ノート:李容洙
この記事は2007年4月4日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
信頼性について
[編集]安秉直教授の引用が誤解されているようです、原本を読めばわかりますが、信用できない人もいたがこの人(李容洙)は大丈夫だというのが教授の趣旨で、それに沿った記述です。OzuYasu3rou 2007年4月17日 (火) 15:33 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月5日 (土) 06:36 (UTC)
荒らし(らしい書き込み)について
[編集]ナヌムの家のおばあさんを冒涜するような変な記事は絶対に俺は許さない。一度でもあそこにいったら絶対にへんな事をしないだろう。出所のない奴は必ず消すからねM0120-vbx 2007年4月25日 (水) 04:51 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月5日 (土) 06:36 (UTC)
強制連行について
[編集]安秉直教授が「挺身隊対策協議会が最初期に調査した40人の中で強制連行は2人だけであった」としたかどうかが編集の焦点と思いますが、本「証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会 明石書店 1993」にはそうした記述はありません。出典をつけてお書き下さい。OzuYasu3rou 2007年4月25日 (水) 15:33 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月5日 (土) 06:36 (UTC)
- 文玉珠のノート:文玉珠でも同様の指摘があります。 --Hatukanezumi 2007年9月2日 (日) 10:19 (UTC)
- 2004年、「1944年、16歳の時に連行され、3年間強制された」と証言したが、2007年の証言では「1944年15歳の時に連行され1945年に解放とされた」と修正申告。云々
- 編集合戦もようですが、除去と差し戻しを繰り返しているかたがたがいますので{{要出典}}を貼りました。
- 2004年の証言と2007年の証言が違うのではという指摘に、李容洙さん自身は云々
- 執筆者自身が{{要出典}}を貼っていますが、「講演会で聞いた」というのでは出典を明記したことになりません。講演会の講演録や、講演に取材したルポルタージュや新聞、雑誌の記事などを示してください。
出典が示されたらはがしてください。しかし、どうも喧嘩っ早いかたが多くて困ります。残暑はそろそろ終わりのようですが。 --Hatukanezumi 2007年9月2日 (日) 10:13 (UTC)
”戦争女性被害者”と明記は避けた方がよいでしょうか
[編集]私は2017年11月18日の時事通信の新聞を読み、李容洙さんが戦争女性被害者であったことを知りました。戦争女性被害者に起きた事実が、このWikipediaに書いてある通りだったとすると、身の毛がよだちます。この問題について、私達女性は愛とコンパッションを持って話さなくてはならず、同じ女性として彼女達に起きた不幸を可哀そうだと思わずにはいられません。日本はこの事実をしっかり胸に刻み、”未来の約束”まで繋げる必要があるのではないかなと感じました。つまり条約や法律などで、将来は絶対にこういうことはしないと約束をする事が必要なのではないかと考えました。Chika Ishii(会話) 2017年11月18日 (土) 00:37 (UTC)
身の上話を使い分ける才覚があり、
[編集]まるで証言が嘘であると決めつけ読者に宣伝するかのような ひどい文言の始まりである。
高校生の年代で慰安婦となり暴力にあい過酷な青春時代を送らざる得なかった女性にたいし
最初から嘘つきの才覚があるかのように思わせる文言は許せません
このような認識の人が記載すべきではありません。前面削除、記載した人は二度とwikipediaを
記載しないようお願いします。
異なった証言が存在するのは聞き手が面白く報道するために、かってに推測、創造、加筆して
ひろめた可能性があるのではないのですか
それぞれの報道された証言のいきさつ、関係者を調査し本当に発言したのかどうか裏付けをとってから
記載すべき、流布を集めてそれをすべて発言したことだと決めつけ心を傷つけるような文言は削除すべきです。