いがある。
2.そもそも、軌道に対する不適合などが交換の原因であればもっと早期に交換が実施されているはずである。
3.大阪市電気局→交通局が100形のKS-63Lから戦後の600形に装着したKS-63Eまで釣り合い梁式で一貫し、かつ組み立て式の汽車ボールドウィン台車を装着した戦時設計の400形がその台車のボルト弛み故に保守陣から不評であったことからも明らかなように、暗いトンネル内での点検を行う必要のある地下鉄の場合、台車のメンテナンスフリー化が特に強く求められる。
4.東京地下鉄道1100・1200形で集電靴取り付けに苦労をした形跡(戦前撮影の写真を見ると、釣り合い梁に取り付けた時と同じ状態・位置関係を維持するためにかなり無理な、洗練から程遠い構造で支持しており、これは戦後東京高速鉄道100形の方式に改められている)があり、釣り合い梁式から軸ばね式への移行が台車そのものの性能の観点で積極的な理由を伴ったものであったか否かが疑われる。
5.旧台車の大半が交換後、譲渡先で1980年代まで実用に供され続けた(つまり、耐久性の点が問題で交換された訳ではない)。
以上を考慮すると、1100形での台車変更は釣り合い梁式であるか否かは重要ではなく、鋳鋼製側枠であることによるメンテナンスフリー性が重視されていたのではないかと思います。戦後の1000形の台車交換についても、労働運動が盛んであった当時の世相を考慮するとメンテナンス性向上による労働状況の改善が急務であったことが背景にあったとも考えられます。
後、念のために申し上げておきますと、軸ばね式台車そのものは路面電車に限らず1000形設計の時点では一般に使用に供されており、高速電車での使用例も存在します。その意味では、1000形が、そうして後発の大阪市が、共に何故釣り合い梁式台車を採用したのか、の方が問題の焦点となるでしょう。銀座線の走行速度を見れば明らかなように、あの線の運用状況では、当時高速電車に適するとされていた釣り合い梁式を採用する積極的理由の方がむしろ少ないのです。なお、東京・大阪共に参考にしたニューヨーク市地下鉄の場合、戦後(1947年)設計されたWNドライブのR10で変更されるまで、釣り合い梁式台車で一貫しています。ご参考まで。--HATARA KEI 2008年4月29日 (火) 17:32 (UTC)--HATARA KEI 2008年4月29日 (火) 20:15 (UTC)(追補訂正)[返信]
台車交換した理由については特に異存はありません。1000形のD18は初期の段階でブレーキを両抱き式に改造していますが、このときに両端に鋳造部品を追加して改造しているのも、台車枠弛みの問題が関係しているのかもしれません。ただ、D12クラスならともかく、D18で片押しブレーキにしたというのは不思議な話です。
1.に関連しますが、1100形のHA-18台車については、片野正巳氏の『昭和電車絵巻2』に「軸バネ式の台車は鋳物部品とアングルを組合せた汽車会社製の珍しいもの。鶴見臨港、横浜市電、九軌にも類似台車が存在したが、吉雄永春氏の調査によるとニューヨーク地下鉄がルーツらしい。」という記述を見つけました。吉雄氏の調査と言えば、近年の『レイル』のものか、大昔の『鉄道ピクトリアル』だと思いますが、手元には揃っていないので、後日調査したいと思います。なお、横浜市電とあるのは、1100形のLH形台車と思われますが、これはRM誌Webの「台車近影」に収録されています。
ニューヨーク市地下鉄に関して
上の「ニューヨーク地下鉄がルーツ」という記述が気になるので、英語版wikiから車両の写真を見て回りましたが、1930年製のR1の台車は、軸バネ式で汽車のHA-18類似の構造に見えます(少なくともイコライザ式でなく軸バネ式であることは確か。ただし、この系列は旧BMT)。多分、吉雄氏はこのあたりの台車のことを言っているのだと思われます。反対にR10以降2000年くらいまでのものは、川重・ボンバルディア製を含めイコライザ式でした。この台車は一体鋳鋼製のフレームですが、昔の「開拓使号」の台車のように、イコライザがぺデスタルの部分でフレームの内部に入り込む構造になっています。そのためか、集電靴は軸バネ式台車のように軸箱を結ぶ形で取付けられています。この方式は、日本メーカーにまで作らせているくらいなので、戦後~2000年ごろまでの標準だったのではないでしょうか。
