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ノート:朱元璋

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-600年以上も前の人で、写真が残っているわけでもないのに「一方はいかにも君子然とした温和そうな老人であり、もう一つはねじくれた顔をしたひ-どい人相のものである。後者が実像で、前者は画家に粉飾させたものである。」と断言してしまうのは百科事典的な厳密さに欠けるのではありますまいか。

怪しい典拠の文章とは?

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2008-04-04T21:34:10の版で一部の文章が消されてしまいましたが、怪しいというのはどういうことでしょう。ニュアンスは変わっているかもしれませんが、挙げた本にこういう意味の記述があることは間違いありません。--Freetrashbox 2008年4月4日 (金) 14:14 (UTC)[返信]

まず「怪しい」というのは言い過ぎました。すいません。
堺屋氏は小説家ですし、高島氏は中文が専門です。歴史に関しての「評価」や「考察」は歴史学者の物を載せるべきであって研究者でない方や研究者であっても専門がずれる人の「評価」や「考察」は載せるべできはないと考えた故の削除です。らりた 2008年4月5日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
そういうことでしたか。なかなか難しいところですな。
堺屋氏が何を根拠に書いているのか分かりませんが、小説以外にも著作があるようですし、「小説家だから」ということで掲載に値しないという判断は良くないと思います。「日本での受容」の節に移すとか「堺屋氏はこう考察している」という風に、本文と区別できるように書くというのはありだと思いますが。
一方、高島氏は典拠の無い事を書かない人です。「昔の文献に書かれている」ことを紹介するのに素人も玄人もないでしょう。例えば「光天の下、天は聖人を生ず」は趙翼の著書からの孫引きだそうです。またこのエピソードは壇上寛という人も「明の太祖 朱元璋」ISBN 4-89174-225-9 p.251で書いています。略歴によると、壇上寛氏は京都女子大学文学部教授で、明史関係の著述がいくつかあるようです。(ついでながらこの本には「賊」と「則」のエピソードについても書かれています。)
毛沢東の「深挖洞、広積糧、不称覇」との関係も残しておきたいです。毛沢東がこう言ったとされているのは確かですし、(例えば[1])これが「高築牆、広積糧、緩称王」(明史では「高築牆,廣積糧,緩稱王」となってますが)と似ているかどうかぐらいなら高島氏にも発言する権利はあると思います。いかがでしょうか。--Freetrashbox 2008年4月5日 (土) 15:05 (UTC)[返信]
特に意見がないようであれば、明日にでも戻します。よろしくお願いします。--Freetrashbox 2008年4月7日 (月) 14:40 (UTC)[返信]
とりあえず堺屋氏の考察を元に戻すのは止めてほしいです。小説家が行う考察と歴史学者が行う考察とでは意味が違います。歴史学者には飛躍は許されませんが、小説家は飛躍がないと作品が面白くなりません。そういう職業なのであり、その考察をウィキペディアに載せるのは良くないと思います。
事実関係のことに関しては出来れば原典のほうを出展としてほしいです。趙翼だったら『二十二史箚記』でしょうか?また毛沢東との関係については、毛沢東が洪武帝と似た言葉を言っているというだけならば別段問題は無いのですが、それと洪武帝と毛沢東が似ているということになるとこれは考察になるでしょう。これもあまり受け入れがたい代物です。
戻されるならば戻すのは構いませんが、小説家や非専門家の文章は良い出典ではないということはご理解ください。
中国史関連で言えば、陳舜臣氏の『中国の歴史』は非常に信頼度も高い物ですが、これも出典としてはまず不可です。事実考察は歴史学者の仕事、創作は小説家の仕事。両者は区別されるべきです。らりた 2008年4月8日 (火) 10:24 (UTC)[返信]
あまり言い争っても仕方が無いので、堺屋氏は飛躍を混ぜている可能性があるので不可、高島氏は飛躍を混ぜる可能性が少ないので可として一部戻します。(なお堺屋氏の本は、呉晗の著書の翻訳+堺屋氏の注釈の形を取っており、引用の一部に呉晗の記述が含まれますが、とりあえずこれも除きます。)
それとおっしゃるとおり、趙翼の著書は『二十二史箚記』だそうです。私が見るところ(というほどのこともないけど)「明初文字之禍」の章でしょう。しかし、十分に文献を読まずに「二十二史箚記にはこう書かれている」とするのも引用の慣例に反しますので、高島氏の著書からの引用の形に戻します。他の人がこれを読み込んで原典からの引用に直すのは別にかまいません。むしろそれが好ましいと私も思います。--Freetrashbox 2008年4月8日 (火) 15:30 (UTC)[返信]

朱元璋の主な粛清事件

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朱元璋の主な粛清事件の主な粛清事件は、川越泰博「明代中国の疑獄事件」(詳細)によると以下のものがあげられるそうです。

  • 洪武9年(1976年) - 空印事件(空印の案)
  • 洪武13年(1380年) - 胡惟庸の獄
  • 洪武18年(1985年) - 郭桓事件(郭桓の案)
  • 洪武23年(1390年) - 李善長の獄(胡党事件)
  • 洪武26年(1393年) - 藍玉の獄

これらを全部まとめる総称で単独記事にしてはどうでしょうか?--経済準学士 2010年2月2日 (火) 15:12 (UTC)[返信]