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ノート:本體楊心流

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記事統合の提案

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この本體楊心流の記事と普門楊心流の記事は内容が重複しているので、どちらかに統合すべきと思われます。Himazin 2006年3月14日 (火) 13:26 (UTC)[返信]

普門楊心流に統合に1票です。

*本文にて指摘した通り、現在の本體楊心流の内容は、普門楊心流の内容と完全に同一であるわけではありません。したがって、以前のように、「本體楊心流」から「普門楊心流」にリダイレクトされている状態は、普門楊心流イコール現在の本體楊心流という誤解をまねく恐れがあると考え、今回このように投稿させていただきました。 流派の成立についての考察は、立場によって必ずしも一致はしないでしょうし、本體楊心流イコール普門楊心流ではないとすれば、両項目が並立していても問題は少ないと考えますがいかがでしょう。inyou


二・三の点について

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まず、名称の問題ですが、一般的には、「本體楊心高木流」や「高木楊心流」という呼称が使用されているようですから、これをこの項の説明文中に採用することには依存ありません。しかし、石谷伝高木流の伝書には「本體楊心流高木流」との記載があり、むしろ「本體楊心高木流」という名称の方が、略称というべきではないかと考えます。「○○流××流」という呼称は、高木流だけに見られるものではなく、「高麗流八条流」など、他の流派にも見られ、別段奇異な名称ではありません。したがって、百科事典としての記述に、もともとの「本體楊心流高木流」の呼称を流派名の呼称の一つの実例として記載することは、特に不都合ではないと考えますがいかがでしょうか。

次に、現在、本體楊心流として教授されている内容に、金沢伝の技法の一部等が含まれていることは、明確に「事実」であり、私自身、井上剛宗俊より、金沢伝の技法の教授を受けております。「210.170.214.172」さんは、「一方の主張をそのまま鵜呑みにするだけでは、武術史においては『事実』なぞ何も見えない」との意見を付しておられますが、それでは現在の本體楊心流が普門楊心流とまったく同一でいささかの変化もないということを、ご自身が確認しておられるのでしょうか。inyou

その井上剛先生に昭和50年代に確認したんですがね。本體楊心流は 皆木先生-井上先生 という系譜のはずですが、あえて金沢先生からの流れを強調し皆木先生をないがしろにしてまで普門楊心流との差異を強調する貴方の意図を疑います。井上先生が皆木先生以外の師範に師事していたのは皆木先生御存命中のことであり皆木先生の方針によるものです。それを皆木先生の技法からの脱却ととらえるならば不見識も甚だしいです。それと「金沢伝の技法の教授を受けて」おられるとのことですが、金沢伝の技法を区別できることこそ、本来の本體楊心流の内容ではない別伝もしくは付伝ということになると思います。

名称については、いくつかの系統の師範に確認しましたが、本體楊心流の系統のみが「本體楊心流高木流」でそれ以外は「本體楊心高木流」か「高木楊心流」です。 これ以上の書き込みはこちらの身元を特定される可能性があるのでここでやめておきます。

  • まず、名称の点についてですが、繰り返しになりますが、石谷伝の高木流の資料の中に、「本體用楊心流高木流」という名称があるのは事実です。「いくつかの系統の師範」がお持ちの伝書にはそのような名称が無いのかもしれませんが、実際に使用している例がある、ということです。現在の本體楊心流だけが、そのような名称を主張しているわけではありません。

 第二に、現在の本體楊心流に金沢伝の技法が加えられている、という事実を述べることが、なぜ「皆木先生をないがしろ」にする事になるのか私には理解ができません。また、私の書きこみは、「皆木伝からの脱却」などというものを強調する意図はまったくないことも申し添えておきます。

 我々本體楊心流の門弟は、皆木師と金沢師の双方から伝承された技術を学ぶ事に誇りを感じ、この両師を顕彰したいと思いこそすれ、これをおとしめるような気持があるはずがありません。皆木師の「創造性の無い武道は前進しない」という教えにしたがって、本體楊心流の技法に金沢伝その他の技法を加えるなどの井上剛宗俊以降の宗家の研鑚によって、現在の本體楊心流の体系の中では金沢伝を「別伝」として区別するようなことは実態として適当ではありません。こうした点からいえば、普門楊心流イコール現在の本體楊心流としてと認識されることは誤解であるということを述べたに過ぎません。--Inyou 2006年4月9日 (日) 14:23 (UTC) [返信]

名称について不十分な記述でした。

伝書に記されている「本體楊心流高木流」を、本體楊心流の系統のみが「本體楊心流高木流」とそのまま読み、それ以外の系統は「本體楊心高木流」と読むという意味です。

金沢伝については「井上先生が皆木先生以外の師範に師事していたのは皆木先生御存命中のことであり皆木先生の方針によるもの」という部分をよく考えてみてくださいというしかありません。皆木先生は自らの流儀を改変させるために井上先生に他の師範に師事させたわけではありません。祖流を修行させることにより、皆木先生の技法をより理解させるためです。たとえ改変が加えられても、それは皆木先生の了承のもとで行われたことです。現在の公式では普門楊心流を継承している流派としているか、普門楊心流を発展的に解消したとなっているかは知りませんが、普門楊心流から新流を開いたとはしていないでしょう?

あと、どこかの記事のノートに人名表記についての議論があり、名と諱を続けて記載するのは本人が記す以外は不正という結論になっていたと思います。この基準を適用すると、諱が用いられなくなった時代の人名に古武道界でしか通用しない諱を記すのはどうかと思われます。できればこの点はご協力ください。

私の文意を最後まで理解していただけなかったのは残念ですが、こちらの身元を特定される可能性があるのでここに書き込むのは最後にします。

  • 名称について、「読み」の問題であるということについて了解いたしました。私が「本體楊心流高木流」という表記にこだわるのは、高木流のある慣習に関連してのことなのですが、これはここに書き込んでよい内容かどうかどうか判断に迷うのですいませんが今回はその理由を例示することは避けさせてください。

 人名表記についての基準についてはまったく存じませんでしたので、本文からいわゆる「武名」を削除します。もうしわけありませんでした。

 井上剛が皆木師に入門したのは、金沢師の指示であり、皆木師の指示によって金沢師に入門したという事ではありません。両師は兄弟門弟として(当然ですが)古くから交流がありました。これについても流派内の事とて、詳しくは述べられませんが、ご指摘の通り、金沢伝の伝習は皆木師の意図に反するものではなかったと考えます。そうであってみれば、やはり私には、現在金沢伝の教授が行われている事を付記する事に問題があるとは感じられません。もちろん現在の本體楊心流が普門楊心流から新流を開いたものなどと認識しているわけでもありません。 私も私の文意を最後まで理解していただけなかったことを残念に思っております。--Inyou 2006年4月9日 (日) 16:14 (UTC)[返信]