ニューヨーク地下鉄に関しては、特に知識もないのですが、Webで調べた限りでは、上の「なお、東京・大阪共に参考にしたニューヨーク市地下鉄の場合、戦後(1947年)設計されたWNドライブのR10で変更されるまで、釣り合い梁式台車で一貫しています。」というのは、少し違うと思われます。
1000形がD18を採用した理由について
大阪市が鋳鋼フレームのイコライザ台車を好んでいたというのは、戦後まで一貫して採用していることからもわかりますが、東京の場合はそれもなく、1000形で特にイコライザ台車を指定したという話も聞きません。銀座線の速度からしてイコライザ式台車を採用する理由がないということですが、必要以上の高速向き台車が使われているということならば、現在でも同じことです。また、D18台車が採用例の少ないものならばともかく、この時代に自重35tの電車を日車に発注すれば、特別の理由がなければ標準品のD18を使用するのが当然だと考えます。東京やニューヨークの地下鉄を見ても、集電靴の取付けと釣り合い梁式採用にそこまでの関連性はないのではないか?というのが基本的な疑問です。
関連して4.ですが、集電靴の取付け方は戦前でも何度か変化しているようで、戦前の写真でもオリジナルとは限りません。オリジナルは100形、1100形、1200形共ほぼ同一の可能性(片野氏の著書ではそうなっている)もあります。「洗練と程遠い構造」というのがどれを指すのかわかりませんが、これはニューヨークでもいろいろです。1000形のオリジナルの方式もニューヨーク式のようですが、1200形あたりの鋼製チャンネル材と碍子による絶縁方式と同一の写真も見つかります。--rs1421 2008年4月30日 (水) 15:38 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。NYの件はご指摘の通りで、小生の勘違いです。お詫びし訂正いたします。ただ、ご指摘のR1の台車については鋳鋼主体のHA-18というよりは国鉄TR26-29などに近い鋼材組み立て構造で、何か別の採用意図があったようにも思います。その他、手持ちの資料を漁って再調査してみましたが、疑わしきは掲載せずということで釣り合い梁に関する記述を削除しました。ただ、銀座線の台車特性の件ですが、現行の01や1400以降2000までの台車を見る限りは、直進安定性の良すぎるOK台車を1500(初代)で一度は採用したもののそれ以降は採用せず、01ではカーブの多い京阪向けに住友が開発したFS-337をルーツとする側梁緩衝ゴム式のFS520/020(もっとも、これはどちらかと言えば京津線500向けFS503の系譜に連なるものですが)になったこと、それに1000と同時期の高野山デ101が曲線通過性能を重視して軸ばね式の汽車ボールドウィンL形台車をわざわざ採用していたことなどを考えると、上野駅前後の急カーブを初開業区間に含んでいた銀座線のあの線形で不適とまでは言わないにせよ、釣り合い梁式台車を何の疑問も抱かずに採用したことの方が小生にはむしろ不可思議(その意味では、後続の1100・1200で軸ばね、1300でウィングばね、という展開は自然です)であることは表明しておきます。--HATARA KEI 2008年5月1日 (木) 01:14 (UTC)[返信]

東京地下鉄1000系か、東京メトロ1000系か

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平成23年2月17日に東京地下鉄より01系の後継車である1000系の概要が発表されました。これに関連して、東京地下鉄1000系電車の項目が作成されました。しかし、時代を経てはいると言え、当項目の車両と同路線での運用予定であり、形式番号が同じであることと、社名が「東京地下鉄」、「東京地下鉄道」と酷似しており、辞典の項目としては改善対象ではないかと思われます。提案として、当項目を「'東京地下鉄道1000形(初代)」とするか、それとも件の新型車両の項目を「東京メトロ1000系」か「東京地下鉄1000系(2代)」にするべきなのでしょうが、御意見が在ればお願い致します。--てとらぽっと 2011年2月17日 (木) 15:33 (UTC)[返信]