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ノート:末法思想

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森説について

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森新之介の説は新奇すぎて、あまり大きく扱うのは問題あり。説の発表後、3人、4人...と他のまともな学者も賛同してゆく場合は、真面目に扱うに値すると思われるが。だが、今後、森説が無視されたり批判されるようならば、難ありと見なされたことになる。

今まで末法・末代を区別して分析した論文が無かった、としても、それはあくまで論文がなかったということしか意味せず、その場合、まともな科学ならば「(調査が無いので)何も言えない。自分も何も言えない」とするのが正しい判断であって、それに対して「末代は漢文の概念のほうを指しているに決まっている」と断定しては、確たる証拠が無いのに論理的な飛躍や大胆な推論をしていることになり、それはそれでかなり問題がある。

よくある、とんでも歴史説(たとえば「日本・ユダヤ同祖論」みたいに、結びつかないものを、想像たくましく結び付けてしまった説)みたいに、一個人が勝手な妄想を展開したものと判断されてもしかたない。

森新之介さんが「漢文の末代の概念」と強調する割には、ウィキペディアでも「末代」という記事自体が存在していない。もしそんな漢文文献が大量にあるのなら、具体的に何というタイトルの漢文文献の何ページの、何という文章なのか? そんなにも漢文(中国文学)で「末代」なる概念が広まっていたのなら、現代の中国語版ウィキペディアに「末代」の立派な記事が書かれていなければおかしいくらいのものなのだが、中国語版ウィキペディアには「末代」という記事はまったく存在していない。中国ですら「末代」という概念は記事すら書かれていない。

それと対照的に、日本語のウィキペディアには「末法」は存在していて、中国語版ウィキペディアにも「末法」という仏教思想の記事のほうはちゃんと存在している。

というわけで、ちょっと検討してみるだけでも、今のところ森説は非常に怪しい、と判断せざるを得ない。

2013年登場の新説・奇説ではあまりにも新奇すぎるので、森説は今のところ、百科事典に大真面目に掲載するほどではない。ウィキペディアでは、あまりに新奇な説は掲載しないほうがいい、という方針がある。

今後3〜5年の年月を経て、他の立派な学者も森説に賛同の意を示すようだったら、その時はまともに掲載してもいいだろう、とは思われる。--SeijakuTA会話2014年4月17日 (木) 18:14 (UTC)[返信]

空海の記述

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「正法五百年、像法千年、末法一万年」というのは、日本では空海の「秘蔵宝輪」中巻にもでてきます。仏僧の人は法華経に出てくるなどと主張しましたが。法華経にはそんなことばはでてきません。最澄がいっていたというのは知りませんでしたが、もうちょっと日本の仏僧にはまともに仏教について研究してほしいものです。--バンパー会話2018年3月31日 (土) 05:58 (UTC)[返信]

末法到来の記述

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「慈覚大師或時大衆を一人召して、仰せある様は今日より釈迦の末法に入ると覚え候、いそぎ都に出でて日来よりなき不思議の出来有るベし・見て参れと仰せなり、乃至太刀を持せられ候と申す、其時仰せ下ふ様は是釈迦の末法に入りたる証拠なり、其日より召したる本の律僧の衣を捨て玉ひて、今の俗衣たるもつけの薄墨衣を召すなり、されば今の当宗の薄墨のもつけ衣は末法の折伏衣なり云云」(歴代法主全書1-373)

大石寺の歴代法主の記述をまとめた文献にこういう紹介がある。この文書のさす日時は1052年2月16日なのだろう。

また余談ですが、

法華経には薬王品に「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」とあって、末法にこそ法華経が世界に弘まるのだという予言がなされている。故に日蓮は末法に危機感だけを持っていたわけではなく、寧ろ末法に弘まるべき法華経の旗手こそ自分であるという自覚をもっていた、ということが彼の遺文より見て取れます。末法は「お先真っ暗」というだけじゃなく新たな仏法の開始への期待という側面がある、ということをお耳に入れておきます。

(「仏日西に入りて遺耀将に東北に及ばんとす。茲の典東北の国に有縁なり、汝慎みて伝弘せよ」

天台:「後五百歳遠く妙道に沾はん」、

妙楽:「末法の初め冥利無きにあらず」、

伝教:「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其の時なり」) --Unagire会話2019年10月18日 (金) 02:58 (UTC)[返信]