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ノート:東京勧業博覧会

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竹の台陳列館

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  • 東京勧業博覧会で建てられたもの? or 内国勧業博覧会で建てられた?(ネット検索では両説あり、検証中)>勧業博が正しいか?
(引用)この竹の台陳列館というのは、明治40年上野公園で東京府勧業博覧会が行われたとき、その第二工業館として建てられたもので、博覧会終了後竹の台陳列館として(略)各種美術団体の利用にも供していたものである(略) (上野動物園百年史第1巻p89) >「第二工業館」は見当たらず。「第二号館」であろう[1]? 
  • 東京大正博覧会の際は、改修して「第三工業館」となった。[2]
(引用)東京勧業博覧会開設の際 建築せるものにして閉会後博物館に譲渡を為せしものなり 今回之を借入れ屋根其他に大修繕を加え且正面三ヶ所の入口には他の各館との対照上特に「セセッション」式の装飾壁を設けたり(略)木造 掘連(※堀建の誤植)漆喰塗(略)[3]原文はカタカナ書き
  • 博覧会の後、(宮内省)帝室博物館が管理しており、美術団体等に貸し出していた。文展の会場にもなった。位置は現在の都美術館と噴水の間あたり。もともと仮説建築であり、雨漏りなど問題が多かったようだ。
  • なお、上野の展示施設としてほかに、西郷像の近くに日本美術協会の陳列館があった(上野の森美術館の前身)。
  • 東京府美術館が開館(1925)した後、竹の台陳列館は移築されて、東京博物館(現在の科博)の施設に使われたようだ。後に倒壊?

 -- 2018年5月6日 (日) 16:00 (UTC) --忠太会話2018年5月7日 (月) 00:42 (UTC)[返信]